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実は日本発のものは意外とあるんだが・・・  中世日本、史実だと思ってたのが実は創作だった時って悲しいよな  三段撃ちも一夜城もなかったんだろ

  1. 生活・文化・健康
  2. 184 view

 

 

写真は、雑賀孫市の雑賀衆で有名な紀伊の国の兵隊さんが使っていた雑賀鉢兜ね。

史実ではなく嘘だった話も結構多いのと同様に、知られざる日本発って結構あるみたいだね。

 

例えば、ランボーのイメージで有名な弾帯。あれも元祖は日本。出は紀伊の国。

昔は早合と言っていたらしいけど、火縄銃の装填を短縮するための装備というのがあって、それが発達して弾帯になったというね。

和紙で火薬と弾を包んだものや、防水加工した合わせ木の中に詰め合わせたものを使って、銃口から押し込んで使ってたらしい。

元祖紀伊のものは和紙で作って、和紙ごと発射しちゃってたらしい。

 

それと、大日本帝国・ベトコンが多用した塹壕。

これも、銃撃戦・銃を使用したゲリラ戦が発達していた、紀伊の国の出。

木の蓋みたいなのをかぶせて、上にカモフラージュしていきなり狙撃したり、相手との銃撃戦で被害を無効化するための工夫だったらしいよ。

 

さすがに、傭兵稼業で陣場渡りを繰り返していたお国柄、鉄砲戦術と装備に関しては、かなり先端の技術を持ってたみたいだ。

弾一つとっても、卵の白身を塗って乾燥させて、摩擦係数を上げたダムダム弾の元祖みたいなのとか、松葉で割れ目をつけた弾でまさにダムダム弾の原始的なのを作ってみたり、散弾の空中炸裂弾を作ったりそれは色々あったらしい。

 

実は(根来はまだいけてない)俺結構紀伊の国の戦の話が好きだったんで、ドライブがてら和歌山までよく行ってて、孫市のお墓にもお参りしたことがあるんだわ。

角撃ちといったのか、射撃練習場があったと思しき辺りに、浄土真宗のお寺があって、そこにひっそりと佇んでいた。

紀の川を挟んで銃撃戦をやった模様なんかを、あの河原で寝そべって本読みながら空想したりしたけど、マイナーな所で色々あったわけよ。

 

と、言う訳でないないと言われている三段撃ち、俺は本当はあったんじゃないかと思うけどね。

一夜城も、それっぽい原型になる話はあったんじゃないかなって思う。

 

 

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津本作品の歴史物の中でも、雑賀六字の城と並んだ傑作。
紀伊の国と戦争の発達の密接な関係が随所に出ている。

 

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鉄砲無頼伝 (角川文庫)

 

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1:2013/07/23(火) 18:15:18.77 ID:

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16世紀に宣教師フロイスが織田信長に献上したのが…
2013年07月20日(最終更新 2013年07月20日 10時31分)

 16世紀に宣教師フロイスが織田信長に献上したのが日本でのバナナの初お目見え、
という話が伝わる。20世紀初めに台湾から7籠を移送したのがバナナ輸入の始まり、とも

▼庶民には高根の花の時代が長くあった。戦後間もないころ、もりそばが50円のころにバナナは3本が400円で売られた記録も残っている。
ここまで「望郷子守唄」(松永武著、海鳥社)という本から引いた

▼輸入自由化で庶民の味になって半世紀が過ぎた。近年は「朝のバナナダイエット」が
ブームになって一時品薄になったりした。バナナは日本人の食文化の一端も映して現在に至る

▼「バナナと日本人」で記憶に残るのは、口上付きのたたき売りだ。台湾産の荷揚げ地だった
北九州の門司港が発祥地とされる。船旅の間に熟し過ぎたものを売ったのが最初らしい

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/syunzyu/article/27824


5:2013/07/23(火) 18:19:10.24 ID:

毛利の三本の矢も創作らしいな

12:2013/07/23(火) 18:24:00.25 ID:

>>5

3人の息子に説教しようとしても既に1人死んでたしね
最初から1本欠落してますが何かって感じw


139:2013/07/23(火) 20:37:16.59 ID:

>>12

三本あれば一本ぐらいおれても大丈夫という実体験だな


7:2013/07/23(火) 18:21:26.18 ID:

島津の引き際もありません
秀吉のわらじエピソードもありません

8:2013/07/23(火) 18:21:26.26 ID:

当時のキリシタンはヨーロッパで落ちぶれた奴らが宗教を盾に人身売買用の奴隷を求めて日本に来たやつら

9:2013/07/23(火) 18:22:36.06 ID:

え・・・そなの
水攻めは??

