戦時災害の被災者にとって、たしかに太平洋戦争はまだ終わってないだろう。
命尽きる前に権利のあるものが提訴するのは至極当然の話であって、都合の良いことしか探せないネトウヨは黙っていれば良い。
日本は終戦で政府が無くなったみたいに錯覚してる奴は多いけど、実は政府はなくなってないという見方を現行の日本政府はとってるわけで、帝国から民主主義国家(帝国も民主主義国家だっただけに意味がわかりにくいけど)に制度的に移行しただけで、戦争当時の債権債務は引き継いでると言われてもこれはじつはしょうがないんだな。
で、太平洋戦争開戦後に、日本政府は「戦時災害保護法」というのを定めていて、空襲、強制疎開、傷病、商業的損失に関して戦争終結後に保障することになってたんだなこれが。
で、それが終戦後、昭和27年だったかに有耶無耶になったまま軍人恩給とかに入れ替わっていったわけで。
つまり、日本政府は政府としての形骸を継承しておきながら、戦時災害保護法だけは無かったことにしてホッカムリし続けてきたわけで、一般人が戦争の余波で家を失い、両親を失い、故郷を失い阿鼻叫喚の地獄絵図の中で財産を逸失し、飢えに苦しんで這いまわってきたことをまるっきりなかったコトにしている。
そしてそのかわりに”朝鮮人”にはたんまり金を払って、”支那人”にもODAとかで死ぬほど金払ってきたわけだよ。
(やっぱこのスレで喚いてるネトウヨって「シナチョン」が心底大好きなんだな。日本人相手より優先して金を渡して喜んでんだから。)
だから、仮に戦時災害保護法の枠組みで見た時に、その権利を主張し得る人が入っているのであれば、これは政府の今まで68年間も国民を欺き続けてきた欺瞞に一石を投じるものであって、俺はぜひやるべきだと思っている。
日本政府の継承性については、みんなうすうす気づいていたと思うけど、「第◎◎代内閣総理大臣に就任しました」と言う挨拶をどの総理も行ってるわけだけど、安倍総理で第96代目。これはつまり伊藤博文から起算して第96代なのであって、日本政府は明治時代から連綿と続いているということに関して自らそう主張してるわけ。
その政府が過去において、戦争の正当性を国内で補強するために制定した戦時災害保護法を、一旦立法しておきながらなかったコトにするというのは、欺瞞以外の何物でもないわけで。
また、この被災者にとって都合の良いことに、第96代内閣総理大臣の安倍総理は「戦後レジームの打破」を訴えかけてるわけで、その戦後レジーム自体が、児玉誉士夫みたいな旧軍の特殊軍属の政治への容喙を許容し、鈴木貞一・瀬島龍三といった百姓上がりの旧軍のクズ共をつけあがらせて、なおかつ職業軍人だけ年金を割増支給したりして手前勝手な焼け太りを許したこと、正力松太郎や岸信介のようなアメリカの工作員・傀儡が政治とプロパガンダを行ってきたことそのものを指している。
そういった「異常な戦後レジーム」を打破するのであれば、今まで日陰で扱われてきた招集軍人と戦時被災者への保障を行うなんて当然のことだろう。
ネトウヨの大好きな安倍ちゃんも「国民の皆さん、ようやく戦後レジームを打破できます。素晴らしい、ニッポンは世界一です!!」と大感激するだろうよ。
結論的には、俺は戦時災害について、保護するのか、しないのであれば謝罪を改めて行うか日本政府はけじめをつけるべきだと思う。
自らの選択の結果とはいえ、威勢のいい掛け声に踊って戦争を受け入れ、焼け出されて塗炭の苦しみを味わった女子供に、非軍属。落とし前だけはしっかりつけなきゃあまりにかわいそうだよ。
公職追放者一覧(wikipediaより。職業軍人は記載せず)
この中にそういった焼け太りや、戦犯での起訴を免れて毛唐に魂を売ったものがたくさん居る、というリスト。
戦後レジームと職業軍人の焼け太りは彼らがこそ産みだしたと言っても過言じゃない。
政界
- 赤尾敏 – 1951年解除後、大日本愛国党総裁に就任。
