ベンチャー企業が日本を復活させるってマジなの? 経済と人 鶏と卵


ものづくり ベンチャー 呪文変われど天気は雨模様

 

中小企業 ものづくり ベンチャー育成、クールジャパン(笑)スパコンでNO,1 色々吹聴された経済政策で結局経済的に立ち直ることがないままはや約30年。

 

成果が出てないからだろ、企業育成どうするんだとヒステリックに反応されがちだけど、実のところは中小企業とかものづくり・ベンチャー育成と、クールジャパンとスパコンはともかくそれぞれの施策って一応成功例はあったりする。

むしろ、有権者側の成果が出てない連呼は結果的には労働環境を悪化させて利益を少しでも水増ししたいどうしょうもない企業群の意見を素通りさせる結果になって、ある意味で日本は経営者側の天国になり始めているのが現実。

 

日本では特にベンチャー育成はそれなりに成果が出ていて、成功している部類じゃないか。

特に市場の審査が甘いと言うかいい加減なので、かなりどうでもいいことをやってる企業でも結構簡単に上場できている。

集まってる金がアメリカとかと比較したらしょぼいのは実際そうだけど、ニューリッチをそこそこ出しているって点で失敗とまでいうのは言い過ぎではないかと常々思っている。

 

しかし全体的に見れば確かに経済も国も全く立ち直っていないのは事実と言える。

そこで原因のそもそもの部分、官僚、政治家、有権者、当の起業家や企業家たちが現在の産業構造を正しく理解できてないことからこうなっているという点を改めて注目したいと思う。

 

 

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結果出ても全体を救わないのは地方・企業の成功例から明らかな現実

 

まず、経済的な成功が日本を救うという前提の部分が大幅に間違っている。

今のところ、産業から日本を立て直そうという考え自体が狂っている。

言うなればいちじくを植樹して、りんごがならないと言っても仕方ないのと同じ期待がされているからやたら閉塞感が出ていると言えるわけだ。

 

経済という一要素が全体に影響するか?しないわけだ。

地方創生を第二次安倍内閣になってから今までより声高に叫び続けているけど、地方創生は経済的な意味ではそれなりに成功している。

 

離島振興予算とかいろんな予算を背景にして本気のど田舎を観光地に変える投資はなされたし、それは一定の成果が出ている地域も結構ある。

地方に移住する都会の人、あるいは企業のOBたちが何かしら商売をはじめて成功している事例も枚挙に暇がないくらいだ。

 

しかし結局の所、大抵の地方では人口は減る一方で、郊外から手足が壊死するかのように人口が減っている。

そして全体的に経済は縮小して、さらに出ていく人が増える悪循環に見舞われてるわけだ。

 

なぜ成功事例が全体を救わないのか?

大きな理由として、一つの事業体が上げる利益は、他の上げる利益を自分に引き寄せたものであるという基本的な原理が挙げられる。

都会から引っ越してきた人が始めた蕎麦屋が繁盛したのだとして、今までそこらで営業していた食堂やうどん店、蕎麦屋の売上を食いつぶして集約している。

 

食堂とうどん店、蕎麦屋が得ていた利益150が蕎麦屋一軒に例えば100(絶対に150は超えない)となって集約されて、他の店の大将たちの倍の経済規模がある店一軒に変身したわけだ。

株式取引とかと一緒な話で、他人の損失が利益となって移転するのがあらゆる利益の原理なのであって、新規事業の成功は必ず既存の事業の衰退や消滅を意味している。

 

上述の環境で、新たな蕎麦屋の利益が150を超える場合が仮にあるのだとしたら、地域を絞らずによそから人を呼び込めた場合に限られるけど、その場合でもやっぱり元々あったものが衰退、消滅することを意味している。

 

あくまで経済というのは全体を構成する一要素に過ぎないわけで、円グラフみたいなもので社会を表現したときに大きなシェアを占める要素であるという程度のものなわけだ。

他の要素が健全でない場合に円グラフの中で占める幅を増やすだけであって、他の要素の健全性をなんとかしないことにはグラフの正常化は図れないわけだ。

 

人口が減っている、消費者が消費できる金は減っている。つまりグラフは壊れている。

地方だとその壊れっぷりが顕著なだけで、日本では全国的にそれは壊れている。

こんな時代になるまでは経済政策だけでなんとかなっていた(もしくはそうだと思いやすい状況だった)のは日本経済の国際的な立ち位置が違ったからだし、産業の構造も人々の暮らしと家計も今とは全く違うものだったからに過ぎない。

 

バブル前とバブル後の経済・産業構造の変化

 

経済と産業の構成の前にまず理解しておかないといけないのは、今まで日本で景気が良くなった株が上がったというのが人々の暮らしにダイレクトに影響していた理由だろう。

家という制度が健全で、困ったら土地を売れば大金が入っていた時代、須らく殆どの日本人は直接的にか間接的にか不動産を所有していた。

田舎の実家もあったろうし、子どもたちそれぞれの家や土地をどうにかしようという常識があったし、しかもそれに換金価値があった。

 (つまり最終最後土地価格を上げたら多数の人の暮らしに余裕が出来てたわけだ。)

 

今、無条件で不動産がいつか自前のものになる(マンションではない)という環境にいる人って日本でどれくらい居るんだろうか。

かなり無い話のゾーンになっているんじゃないか。

株と金融が庶民生活に影響を与えていたのも昔は常識で、金利で生活している人はバカにならない数いた。

 

