安倍ちゃん、広島原爆忌の挨拶でコピペ疑惑発生  69年一つの惨劇を追悼、毎回オリジナルな発言はちょっと無茶  アプローチを広島側が変えるべき


安倍首相原爆忌あいさつが波紋=ネット上で前年酷似と指摘

時事通信 8月8日(金)18時35分配信

 安倍晋三首相が6日に広島市で行った平和記念式典のあいさつが、昨年の文章と酷似しているとの見方が広まり波紋を呼んでいる。インターネットの掲示板などで「使い回し」との指摘が出ていることに加え、被爆者団体も批判を始めた。
 今年の首相あいさつの冒頭部分は、昨年「68年前」としていた部分が「69年前」に改まった以外は全く同じ。中盤で原爆症の認定基準見直しへの取り組みなどを新たに盛り込んだものの、結びの文言も昨年のままだ。
 加藤勝信官房副長官は8日の記者会見で「犠牲者を悼み、平和に力を尽くす決意を述べたもので、その姿勢は昨年も今年も全く変わりはない」と擁護。「この1年間の(政策の)進捗(しんちょく)を盛り込んでおり、同じものではない」と反論した。
 だが、広島県原爆被害者団体協議会(金子一士理事長)の大越和郎事務局長は取材に対し、「被爆者や国民を冒涜(ぼうとく)している」と批判した。

via: 安倍首相原爆忌あいさつが波紋=ネット上で前年酷似と指摘 (時事通信) – Yahoo!ニュース

 

これは結構重要な問題で、安倍が悪いかどうか以前に、ぶっちゃけ問題として大方70年も同じようなことをテーマに追悼し続けて、何のコンセプトの変更もなかったら結局コピペしなくても芯の部分でコピペと同じことしか言うことなくなるという現実なんだよね。

つまり簡単にいえば70年一日に同じことをし続けろと言ったって、祖母ちゃんや地元の年寄りにあーだったこうだったと聞いて育った俺ですら子供から大人になって、その我々からしか伝聞の手段がない次世代の子供は当然別な種類の希薄な感情しか持たなくなるってこと。

俗にいう「耳タコ」ってやつだ。

 

これは政治家だって同じ話で、安倍のおやじさん世代は自分たちが現役の時に本当にピカドンとなって、腰抜かすくらいたまげてひっくり返った「経験」があった。

そりゃ広島まで行ってビルが建ってるの見ただけで感無量だろうし、自ずと出てくる言葉も違ってくる。

自宅の山口まで帰るのだって、昔のとろくさい列車に乗って、鼻の穴を黒くしながら広島を通って、刻一刻街が生き返るのをその目にしたんだろう。

 

ところがその子供の世代はそれを目の当たりにせずに育ってきたわけで、思い入れも違えば当事者としての意識なんかもないってことを責められるものでもない。

 

逆に我々日本人が白人とかに「お前はオレたちの親父を攻撃して殺したんだろう」と言われたって『いやいや、俺は戦闘に参加してないし知りません』と思う。

これが昭和50年代位までは本当に殺しましたという犯人はそこら中にいて、「お前の親父も結構強かった」「ワシ等も白旗上げたんだからそんなこと言うな」というリアルな当事者感情があった。

 

こうして人間の心理は時代とともに移ろうものであって、それをフォローできなかったことがいわゆる反戦団体の大きなミスであって、それが世論の流れを変えてしまった根本的な原因だということを直視しなけりゃいけない。

ウォーヘッドの安倍を支援するかといえばしないけど、ピカドンに感情移入しなかった安倍が悪いかといえば俺はそうは思えない。

 

ぶっちゃけ、俺が子供の頃ピカドンがどれだけ恐ろしいか聞かされても、船や車で広島に行って、「え!?こんな遠くの街が燃える炎が見えたのか!!??」と思うまではっきり言って世界神話全集の読書感想文と大して変わらない程度の感情しか持ったことがなかった。

つまり同じ災厄でもそれを理解してもらうためのエクスペリエンスの部分は理解させたい方が用意しないとその辺の「認識」の溝は埋めようもないんだよ。

 