- 赤城宗徳 – 護国同志会の会員であったため、1946年1月から1951年8月まで公職追放。追放解除後、農林大臣、官房長官、防衛庁長官などを歴任。
- 池田成彬 – 三井合名理事、日本銀行総裁、第1次近衛内閣大蔵大臣、1945年A級戦犯容疑者に指定。翌年指定解除になるが、公職追放される。1950年追放解除を果たせぬまま死去。
- 石井光次郎 – 衆議院議員。戦時中、朝日新聞の取締役を務めていたため、衆議院議員転身後の1947年、商工大臣在任中に追放。1951年に解除されると、朝日放送社長を経て政界に復帰。後に衆議院議長。
- 石橋湛山 – 政治家、ジャーナリスト。戦前からの東洋経済新報社主宰を理由として、大蔵大臣在任中の1947年に公職追放。戦時中も一貫して軍部を批判し続けていた石橋の追放には厳しい批判が続出した(石橋が反GHQであった、名声を高めている事に対する吉田茂の追い落とし工作であるなどと憶測も飛んだ)。1951年追放解除。1957年に内閣総理大臣に就任。
- 石原莞爾 – 陸軍軍人、満州事変を指揮した人物。極東国際軍事裁判山形県酒田市出張法廷で重要参考人として出廷したが、石原の主張は極東国際軍事裁判を認めず、そしてトルーマンとマッカーサーを批判した為と軍国主義者と理由で1948年(昭和23年)1月に追放され、翌1949年(昭和24年)8月15日に追放解除しないまま死去。
- 市川房枝 – 婦人運動家、参議院議員。大日本言論報国会の理事であったため。1947年に追放。1950年、追放解除。
- 植村甲午郎 – 農商務官僚、のち企画院次長。国家総動員法制定を指揮。日本経済連合委員会(現・日本経団連)会長在任中の1947年追放、1951年解除・復帰。
- 大達茂雄 – 小磯内閣で内務大臣。1946年追放、1952年解除。復帰後は第5次吉田内閣で文部大臣。
- 緒方竹虎 – 朝日新聞主筆。小磯内閣情報局総裁。1945年A級戦犯指定(のち不起訴)、翌年公職追放。1951年解除。第5次吉田内閣副総理。
- 小倉正恒 – 住友の6代目総理事、第2次近衛内閣で国務大臣、第3次近衛内閣で大蔵大臣。1951年に追放解除。
- 唐沢俊樹 – 内務省警保局長、阿部内閣で法制局長官、貴族院勅撰議員。東條内閣で内務次官。天皇機関説事件や大本弾圧に関与。1951年に追放解除、第1次岸内閣で法相。横浜事件を陰で指揮したもと言われる。
- 渋沢敬三 – 日本銀行総裁、幣原内閣で大蔵大臣。渋沢栄一の孫。1946年に追放、1951年、追放解除。
- 膳桂之助 – 経済安定本部総務長官、物価庁長官。1947年第1回参議院議員通常選挙で当選するが、その直後に公職追放され、当選を辞退。1951年8月追放解除、同年11月25日死去。
- 灘尾弘吉 – 終戦時の内務次官。1947年に公職追放。1951年、追放解除。のち文部大臣、衆議院議長。
- 羽田武嗣郎 – 朝日新聞記者を経て政治家。戦時中は大政翼賛会に参加。1952年、追放解除。羽田孜元首相の父。
- 鳩山一郎 – 政治家。統帥権干犯問題を発生させて軍部の暴走を招いたことによる。1946年に追放、1951年に追放解除。1954年、内閣総理大臣。
- 東久邇稔彦 – 陸軍大将、内閣総理大臣。1947年皇籍離脱、その直後に梨本守正ら軍歴のある元皇族とともに公職追放、1952年追放解除。
- 町田忠治 – 立憲民政党総裁。農林大臣。戦時中は翼賛政治会顧問。1945年日本進歩党総裁に就任するが、1946年1月公職追放。同年11月12日死去。
- 松野鶴平 – 立憲政友会幹事長。米内内閣鉄道大臣。1946年公職追放。選挙区には三男頼三 が身代わり立候補。追放中は吉田茂の政治顧問。1951年追放解除。翌年の参議院補欠選挙で政界復帰。のち参議院議長。
