死んだら死んだで善人ごっこの道具にされる悲惨なイジメ被害
愛知県警によると、生徒は1日午後4時ごろ、地下鉄鶴舞線の庄内通駅でホームから転落。入ってきた電車にはねられ、間もなく死亡が確認された。
市教委によると、自宅の生徒の部屋から「学校や部活でいじめが多かった。部活で弱いなと言われていた」「もう耐えられない。だから自殺しました」などと書かれた遺書が見つかった。生徒は卓球部に所属していた。遺書は手書きの1枚で、机の引き出しから見つかった。家族への感謝の言葉も記されていたが、いじめていた人を特定するような記述はないという。
生徒は1日、家族と昼食を食べた後、午後3時ごろ、「ドーナツを買いに行く」と言って外出した。遺書はその直前に書かれたとみられ、自殺前に見つけた家族が携帯電話に連絡し、「いじめ大丈夫か、お前」と尋ねたところ、「大丈夫、大丈夫。冗談だ」と答えたという。
いじめ自殺って、25年とか30年前はめちゃくちゃ珍しい事件で、それこそワイドショーで大騒動していたもんだったけど、今時は社会の可視化が進んでニュースに出ることが多くなったのか頻繁に目にするようになったね。
ニュースに出てないだけでいじめ自殺は昔から沢山あったのか、それとも自殺するという選択肢を選ぶ人が時代的に増えたのか?
まぁそれなりの人数が昔から自殺してたんだろう。
いじめがなくなるかなくならいか?
これはもうどうしょうもない問題で、人間はいじめを楽しいという精神構造を持った生き物である以上人間が作るコミュニティーといじめというのは基本的に不可分の問題だろう。
いじめっ子に犯罪であるということを教えれば、とか眠たいことを言ってる奴が山ほどいるけど、最後に自殺するかもしれないと頭の何処かで認識していじめてる奴にそんな眠い話は通用しない。
やってることが悪質かどうかくらいやってる奴にはバッチリ認識があって、怖いから直視できなかったとしても、薄々頭の何処かでリスクや危険性を網羅してだましだまし抗いがたい「自分より劣ったものを傷めつける」「自分より優れたものを辱めたい」という快感に流されている。
つまり悪いかどうかくらい当事者はしっかり認識してるわけで、それでもなお犯罪という側面でいじめをストップしたけりゃ、司法の立証のステップをいじめに関して変更して、容易に少年院に送り込めるようにするくらいしか方法はないだろう。
犯罪だと認識しようがどうしようが、それで結果的に人が死んでも殺人罪は適用されないし、実行為を裁判所が認定して刑事責任を取らせる仕組みはない。
その上でいじめという問題で皆気がついてないけど、一番悲惨なのはどのステップにおいても基本的にやられたもの負け、やられることで背負うものがおもすぎるというのが最大の問題点だろう。
世の中のほぼすべての論調が、「いじめられっ子にだけ」あれこれと問いかける。
なんでいじめの被害者側が変わらなきゃいけないのか?
本人はそう思ってるに違いない。
いじめっ子を排除する論理を働かせようとする奴はいない。
みんな気持ちよさそうな顔で自分が善人だと確認しながらいじめられっ子に語りかける。
「学校に無理していかなくてもいいんだよ」
結果的に普通の学歴ステップから滑り落ちて、派遣社員になってもそいつらは責任を取らない。
冗談じゃねぇと思ってるだろう、本人は。
「学校に行かなくていい」「逃げてもいい」全く守られないいじめ被害者の『日常』
いじめられっ子を救済するので何が一番難しいか?
これは基本的に彼らの日常生活を壊さずに維持していくことが難しいということだ。
転校して逃げるとか、学校に行かないとか、いろんな対処が膾炙される一方で、彼らが引っ越しもせず学歴も失わず、知らない学校に行かなくて済む方法は実はあんまり提案されない。
いじめられっ子になった途端、問題解決をするために彼らの日常は根幹から破壊されることがほぼ既定路線になっているのが今現在の社会だろう。
しかしいじめられっ子は内心こう思ってるんじゃないか?
