沖縄の基地反対って翁長知事の遺志なの?県民の意思じゃね??


日本共産党でさえ考えのベースにしてしまう浪花節

 

沖縄の選挙が終わってから結構経つので、タイムリーとは言えないけど選挙中から微妙だった報道の違和感。

大激戦の沖縄県知事選(30日投票)で、翁長雄志知事の遺志を継ぐ「オール沖縄」の玉城デニー候補は20日、本島北部の各地を駆け巡り、名護市辺野古の米軍新基地阻止へ、強い決意を表明しました。また、翁長県政の下で進んできた経済の活性化をさらに進め、「県民所得の倍増」を打ち出しました。

via: 翁長氏の遺志継ぐ責任/「辺野古新基地 絶対に阻止」/デニー候補、名護で訴え 沖縄知事選

 

赤旗新聞でさえこの有様、沖縄で何かがあるたびに翁長知事の遺志と言い続けてるけど、翁長知事の遺志ってなんだよという話で。

選挙の結果が毎回のごとく示してきた通り沖縄県民の意思は基地反対なのであって、日本の民主主義とかガバナンス以前に浪花節が来る社会構造を如実に本件は示している。

 

浪花節は情緒的に物事を捉える人にとって考え方のベースになりがちなもので、冷静に状況を看破する妨げになりやすい。

今まで日本の支援を受ける側の国だった中国が経済大国になった現実を受け止めるという経済的に必要な作業も、個人単位では大きく妨げてきたのが浪花節だった。

こうした浪花節は沖縄のみならず、現時点で日本で起きている現象を観察する大きな妨げになっている。

 

それはメディアでも妨げになっているし、個人でも妨げになっているし、それは世間全体的に事実によって事実を評価する大きな妨げになっている。

 

俺も浪花節で翁長知事を捉えてしまうけど、それは家に帰って家族と最後の時間を過ごしたかったはずなのに、こんな姿になってもまだ牙を剥いていた孤高の政治家という存在に対しての限りないシンパシーであって、その姿は散っていった数々の人のことを想起させるからだ。

 

一番の弔いは自分たちの声を彼ら鬼籍に入った戦士達に託すことではなくて、彼らが代弁してくれた自分達の叫びを今度は自分の口から出すことだと俺は信じている。

皆さん、弔いの浪曲は自分たちの声で唄おうじゃないの。

 

沖縄の基地反対って翁長知事の遺志なの?県民の意思じゃね?? %e6%b2%96%e7%b8%84 %e6%b0%91%e6%97%8f%e3%83%bb%e3%82%a4%e3%83%87%e3%82%aa%e3%83%ad%e3%82%ae%e3%83%bc %e5%9c%b0%e6%96%b9%e3%83%bb%e7%94%b0%e8%88%8e domestic %e6%b0%91%e6%97%8f%e5%95%8f%e9%a1%8c health politics

 

翁長知事が沖縄の意志× → 翁長知事は沖縄の意志の代弁者◎

 

浪花節思考で生じたズレは民主主義の根幹と歴史認識に多大な悪影響を及ぼしている。

そもそも翁長知事の意志が沖縄県民を先導して基地反対に導いたのかと言うとそうではないわけで。

民主主義的、また歴史的に事象を分解したら、まずはじめに声ありきで、沖縄は日本に帰るという意思を持っていたから政治家がそれを代弁して本土への復帰運動を起こしたのだし、基地もその延長線上の当然の帰結として政治家が代弁してきただけという事になる。

 

つまりこの表現をしている多くの人は、どことなく死んだというドラマチックな部分に引っ張られ過ぎで、無意識に始めに声ありきという事実を認識から外してしまっているわけだ。

もともと沖縄県民の多くの人は基地に出ていって欲しいと思ってるし、沖縄に限らず東京に何でも吸い上げられていく地方の大半は、立場の右左と全く別な問題で所得なんか倍増させたいに決まってる。

 

まるで一過性のブームみたいに扱うなと今沖縄県の人は思ってるはずだ。

明文化して表現できない人にとっても、なんとなく感じてる違和感の正体の少なくない割合はそれだと思う。

 

翁長知事の死はあまりというしかないタイミングでの散ったとしか言いようのない死に様が「沖縄に関係してきた政治家を」鼓舞したのであって、最期まで正気の歌を詠み続けた文天祥のような姿に敵味方関係なく打たれたのだ。