- 松本治一郎 – 政治家、部落解放運動活動家。1946年に公職追放されるが一旦解除、しかし1949年に再び追放。1946年の追放理由は翼賛選挙で推薦議員だったためで、1949年の追放理由は参議院副議長としての「反皇室的」言動が吉田茂に睨まれたためといわれる。1951年追放解除。
- 三木武吉 – 報知新聞社社長。1942年の翼賛選挙では非推薦で立候補して当選。1945年の日本自由党の結成に参加。翌年の総選挙後、衆議院議長に内定するが、第1次吉田内閣の成立直後に追放。1951年に追放解除。
- 河野一郎 – 朝日新聞記者を経て政治家となる。1942年の翼賛選挙では非推薦で立候補して当選している。1945年の日本自由党の結成に参加。第1次吉田内閣の成立直後に追放。1951年に追放解除。
- 山崎巌 – 東久邇内閣で内務大臣。治安維持法廃止を拒否したため罷免命令を受けると共に追放。1951年解除。のち自治大臣。
経済界
- 足立正 – 王子製紙社長。
- 石田礼助 – 三井物産代表取締役、追放解除後、日本国有鉄道総裁。
- 二代伊藤忠兵衛 – 伊藤忠商事並びに丸紅の基礎を築いた実業家。1947年9月に公職追放、1950年10月に追放解除。
- 小平浪平 – 日立製作所社長。1951年6月、追放解除。
- 小林一三 – 阪急電鉄創業者。第2次近衛内閣で商工大臣、幣原内閣で国務大臣。1947年に追放。1951年追放解除。のちに東宝社長。
- 五島慶太 – 東京急行電鉄社長。東條内閣で運輸通信大臣。1947年に追放。1951年、追放解除。
- 下中弥三郎 – 平凡社社長、大政翼賛会発足に協力、大日本興亜連盟役員。1951年追放解除で平凡社社長に復帰。
- 田中正明 – 大日本興亜同盟職員、松井石根の中国訪問時に随員。復員後は南信時事新聞編集長。1949年に追放。
- 堤康次郎 – 西武グループの創設者で総帥・衆議院議員。1946年に公職追放される。1951年に追放解除され、次の年の衆議院議員総選挙で衆議院議員に復帰する。後に衆議院議長。
- 松下幸之助 – 松下電器産業社長。1946年に公職追放、松下電器労組と連合国軍最高司令官総司令部の交渉の末、翌年の1947年に追放解除。
- 大河内正敏 – 貴族院議員 理化学研究所の3代目所長。1945年A級戦犯として収監。1946年- 1951年8月6日まで公職追放。
教育界
- 小野清一郎 – 東京大学法学部教授(刑法)。1946年から1951年まで追放。
- 紀平正美 – 学習院教授。国民精神文化研究所役員だったため公職追放され、追放解除されないまま1949年死去。
- 木村秀政 – 東京大学教授(航空力学)。戦時中、軍用機の開発に関わったことが問題視された。日本大学教授(後に名誉教授)。
- 平泉澄 – 歴史学者、東京帝国大学教授。皇国史観の権威。1948年公職追放、1952年追放解除。
- 松前重義 – 東海大学創設者。1946年に公職追放、1950年に追放解除。
- 山田孝雄 – 国語学者、神宮皇學館大學学長。公職追放は1946年、追放解除は1951年。
- 西谷啓治 – 日本の哲学者・宗教哲学研究者。京都学派に属する。公職追放後、京都大学文学部名誉教授、文化功労者。
- 宮川米次 – は、日本の医学者、病理学者、細菌学者。愛知県豊橋市出身。医学博士。東京大学名誉教授。東京帝国大学伝染病研究所所長を務め、伝染病・感染症の拡大防止、撲滅などに寄与した。公職追放され、後解除。
- 板沢武雄 – は、日本近世史、日蘭貿易史を専門とする歴史学者。元東京帝国大学教授、法政大学教授。1948年1月から公職追放。1952年法政大学教授となる。
- 杉靖三郎 – は、1928年東京帝国大学医学部卒。橋田邦彦の下で電気生理学を専攻。日本的科学に賛同し1941年国民精神文化研究所文化部主任。1947年3月 – 26年8月 公職追放。1946年 – 1951年 医学書院 編集長 1952年 – 1969年東京教育大学教授。戦後、公職追放になったが、セリエのストレス学説を紹介し、セックス評論、大衆医学知識の領域で活躍した。