だいぶ前に、原爆資料館の前で白人の若い女が滂沱の涙を流してうずくまっているのを見たことがあるけど、まずまず彼らに加害者として背負って欲しい認識をもたせるアプローチには成功したんだろう。

では今の日本の為政者に加害者としてのアプローチを背負わせることができるかといえば、それは無理な相談だ。

加害者ではないし、歳のせいで当事者でもない。そしてそれを談義すれば必ず党派性をむき出しにしたイデオロギーのぶつけあいになって、それは不毛な結果しか生まない。

 

そして反戦団体の多くはそれを繰り返してネトウヨと百田・安倍ちゃん現象を生み出す土壌を自分で作り上げてきた。

 

でもそこをよく考えて欲しい。

あれが民族的な災厄でそれについて嫌悪感は持っている、これは右翼にせよ左翼にせよコンセンサスなのは疑う余地がないだろ。ここに党派性もイデオロギーも関係ない。

目の前の瀬戸内海は四国までつながっている。

 

瀬戸内海沿岸で生まれ育った昭和生まれの多くの人が、原爆が落ちて燃える広島の空の話を爺ちゃんや婆ちゃんから聞いて育っている。

そして皆大人になるまでに一度や二度は広島へ車や船で出かけて、この距離でそれが見えたということに衝撃を感じたことだろう。(鈍感な人や記憶力が悪い人以外は。)

 

つまりアプローチを変えたら誰にでも自分たちの気持ちを伝える方法があるのに、過去の被害者の地位に座り込んだまま工夫しなかった反戦団体の落ち度はデカイってことだ。

コピペした安倍ちゃんの無関心は悪いんだろうか?

俺はバカなやつだと思うけど悪いかどうかといえば悪いとは思えない。「今年もまたか」こう思われた方の落ち度に着目せざるを得ないと思う。

 

結局痴話喧嘩と一緒で、関心を引きたい方は工夫して関心を持ってもらわなければ人間の心は動かない。

山がある。海がある。原爆ドームや記念館もある。

1945年の12月末までに「ピカドン」のせいで死んだ広島の31万人の同胞、その後の被爆死者は「被爆者」「被害者」ではなくみんな個別の名前だって持っていた。

 

さて、どう組み合わせたら理解してもらえるのか?これを工夫するのはそれを使う側だ。マンネリズムこそ理解の最大の敵であり、無関心の母なのだ。

 

結論:被害者になることだって一種の戦いである。

 

 

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90km離れた対岸では最初に広島上空が黒くすすけて、
次に燃える炎で赤くなり、夜に真紅に染まったのを見た人が多数いた。
疎開してきて家族や友人を現地に残していた人はその日寝れなかったらしい。
「母さんは生きているのか」「姉さんは無事なのかな」
対岸でこう思った彼らの気持ち
「熱い」「水が飲みたい」「みんな死んでしまった」
燃える広島で絶望した彼らの気持ちを何故真剣に伝えようとしないのか?
それは語り部が彼らの代弁者ではなく自らの思想のアジテーターに成り下がったからではないのか?

 

 

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一番「変えなくちゃいけない」のはアプローチの仕方を間違えてあの民族的災厄をこう思われ始めている自分たちではないんだろうか?

 

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コメント

    • 熱斗茶浴
    • 2014年 8月 09日

    安倍首相も、手段はともかくとして平和のために自衛権とか言ってんだから、「平和のために」の総論部分でも独自性を出して話すべきだと思うんですけどね
    政治家が語らないんじゃ名義貸しと変わらないでしょう。肩書きの方がメインで、本人はおまけということになる。
    日露共同記者会見の時プーチンの放った皮肉が連想されます。

    • gundari
    • 2014年 8月 09日

    @熱斗茶浴 さん

    平和のための自衛権じゃないから仕方ないと私は思うんですけどね。
    だって深いことなんかどう見たって考えてないじゃないですか。
    本当に深く考えていたらセキュリティーダイアモンド構想が転覆した時点でもっと危機感をもってなにか考えてるはずです。

    結局は何も考えてないお神輿なので、私はそこを責めたって意味が無いと思います。
    だって責任は担いだ奴にあるんですから。

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