菅義偉が葬式で空言を読んで沖縄県民の怒りに火を注いでいた。

でも彼を擁護するわけでは全く無いけど、自分の策謀が通用しない鉄壁のような強敵、多分学ぶところでさえ多かっただろう偉大な強敵の死に無感情と鉄面皮で鳴らしている菅義偉も一抹の寂しさを感じていたと思う。

 

天地に正気有り 雑然と流形を賦く
時窮すれば節、乃ち見れ一一丹青に垂れる
齊に在っては太史の簡 晉に在っては董狐の筆
秦に在っては張良の椎 漢に在っては蘇武の節
或いは遼東の帽と為り 清操氷雪よりも厲し
或いは出師の表と為り 鬼神も壮烈に泣く
是れ、氣の磅礡する所 凛烈として萬古に存す

 

ウチナンチュVSヤマトンチュ 他にも誤導に満ち溢れた日本社会

 

どうも事実と違うことで事実を評価してしまう悪癖は日本人に浸透している。

情緒が優先して物事を冷静に考えられないのは沖縄の人もそうではないんだろうか。

沖縄県の言動が活発な人にありがちなウチナンチュとヤマトンチュの話もちょっとずれている。

 

今日本に満ち溢れている対立は地方と中央なのであって、建武の新政の直前や室町時代の終わりの時期に酷似している。

首都圏を中心に発生した建設残土が、400キロ近く離れた三重県に船で年間約26万トン運ばれ、県南部の紀北町などに事実上、投棄されていることが毎日新聞の取材で分かった。土砂条例がない三重県が“標的”になっているとみられる。都心の再開発などで発生し、最終処理が確認されていない膨大な残土の行方の一端が判明するのは異例。投棄先の地元住民は「残土業者に地方の環境を破壊され続けている」と訴えている。

 毎日新聞の情報公開請求で開示された三重県の資料などによると、残土運搬船は6年ほど前から長島港(紀北町)と尾鷲港(尾鷲市)へ入港。陸揚げ量は毎月計約2万トン、今年9月までの1年間は計約26万トンで、神奈川県の横浜港、横須賀港からが目立つ。三重の両市町で残土がある造成地は、搬入を終えた場所を含め計9カ所。7カ所が長島港の4キロ圏にある。

 受け入れている紀北町の2業者が県に任意提出した資料では、残土の発生元として▽北関東防衛局が発注した東京・六本木の米軍基地「赤坂プレスセンター」掘削工事▽東京・大手町にある地上32階・地下3階の超高層ビル建設工事▽横浜市の京急金沢八景駅改築工事などがあった。北関東防衛局は「残土は施工業者が都内処分場に運んだのを確認した。その先は関知していない」と説明する。

via: <首都圏発生>建設残土が船で三重へ 事実上の「投棄」(毎日新聞) – Yahoo!ニュース

ヤマトンチュに一体感が言われるほどあったらこんな事は起きない。

わかりにくいかもしれないけどそれが現実で、こんな話はそこら中に満ち溢れている。

 

沖縄の人にとって、飛行機で飛んでいく距離で、あまり訪れることもない東京や大阪以外の地方は見えない存在だろう。

 

しかし東京に金になるものを人間含めて全部持っていかれて、帰ってくるのは彼らが利益を吸い取ったあとのゴミばっかりなのが日本の大半の地方の現実の姿であって、中央と対立しているという点で私達地方の住人の大半は立場を実は沖縄と同じくしている。

そして大概の地方の人にとって沖縄は同じように飛行機の向こう側の遠い街の話であって、沖縄の人が青森とか岡山を想像するのと同じ程度のイメージしか抱けてないだけの話なのだ。

それが基地なのか核廃棄物なのか建設残土なのか、加計学園や森友学園なのかは別にして、立場は一緒。

 

なんの利益も得られてないのに、東京と同じくくりで見られたら私達地方民は戸惑ってしまう。

 

クラシックと歌舞伎など、一部の古典芸能は特色的な要素を持っている。

それは何かと言うと、それが生まれた背景と全く無関係に演じる人々や指揮者によって、時代や人々の心の叫びをそれが代弁するということだ。

小澤征爾と、欧州の同世代の人が指揮するベートーベンがあんなに違うのはそれを理由にしている。

 