- 西田直二郎 – 歴史学者としては「文化史学」「文化史観」の提唱で知られる。政治・思想においては保守的であり、滝川事件後の新聞部長に就任、新聞部内で高まりを見せて いた自由主義擁護の風潮を押さえる側に回った。戦時中は国民精神文化研究所所員として戦意高揚に努めたが、これらの経歴が戦後の公職追放処分の理由になっ た。
- 八木秀次 – 八木・宇田アンテナの開発者。電気工学者。戦時中は内閣技術院総裁。1946年大阪帝大総長に就任するが、その直後に公職追放。追放中は日本アマチュア無線連盟会長。1951年追放解除。同年日本学士院会員になる。
マスコミ
- 加藤謙一 – 講談社「少年倶楽部」編集長。後に学童社を創立し「漫画少年」を発刊。手塚治虫らを育てた。
- 菊池寛 – 作家、大映社長。内閣情報部参与として文芸銃後運動を提唱。追放中の1948年に死去。
- 正力松太郎 – 読売新聞社長。1945年、A級戦犯容疑で逮捕。巣鴨拘置所に収容される。1947年に不起訴で釈放され、その後追放される。1951年、追放解除。
- 徳富蘇峰 – ジャーナリスト、思想家。1945年にA級戦犯指定を受ける(不起訴)。のちに追放を受け、1952年解除。
- 前田久吉 – 大阪新聞社長、及び産経新聞創刊者。「大阪」での戦意高揚のため。1946年から1950年10月まで追放。
- 松本重治 – 日本のジャーナリスト。財団法人「国際文化会館」(東京都港区六本木)の専務理事。理事長。アメリカ学会の会長。1947年から公職追放。
その他
- 岩本徹三 – 日本海軍の戦闘機搭乗員。『最強の零戦パイロット』と謳われた名操縦士。追放後、北海道に移住し農業を営む。1952年の追放解除後、益田大和紡績会社に転職。
- 円谷英二 – 映画監督・特撮監督。戦時中に軍人教育用の「教材映画」、戦意高揚目的の「戦争映画」の演出・特撮監督を務めたため、1947年に追放され、東宝を退職。1952年の追放解除により東宝に復帰。
- 原田大六 – 考古学者。復員後、故郷の福岡県前原町(現・糸島市)で中学校の代用教員をしていたが、中国大陸で憲兵をしていたことから追放。その後、在野の考古学者に転身。
- 安岡正篤 – 思想家。大東亜省顧問。1952年に追放解除。
負け戦の当事者の焼け太りこそが戦後レジームの正体だろ。
そろそろ決着をつけるべき。
公職追放に関する覚書該当者名簿 (1949年)
↓関連記事↓
- 日本人はアメリカ人とトモダチになれるのか?4/4 名誉ある独立か 阿る従属か 2145870968秒の記憶
- 日本人はアメリカ人とトモダチになれるのか?3/4 火炎地獄沖縄戦 死者24万人、沖縄県民の怒りの根源
- 日本人はアメリカ人とトモダチになれるのか?2/4 日本人強制収容とウィリアム・ハースト、ラルフ・カー元コロラド州知事と白人ヒステリー
- 日本人はアメリカ人とトモダチになれるのか?1/4 神戸大空襲は、米軍の「無差別」爆撃ではない…「住宅密集地・住民を標的にしたもの」「無差別という言葉、空襲の本質を見失う」
- 靖国参拝見送り 安倍総理「ネトウヨの皆さん、私はあなた方の脅かしには断固として屈しない!中韓の気持ちを考えれば痛恨の極み」
毎日15時に更新したニュースを再整理して配信しています。
時折、公表に差し支えるのある裏情報なんかも記載します。
↓良かったら登録してください↓
国に対し謝罪と1人当たり1100万円の損害賠償を求めて那覇地裁に集団提訴した。
現地で空襲や艦砲射撃を受けた被害者や遺族ら101歳から67歳まで24人が原告となった。
同日午前の集会で、弁護団長の瑞慶山茂弁護士は「住民を切り捨てるものとして南洋の戦争から