立ち退きかなんかで5000万とか1億とか金が入ってきて、銀行に預けたら何百万と利息がもらえる時代だったわけだ。

そりゃ、金利が上がったらおじいちゃんのくれる小遣いもかなりなものになって当たり前の話で、経済が人々の暮らしに影響する時代と今では全く違う環境だったわけだ。

 この常識の移り変わりを今の所、日本人の中で色々な事に決定権を持っているクラスタの人々は認識できてないんじゃないかと思う。

 

そして決定的なのは、バブル前とそれ以降では産業構造が全く違うものに変貌している事だ。

それがどう変化したのか政官はあまり理解できてないのではないかと思う。

 

まず、バブル前は銀行が経済の中心というか、財の司令塔だったことに疑う余地はない。

長銀とか日債銀があった。企業の資金調達の中心が銀行だった。

 

バブル前に時価増資という仕組みが解禁されて、産業界の司令塔の位置から銀行は転落する。

仮に株価が時価1,000円(50円額面と仮定)の会社が、百億円調達して、5%配当(一株2,5円)したとすると。

1,000万株増資して、年間払う配当が2500万。

 

バブル前の利息がうろ覚えだけど4-6%。

100億借りたら年利が4-6億円。

圧倒的な金利コストの差で企業が銀行から長期資金借りるのをやめてしまったわけだ。

 

それでも議決権の希釈化はオーナー経営者は嫌がるところだけど、サラリーマン役員の経営する会社が増加していた時代が経費の乱脈消費と合わせてバンバン推進していった。

戦中戦後に出来た重厚長大産業経営陣の世代交代が時代的に重なってたわけだ。

(プリンシパルを喪失した企業達がそこから暴走を始めたと言っていい。)

 

バブルが始まったのは、企業が長期資金を貸りなくなって苦しんだ銀行が、その埋め合わせに成長の先取りで土地を買い始めた会社の実際は投機資金を貸し出したことに端を発している。

結局は企業の長期設備資金が収益の源泉だった長銀や日債銀は倒産した。

それは同時に、銀行を通じて国が計画的に経済をコントロール出来ていた時代の終わりを意味していた。

 

そしてその現実が示唆していたのは、多くの企業が金を借りてでも投資したい設備投資をやり終えた事実だったし、それは世界中の国々になにか作って売りに行くのに十分な生産量の設備が充実していたという成長のデッドエンドに等しい状況だった。

ゼロサムゲームが始まった。

(個別に設備投資があったとしても、ブラウン管テレビが終わったので液晶の設備に変えますというものであって、左から右へ移動が発生するだけで雇用などが長期的に増えることを意味しなくなったわけだ。)

 

設備に投資しても利益が期待できないから土地に投資したわけで、それはキャベツや洗剤を売るより、ショッピングモールを展開して余剰地を宅地分譲しテナントから家賃を取ったほうが儲かるとスーパーが判断する時代になっていたということだ。

(キャベツや洗剤だけ売って儲かる店は既にありとあらゆる立地に進出していて、それ以上行くあてもなかったってこと。)

 

誰かが創業資金を借りて一山当てようと志しても、95年以降の時代は全ての金融機関が不良債権の処理に血道を上げていたし、国がその肩代わりで政府系金融機関から小口で貸出を行っていたものの、小額の融資で経営権に口出しできるはずもなく、またその能力も公務員金融マンは持ち合わせてない。

 

小口融資で足りない企業はVCから調達して起業する時代が同時に訪れていたけど(JAFCOが1973年設立)、当然その手の会社は元々国策でコントロールできる対象でもなければ、そうする意味もない事業だったと言える。

 

産業構造はバブル前後で決定的に変化している。

銀行を通して国家経済的な体制で運営できた時代と、銀行も国もコントロールするパワーを失った時代とはっきり分かれたわけだ。

洋々たる前途に投資して、投機より大きな利益が期待できるような拡大の時代も終わっていた。

 

そしてそもそも金が出てこない時代を長らく経験してきた日本の起業家社会は崩壊して、起業とやらに一銭もかからない詐欺師の社会に変貌を遂げた。

そうじゃないまともな起業家クラスタだったとしても、金を借りるとか調達するという発想が全くない人が現在では多数派だ。

 

金がかからない起業をする事業体が大きくなって上場したとしても、やはり投資はしない。

ニューリッチが登場しても特に経済環境に変化がないのはそこに起因している。

ZOZOTOWNはベンチャーではないと俺は思うけど、新興企業としては結構まともな会社だろう。

 

で、ZOZOTOWNの仕事で食ってる人がどれだけ居るだろうか。

設備・事業投資よりは経営者が絵画や宇宙旅行に投資する金額のほうが単発では大きいだろう。

 

経済と人の暮らしが分離し始めた時代に、真っ先に目立ったのは目的と動機はともあれ、大昭和製紙などの超高額な絵画投資だった。

そしてZOZOTOWNも大昭和製紙もメインバンクはない。

理由も内容も違うけど一致する点の多いこの2つの会社。

 

ZOZOTOWNもおそらく日本経済の変貌を告げる、妖怪件のような会社になるのだろうと思っている。

散り際もスキャンダラスなはずだ。

 

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