68:2013/07/23(火) 19:02:50.15 ID:

>>9

事実
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19:2013/07/23(火) 18:30:53.96 ID:

宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘もかなり創作くさい

ほとんどのカッコいい戦いや名ゼリフ、美談等は創作っぽい


186:2013/07/23(火) 21:19:27.68 ID:

>>19

集団リンチって話がある


25:2013/07/23(火) 18:32:50.37 ID:

まあ、三段撃ちは雑賀衆が似たような戦法を使ってたからそれを知った信長が真似をして使ってた可能性もあるけどな
記録に残ってないってだけで

29:2013/07/23(火) 18:33:54.26 ID:

パンが無いならケーキをお食べも?

62:2013/07/23(火) 19:00:15.94 ID:

>>29

マジレスするとそれを言ったのはルイ16世の叔母さん


238:2013/07/23(火) 22:41:12.77 ID:

>>29

その言葉の初出の時期にはアントワネットはまだ幼女だったらしい
もしホントにアントワネットが言ったなら無垢な少女の微笑ましい発言になる


30:2013/07/23(火) 18:34:14.84 ID:

家康のウンコ漏らしはガチ

34:2013/07/23(火) 18:35:11.37 ID:

雑賀衆は2段打ちか
相当練度が高くないと交代して撃つは無理だべ

38:2013/07/23(火) 18:36:44.85 ID:

実は日本発のものは意外とあるんだが・・・  中世日本、史実だと思ってたのが実は創作だった時って悲しいよな  三段撃ちも一夜城もなかったんだろ %e6%ad%b4%e5%8f%b2 domestic health

>>1

三段打ちはニュアンスが違う
巷間言われる三段打ちより合理的な三段打ちを
使っていたから、きっと長篠でも使っただろ


43:2013/07/23(火) 18:40:27.92 ID:

本能寺で敦盛舞ったのも、秀吉の大返しも創作

48:2013/07/23(火) 18:42:34.59 ID:

>>43

大返しは多分ホント
日付けが残ってるし


46:2013/07/23(火) 18:41:39.41 ID:

隊列自体を入れ替えるより弾の装填や銃身の清掃などを複数人で役割分担させて
銃だけ受渡して射撃手は射撃に専念させた方が効率的。
こっちの方は普通に行われていた。

50:2013/07/23(火) 18:45:22.83 ID:

長篠は”鉄砲が無敵の騎馬軍団を駆逐した”という事実が重要なのであって
”三段撃ち”が実際あったかどうかはさしたる問題ではない
と思っていたが

最近それすらも否定する論調が増えてきて


53:2013/07/23(火) 18:47:31.57 ID:

>>50

野戦築城の合戦で撃退したのは事実でね? 馬場・山県を筆頭に重臣が死にまくってるし


56:2013/07/23(火) 18:51:42.95 ID:

>>50

武田騎馬軍団自体が最近ではフィクション扱いなわけで。


61:2013/07/23(火) 18:58:57.90 ID:

実は語られてないだけでもっとすごい史実もあるかも

>>50

織田方の死傷者数の少なさ見ると、純粋に正面から激突したわけではないよね
三弾撃ち、野戦築城、ぬかるみにハメた、伏兵がいた、裏切りがあったとか・・・


257:2013/07/24(水) 00:02:31.92 ID:

>>50

武田軍は鶴翼の陣を敷いて包囲殲滅戦を仕掛けようとしたけど
肝心の鶴翼の陣の中心の一門衆が勝手に退却し始めたから総崩れになった


52:2013/07/23(火) 18:47:21.89 ID:

願わくは、我に七難八苦を与えたまえ

これも創作か?