「なんで僕が生活を変えなきゃいけないんだ?」と。
本筋で言えば、いじめられっ子に少々問題があったとしても、限度を超えた状況になったらいじめた方のやつを隔離するほうが優先なんじゃないか?
全般的に犯罪になる行為やそれに等しいハラスメントはやった者勝ちの側面がある。
痴漢にしても行為を既遂にした時点で性的欲求に満足している加害者の姿があるし、いじめにしても「うざい芋野郎」の排除に現在の仕組みではいじめっ子のほうが成功している。
いじめられっ子が壁に突き当たって自殺するまで行くのは、自分の日常を守れないと悟った事に起因してるはずだ。
「解決しようとすれば転校する(登校拒否する)しか無いのか」と悟って、日常がもう戻ってこないと悟って絶望する、多分こういうステップを経て精神が折れて死ぬまで行くんじゃないかと思う。
つまり、皆が善人面をして問いかけるのはいじめられっ子ではなくいじめっ子の方だろうってことだ。
なんで学校でえらい目に合わされた挙句、何一つ悪いことをしてない(そうでもないかもしれないけど。)奴が周りじゅうから鍋みたいにつつかれるのか?
これほどストレスになることもないはず。
そして自分が満足するまで善人面をして語った奴は、最悪の環境を何一つ改善しないままいじめられっ子を放置していく。これも立派な嫌がらせの一つのような気がする。
いじめられっ子を何回か助けて心底思ったけど、殆どの場合いじめられっ子にはいじめられるだけの理由はある。
まず謝ったり感謝したりという基本的な表現が彼らはあまり上手ではない。
むしろ上手どころか殴ったろかと相手を思わせるに十分な欠点を持っているがゆえにいじめられている。
その辺を改善する協力をせずに登校拒否をする権利を語ってどうするんだろうか?
いじめられっ子の救済で難題の一つになるのが、助けてやろうと思ったら彼らと友達になる必要があるってことだ。
いじめは学校の中だけではなくて学校の帰り道や家に帰ってからの遊びの時間でも発生するし、むしろ人目につかないところでは内容はエスカレートする一方だ。
それを防止したかったら学校から一緒に帰るメンバーにいじめられっ子を混ぜてあげないと助けられないし、いじめっ子も「面倒な奴」と友達じゃない関係だと判断すれば陰湿ないじめはやめない。
陰湿な性格なだけあって連中はその辺にものすごく素直に反応する。
特攻の拓に出てきそうな連中にいじめられっ子が混ざって、週末にどこに釣りに行くか盛り上がったりしていたらその場でいじめ中止。二度とやらない。
つまりそういう関係を築けない人間性を起点にしていじめが始まっている以上、いじめられっ子に友達を用意してやるのは必ず必要不可欠なことなわけであって、本当にいじめられっ子を心配するのであればそこをどうするかまじめに考えないとお話にならない。
善人面をした奴が無責任に、将来発生するリスクを無視して登校拒否の権利を語りだしたあたりでいじめられっ子は絶望するだろう。
つまんない話を聞かせるくらいなら、ヤンキーとも優等生とも共有できる趣味の一つくらい教えてやるのが一番解決の近道の気がするんだが。
■劇作家・鴻上尚史さん
あなたが今、いじめられているのなら、今日、学校に行かなくていいのです。
あなたに、まず、してほしいのは、学校から逃げることです。逃げて、逃げて、とことん逃げ続けることです。学校に行かない自分をせめる必要はありません。大人だって、会社がいやになったら、会社から逃げているのです。
次にあなたにしてほしいのは、絶対に死なないことです。
そのために、自分がどんなにひどくいじめられているか、周りにアピールしましょう。思い切って、「遺書」を書き、台所のテーブルにおいて、外出しましょう。学校に行かず、1日ブラブラして、大人に心配をかけましょう。そして、死にきれなかったと家にもどるのです。
デタラメ法知識を開陳する道具にされるいじめ被害者 死んでも善人ごっこの道具で使われるだけ
結局のところ、いじめ自体に嫌悪感を持っている人々と、いじめられっ子に同情的な姿勢を示して暇つぶしがしたいだけのやつをはっきり区別して、偽善者には黙っていろと言える環境のほうがいじめ解決には必要なんじゃないだろうか?