誰が語っても同じように帰着してしまいがちなつまらない政治に命を吹き込んだ時代の代弁者、翁長知事のような人の登場を待ち望んでいる人々は本土にも少なくない。

知らない事と、掘り下げない考えが社会に誤導を溢れさせる。

 

再来年は俺も那覇にマンションでも借りて長期で遊びに行こうと思ってる。

(アカマチやガーラを釣ってみたい。)

沖縄の人も、マンション借りなくていいから本土に最近増えてるLCCで一回遊びに来て欲しい。

何もかも違う気候。思ってたのと違う現実、心のしこりも少し軽くなるのでは。

 

沖縄の基地反対って翁長知事の遺志なの?県民の意思じゃね?? %e6%b2%96%e7%b8%84 %e6%b0%91%e6%97%8f%e3%83%bb%e3%82%a4%e3%83%87%e3%82%aa%e3%83%ad%e3%82%ae%e3%83%bc %e5%9c%b0%e6%96%b9%e3%83%bb%e7%94%b0%e8%88%8e domestic %e6%b0%91%e6%97%8f%e5%95%8f%e9%a1%8c health politics

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

この著者の最新の記事

関連記事

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (4)

    • 迦陵頻伽
    • 2018年 11月 16日

    >それは何かと言うと、それが生まれた背景と全く無関係に演じる人々や指揮者によって、時代や人々の心の叫びをそれが代弁するということだ。

    この文見て思ったんですけど、最近は国民的な歌謡曲だの歌だの芸術だのが絶滅しましたね(私が無知なだけなら良いんですが)。なんか日本人がみんなバラバラになっちゃったみたいで寂しいです。

    • 迦陵頻伽
    • 2018年 11月 17日

    沖縄ではありませんが、親戚が奄美大島在住で何度が訪ねたことがあります。
    所謂「少数民族の独立運動」のようなものは一切なくウチナンチュVSヤマトンチュといった言説も一切聞かれませんでした。
    現地のお年寄りからは「中国人のコンビニ店員が増えて迷惑している」「自衛隊が在住するのでいい金になる」といった言説まで聞かれ、むしろ保守化?しているのではとさえ思いました(米軍基地が密集し何度も事件が起こっている沖縄とは一概に比べられませんが…)。
    正直、自称識者たちが言う「沖縄独立」や「少数民族の自治」など夢物語であり、現実は軍荼利さんの仰る通り「地方VS首都圏」という構図が正しいと思います。

    • gundari
    • 2018年 11月 18日

    @迦陵頻伽 さん

    そういえばそうですね。
    誰でも知ってる、口ずさめるものがなくなってる気がしますね。
    近々書こうとしてた記事の内容がそれに関係するものになりそうです。

    @迦陵頻伽 さん

    沖縄でも「一部の」若年層はそれに類似した反応を示すかもしれないですね。
    何回沖縄で事件が起きたり、無体な話がふりかかってもそれがどうしたとか、そんなこと起きてない的な反応をする人でしょうが。

    現に本土でも結構目立ちますけど、現実の現象を体感してない不思議な人って結構居ますよね。
    ここ何年かアベノミクスで好景気をわめき続けた人とか、経済学が貧乏人を幸せにすると盲信している人々なんかがそれです。
    認識と事実が矛盾するものであっても脳内でそれぞれ共存できる人間、それがどちらに属するものなのか判断する力を持ち合わせてない人特有の現象だろうと思います。

    独立系の話について、沖縄に関して言えば、琉球政府時代から沖縄の王朝復古を目指してる勢力が現に存在したので、0とは言えないかもしれないなと思います。
    そもそも論として、戦争で相手が尻尾から攻撃してくるというものすごく都合のいい妄想の産物が沖縄最前線論なので、その虚妄が剥がれたら結構盛り上がるんじゃないかと思います。
    沖縄経済が振興して経済的に豊かになればなるほど可能性は上がるのだろうと想像してます。

    • 迦陵頻伽
    • 2018年 11月 21日

    そういや親父どころか祖母まで知っていた曲ってのが最近は確かにないですね
    世界に一つだけの花や花が咲く辺りは家族でも好きな曲でしたがもう10年近く前の曲ですし…

最近のコメント

カテゴリー

ページ上部へ戻る