沖縄戦まで続いていることは明らかだ」と強調した。
瑞慶山弁護士によると、移民先での戦争被害を理由に国家賠償を求める訴えを起こすのは全国で初めて。
ソース
沖縄タイムス http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-08-15_52931
現地を空襲や艦砲射撃した米軍を起訴するのか。
度胸あるな
ぺっ
詳細がさっぱり判らないけど、
いままで誰もやらなかったマヌケな事をやったのが、そんなに誇らしいのか?w
町金相手の過払金訴訟が一段落しちゃったんで、弁護士も次の飯の種を探すのに必死らしいから、可能性は高いと思われる。
日本はほとんどの国とサンフランシスコ講和条約で賠償済みなんだから
文句があるなら自国の政府に言えよ。
あ、また日本の売国左翼弁護士の煽動か。
53000円×24=1272000円
よくこれだけのお金集めたもんだなぁ・・・(´・ω・`)
またこいつか。
糸数とも繋がりがあるみたいだから根っからの反日だな。
琉球新報 2010年12月10日号
10・10空襲救済へ 10万人署名 被害者の会、立法求め
ttp://www.ntt-i.net/kariyushi/1010kusyu.html
そもそも日本国民なのか?
戦争による被害は国民が等しく引き受けねばならんのではないか?
戦争当事に生きてた人間は戦争責任もあろうし
今の若い人間の納税金から賠償を貰うのは筋違いではないか
俺ら関係ないし、むしろお前らのせいで今もこれからも子供も世界から責められる
むしろ賠償して欲しいくらいだ
占領軍は日本人に共和制をプレゼントするほど心優しくなかったし、日本軍による日本人に対する戦争犯罪を東京裁判で問うこともなかった
って事は、その極悪非道に加担した連中が国に損害賠償????
反日左翼の理論おかしくね????
それか終戦の年に生まれたか・・・・・記憶有るの?何の精神的被害なの?
艦砲射撃でバカになったの?死んだの?
終戦から68年だ
2013-1945=68
俺も思った
なんだこいつ
これってどうせ、裁判乱立して、一度でも地裁が通ったら大騒ぎするパターンだろ。
やってることはオレオレ詐欺とかわんねーなw
まー乗っかる年寄もアレなんだが。
おまえらが取ろうとしてるのは子供や孫世代の為の金だってわかってんのかね。
終戦後生まれに変わりはないね
職業軍人以外の徴兵日本兵は
全員訴えろってことか?
自決しろよ!
戦死者の遺族に保証を、というならわからんでもないが
いい加減日本のサヨク弁護士を逮捕しろよ。最近だって犯罪者をかくまったアカ弁護士がいただろ。
戦後の米軍相手の国家管理売春のそれも忘れるな
家の財産も帰ってくるなw
接収されて、今は駅に
なっちゃってるけど
1000坪程あったらしい。
労力、時間、金を考えると訴訟という方向にいきにくいと思うんだが
戦争関連で訴える人達って毎年なんらかの訴訟起こしてるよね
どっから金湧いてくんの?
日本人じゃねーな バカサヨは 死ね 言論論争じゃ
人生の最後に怨念の炎を焚き付けて燃料注いで、利用する。
101歳で訴訟とか判断能力ちゃんとあるのか?
所詮沖縄人はこんなものか・・・。
あの戦争で甚大な被害をこうむったのはあなた方だけではないよ。
本土の人だってひどい目にあった。
けどこんな訴えはおこさんよ。
どこまでいってもたかり根性ばかり。
沸いてくるクソコメ、踊るクソリプ。年単位でつきまとうネットストーカー。
日本有数のネトウヨ・キチガイ・ネットトロルウォッチャーです。
主に経済・哲学・ライフハックを扱います。
コメント欄は日本有数の保守(ホモ)、ネトウヨ、ネットトロル博物館となっております。
義務教育で学び損なったらどこまで悲惨な人間に育つか?
子育て世代の貴重な見本がコメント欄に大量に所蔵されています。
不思議の国の保守(ホモ)の皆様