69:2013/07/23(火) 19:02:53.45 ID:

>>52

事実じゃねぇの?実際七難八苦受けて死んでるオチがつくけど


57:2013/07/23(火) 18:53:16.72 ID:

三段撃ちも用いずに騎馬戦で有名な武田(の武将たち)を破るなんて
そっちのが凄い訳で

でも次は、騎馬戦、武田は実は弱かったって話が出てくるのかな?


63:2013/07/23(火) 19:00:16.53 ID:

>>57

騎馬戦は甲陽軍艦からして有り得ないからって否定してるからしょうがないが
武田軍が弱かったって論調は創作小説レベル以上じゃ広がらんだろうな
1級資料にも過剰なくらい織田が武田軍を恐れてたり対織田勢力が期待してた記述があるし


73:2013/07/23(火) 19:09:34.10 ID:

神風で元寇を撃退というのも嘘

86:2013/07/23(火) 19:23:21.33 ID:

>>73

台風の後でもまだまだ大軍が残ってたからね


74:2013/07/23(火) 19:10:06.38 ID:

足利義輝の刀を床に何本も刺してとっかえひっかえ戦ったって
格好いい話も創作なの?

84:2013/07/23(火) 19:18:36.02 ID:

>>74

ソースが言継卿記だからそれは一応史実扱いで良いかと
まぁ言継が記してるのは飽くまで伝聞だけど


88:2013/07/23(火) 19:26:38.96 ID:

つーか、ミッドウェーで勝ってたら歴史変わったか?
という問題

90:2013/07/23(火) 19:29:16.16 ID:

>>88

いつか同じようなことやらかしたやろうなぁって言うのが大抵の予想だよね
慢心


98:2013/07/23(火) 19:37:20.24 ID:

>>88

海軍内の主流派だった早期講和派の発言権が持続し、実現していた可能性もあるが
「リメンバーミッドウェー」となって怒涛の反撃でかえって悲惨なことになっている可能性も十二分にある


100:2013/07/23(火) 19:38:56.22 ID:

>>98

早期講和派を「海軍内の主流派」と書いたのは過言だったか
早期講和派の筆頭とも言える山本五十六の影響力が増大することは確か


109:2013/07/23(火) 19:46:44.03 ID:

>>88

少なからず変わっただろうけど日本が負ける歴史は変わらないと思う

日本がそもそも、
アメリカと戦うしか生き残る方法がない→でも勝てる見込みゼロ→じゃあ開幕ぶっぱして途中で講和しよう
だったんだけど、アメリカの方はWW2参戦の口実が欲しくてハナから最後までやるつもりだったから
日本がアメリカに喧嘩売った瞬間に日本の負けが確定してた


133:2013/07/23(火) 20:31:55.00 ID:

>>88

アメリカは日本の3倍の建艦能力があり、3倍数が違えば戦力差は9倍になる
ミッドウェイまでの現有戦力では日本がやや有利でも、ロシアの二流海軍とは違う一流海軍同士が戦って沈んだ味方の3倍沈め続けるのは不可能


89:2013/07/23(火) 19:27:03.23 ID:

川中島の戦いで起きたといわれる武田信玄と上杉謙信の一騎打ちも
実際に信玄に斬りかかったのは荒川長実っていう武将で謙信ではないんだよな

102:2013/07/23(火) 19:41:16.69 ID:

武田騎馬隊がインチキだったのが一番のショック

103:2013/07/23(火) 19:42:02.01 ID:

広報・宣伝も戦略のうちさ

105:2013/07/23(火) 19:44:25.06 ID:

>>103

酒の場でのホラ吹き話のせいで
本人の処刑はおろか日本非難の原因になった南京100人斬りとか
毒にもなりゃ薬にもなるよな情報戦って


106:2013/07/23(火) 19:44:59.80 ID:

逆に武将として評価の高くない徳川秀忠の遺体に残る銃創なんてのを聞くと
戦国期って想像以上に激しい戦いだったかもしれないとも思える

111:2013/07/23(火) 19:52:42.67 ID:

>>106

秀忠は大坂夏の陣で敵に正面突破された時もいきなり槍手にとって敵に突撃かまそうとしたりしてるし
戦を知らないオボッチャマという感じの人じゃないよな


112:2013/07/23(火) 19:52:46.86 ID:

桶狭間は?
桶狭間はどうなの?

120:2013/07/23(火) 20:04:43.73 ID:

>>112

桶狭間の戦い あらすじ

信長「やべえ味方の城落ちそう、しかも桶狭間の方から今川の増援来てるし」

信長「まずはあの今川の増援を倒して活路を開く!」

信長「雨降ってきたラッキー! 押せ押せー」

今川の兵士たち「やべえ奇襲! 豪雨で敵の軍勢の規模がわからん! 死にたくない! 逃げろー!」

今川の武将たち「えっちょっと味方がすごい勢いで崩れ始めて全然指揮とれないんだけど何こrウギャー」

信長「勝った! 超ラッキー! えっ敵の指揮官の首とった? でかした! 敵の指揮官誰だった?」

信長「義元だったwwwwwwwwwwww」


127:2013/07/23(火) 20:23:15.45 ID:

>>120

でもまあ桶狭間はその周辺に合戦にちなんだ地名がついてるから
結構なもんだったろうな、と想像出来ちゃう。


128:2013/07/23(火) 20:23:43.04 ID:

>>112

実は桶狭間時点で松平家は織田家に内応してたんじゃね?
って言う話もあるしな
つまり今川軍主力がすでに張子の虎とか
信長は大軍だとは思って無かったとか
だから大胆に軍を展開できたとか
いろいろ調べると楽しい


155:2013/07/23(火) 20:55:38.64 ID:

>>112

桶狭間は奇襲ではなかった。織田信長の天才のなせる業。
正面から堂々と進軍した寡兵に今川の大群が押しまくられ、義元は退却を決断。
退却中にさんざん打ち負かされ、義元も殺された。


125:2013/07/23(火) 20:22:17.55 ID:

犬養毅「話せば分かる」
ジョージ・マロリー「そこに山があるから」

150:2013/07/23(火) 20:51:25.64 ID:

>>125

板垣死すとも


129:2013/07/23(火) 20:24:07.83 ID:

当時にYouTubeがあればね。
まぁ基本伝聞だから時代で解釈も変わるし、無名だけどすごい人物もたくさんいたでしょ。作品が残ってない、誰も知らない天才が。

134:2013/07/23(火) 20:32:30.15 ID:

>>129

9.11ですらいろんな異論が出るんだから
つべがあっても真実しか残らないかといえばどうか…
もちろんつべに残る豊富な資料のおかげで異論に反論しやすいのは確かだけどね


130:2013/07/23(火) 20:28:36.93 ID:

山本五十六が反戦派とかいう大嘘
もっとも長官就任以前はそうだった可能性も無きにしも非ずだが
就任意向は博徒の血が騒ぎ、着々とハワイ作戦の計画に取り掛かる
国家の行方を伸るか反るかの博打で決めたんだよこの長岡のかっぺは
こいつが博打好きだったのは本当に知られていない
英東洋艦隊攻撃の時も航空参謀とビール賭けてたんだぞ

132:2013/07/23(火) 20:30:35.49 ID:

>>130

さすがに現代市民的な反戦派と理解してるやつなんかいないだろ?
それにマカオのカジノ出禁になるくらいのギャンブル狂なのも有名だ


136:2013/07/23(火) 20:34:37.36 ID:

戦国時代の馬は現在のポニーほどの大きさしかなく武田騎馬隊も馬上で武器を振り回してなかった

138:2013/07/23(火) 20:36:32.79 ID:

伊能忠敬の地図ってなんであんなのつくれるの?w

140:2013/07/23(火) 20:39:19.93 ID:

>>138

同時代のヨーロッパだって同水準の地図が作れてる
地道な測量をできるなら衛星が無くたってあれぐらい


142:2013/07/23(火) 20:43:06.07 ID:

>>140

今だに伊能忠敬レベルの地図作れない国があるぞ。


181:2013/07/23(火) 21:14:40.87 ID:

>>138

伊能忠敬って歩測だと思われてるけど実際は縄や鉄鎖でちゃんと測量したから。
誤差は1%未満だったそうだ


156:2013/07/23(火) 20:56:33.37 ID:

創作やむなしだろうが、じゃあ誰がいつの時代にどんな状況で発信したのかが今度気になる。

171:2013/07/23(火) 21:10:02.10 ID:

>>156

たとえば織田家の歴史に詳しい信長公記っていう資料はその当時織田家の家臣に仕えてた人が書いたもので
わりとリアルタイムで書いてたっぽい

ただし信長公記は信長を美化し過ぎだし、
書いたのが人間である以上当然著者の主観も入ってるし想像で書いた可能性もゼロとは言えないから、
その資料ひとつを全て信じるわけにはいかない


175:2013/07/23(火) 21:11:22.40 ID:

>>171

単独の資料の記述は、書いた人の主観が入ってるから、微妙なんだよな。
あくまで有力な仮説にとどまる。

無関係な複数の資料で裏付けが取れると、これは史実だろう、と確定できる。


158:2013/07/23(火) 20:57:22.45 ID:

秀吉がただの農民だったてのは史実なの?

164:2013/07/23(火) 21:04:36.82 ID:

>>158

貧農じゃないことは確か
有力農家か地方豪族に近いぐらいの
村の有力者であったことは確かみたい


170:2013/07/23(火) 21:09:40.93 ID:

>>164

創作物だと乞食みたいな汚いサルなのに…


177:2013/07/23(火) 21:12:17.44 ID:

>>164

しかも親父は足軽だったらしいから完全な農民じゃないんだよな


182:2013/07/23(火) 21:14:49.54 ID:

>>177

そういう意味でも今の歴史家の主流は
秀吉の実家はプチ豪族説なんだよな
まぁそういう存在をリアルに知ってたから
刀狩とかの武装解除とかを厳格にやったって言う説も


213:2013/07/23(火) 21:54:04.57 ID:

>>177

江戸時代より前の時代では、足軽は農民が休耕期に行ってた仕事の一つだったので、
そこらへんの区別は正確ではない。

戦争が長引いて田植えの季節が近づくと、早く帰郷したいとそわそわして
士気が下がったり反抗心が育ったりするので
当時の武将もスケジュール調整や戦略に腐心してた。
秋から冬にかけて戦争が多かったのはそのため。


229:2013/07/23(火) 22:17:54.40 ID:

>>213

そこで兵農分離でいつでも戦争できるようにしたほうが自由に時期を選べたってことか。


163:2013/07/23(火) 21:03:57.99 ID:

親父の信秀が当時尾張3分の1しか領土しかなくても、大国の斎藤や今川相手に遠征して互角に戦ってたからな。
信長はそういう所を見ている。

168:2013/07/23(火) 21:08:39.27 ID:

熱田と津島をおさえてた信秀あっての信長やで

173:2013/07/23(火) 21:10:53.57 ID:

秀吉がサルっぽい。っていう話こそ俗説
ホントはイケメン禿げネズミ

178:2013/07/23(火) 21:13:03.12 ID:

太田牛一は有名人だし名前を出してもいい気がする
武功夜話に関して信憑性が無い気がする

179:2013/07/23(火) 21:13:21.94 ID:

足軽って農民じゃん
農民や漁師とか山師じゃない足軽とかいるの?

187:2013/07/23(火) 21:20:30.19 ID:

触手責めの世界最古のイラスト描いたのは日本人だとはおもう

188:2013/07/23(火) 21:22:34.00 ID:

命は軽く名は重く。

190:2013/07/23(火) 21:24:23.18 ID:

日本地図は正確正確といっても
実際の衛星写真と比べると
明らかに東北地方とかがずれてるらしいな
http://www.sawara.com/tadataka/yugami/hikaku.htm

195:2013/07/23(火) 21:32:02.71 ID:

>>190

間違ってるというよりは図法が違う感じのずれ方をしてる気がする


196:2013/07/23(火) 21:32:52.47 ID:

>>190

これすごいね。
むしろこれだけの誤差しかないことに感動したわ。


200:2013/07/23(火) 21:35:09.89 ID:

うちのご先祖が仕えてた勝頼は
史実に違わずヘタレだろうな・・・
親父は立派だろうが
武田一派を滅亡させやがってあんがきゃー
江戸時代終わるまで山奥に隠れる羽目になったわ・・・

205:2013/07/23(火) 21:37:26.25 ID:

>>200

勝頼はやれるだけの事はやったと思うぞ


207:2013/07/23(火) 21:42:42.88 ID:

>>205

うちの一派は武田狩りを逃れるために甲府市街から車で2時間の山奥に江戸時代ずーっと逃げてたんだ・・・
凄い酷い状態だったようだ
戦後にようやく山降りてきたくらいだからw
鎧甲冑、火縄銃、武田の紋入り日本刀 など大量に残ってる


204:2013/07/23(火) 21:37:17.38 ID:

長篠の戦はあれだろ、梅雨時だったから川せき止めて武田軍が来たときにどばーっと流した
それを見た秀吉が水攻めを思いついたんだろ

210:2013/07/23(火) 21:47:50.78 ID:

孔明は気象が変化するのを知ってて
おまじないをタイミング合わせてやっただけだけど
頭がいいのは間違いない

212:2013/07/23(火) 21:52:51.50 ID:

>>210

そんなの季節風があるなら、地元の呉の武将、まして有名な軍師の周瑜が知らないはずがないお
やっぱなんかの超能力だお


215:2013/07/23(火) 22:00:56.22 ID:

>>210

日本の三国志じゃその解釈が常識化してるが
実はその解釈は吉川英治オリジナルだったりする
元の演義じゃマジで妖術で風吹かせたって描写


219:2013/07/23(火) 22:03:49.62 ID:

>>215

演義がそもそもファンタジー小説みたいなもんだし


224:2013/07/23(火) 22:08:00.00 ID:

>>215

史実だと赤壁のくだりで諸葛亮は出てこない


216:2013/07/23(火) 22:01:54.48 ID:

黄巾族も大将は妖術使いだっけ?

228:2013/07/23(火) 22:17:45.98 ID:

うちはまったく自慢じゃないけど
じいちゃんは高松城水攻めで負けた清水宗治の子孫で
ばあちゃんは平家の落人の子孫だ。

負け組って感じ。


233:2013/07/23(火) 22:26:16.46 ID:

>>228

血が繋がってんだから勝ちだろ


234:2013/07/23(火) 22:32:40.30 ID:

>>233

負けて逃走したもの同士だから、現在は限界集落の百姓ってのがな~w


242:2013/07/23(火) 23:00:44.95 ID:

>>228

勝ち負けで言えば負け組かもしれんが格好良すぎるだろ
平家はどの筋かにもよるけどあの滅び方は綺麗だと思うな。
たとえ逃走により今不遇であったとしても誇るべきだと思う
祖先を恥じたら気の毒だ。そんなに立派な先祖なら尚更


247:2013/07/23(火) 23:25:50.07 ID:

>>242

負けが込んでいてあれだけど、恥じてるわけじゃないよ。
誇りってわけでもないけど、ふーんって感じw


232:2013/07/23(火) 22:24:56.34 ID:

ルイス・フロイスは日本の建物を褒めた際、
褒めた後に「まあこんな建物俺の国の大砲があれば余裕でぶっ壊せるけどねwww俺の国ツエーwwwww」とか言ってる

236:2013/07/23(火) 22:34:05.80 ID:

壬生狼とか剣豪揃いとか呼ばれた新撰組が京都にいた5年間で切った浪士の数は
公式記録によると計13人だったそうだ
そのうち8人は池田屋事件で切ったから平均すると一年にひとり位しか切らなかった
というのが真実

237:2013/07/23(火) 22:36:51.48 ID:

>>236

あと斬る時にはひたすら突きを放ってたんだっけ?


256:2013/07/23(火) 23:55:55.41 ID:

長平の40万人生き埋めとかもな

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