頭の薄い奴が寄ってたかって適当なことを言う一方で、いじめの加害者側は被害者の同級生にせよ教師にせよ、それが犯罪となるまでの線を巧妙に観察しながらギリギリの線で被害者を追い込むギミックを考え続けている。
偽善者が馬鹿っぽいことを考えてでたらめな法知識を披露している横で、そういう原始的な人間の悪意はむしろ騒動を隠れ蓑にして新しい面白いいじめを考案しているのだろう。
学校に行かなくていい権利を、高校に行く権利とか高校を卒業する権利と引き換えにする根性があるやつはいじめられっ子になる前に不良になっている。
出来もしないことをしたり顔で語って解決に一歩近づいたような錯覚で満足する奴は首吊りの足を引っ張ったり、電車に飛び込み自殺する背中を押しているのと殆ど一緒と言っても過言ではない。
自我が薄弱なゆえにガキの殆どは他人と違う人生を歩む覚悟なんか出来ないんだから。
実際問題、登校拒否を決断させてその後の「普通の人生」を諦める覚悟をさせるのと、気持ち悪いゴカイを素手で触れるように、海に連れて行って釣りを教えるのとどっちが簡単なんだろうか?
登校拒否児の実態を時々NHKで放送しているけど、ああなれという提案をいじめられっ子にするってのは、突発的事情で一文無しになった女性に「体を売ればすぐに食事にありつけます」と提案しているのと何一つ変わらんだろう。
偽善者づらする時間に、歳の差があってもいじめに悩んでいる子がいれば釣りでも教えてやればいいんだろうし、女同士なら化粧の仕方やセンスのいい服の選び方でも教えてやったほうが100倍役に立つ。
いじめの解決に最高の処方箋は、腕っ節の強い奴と趣味友になることだったり、モテる女になったり、大人の友だちがいるガキになることだ。
そろそろ当事者にとって現実とかけ離れた提案をする前に、なにか違う対策を考えたほうがいいんじゃないか?
学校や教師にクレームを入れたり登校拒否の権利を提案する一方で、自分の時間を割いてガキを外に誘うやつが誰一人いない現状は悲惨としか言いようが無いだろう。
どの動物の群れにせよ、いじめられるのは孤立した個体だという現実を直視しないかぎり、抜本的な対策は考え出せない気がする。
法律よりでかいブラックバスや珍しい魚のほうがいじめられっ子にとって役に立つ現実があって、偽善者のとんでも提案より2,3人の親友の方がいじめをはねつけたりするのが現実なんだから。
イジメは証拠を揃えて弁護士に依頼するのマジ確実なので これはもう常識化するべきですのよ。 ついでに訴状を 『教師の分は学校宛て』 『イジメ実行犯の分は相手の親の職場宛て』に届けると 効果が何倍かになるのでマジおすすめですの。
— ヤク物 (@nezikure) 2014, 10月 6
@ma_ryan007 民事裁判にかかる費用は物凄く安いですし、裁判にかかった費用も相手に請求できるので 証拠固めが確実なら、対してビビることはありませんわねぇ… もし裁判をお考えなら、実際の費用なんかも弁護士さんが詳しいので 無料相談からあたってみてくださいましなー — ヤク物 (@nezikure) 2014, 10月 6
@ma_ryan007 民事なら訴えを起こしてから数日で裁判になり、決裁にかかる時間も30分くらい(※場合によっては極端に前後する)ですから非常にスピーディ。 相手が結果を不服としても、事実関係が確実なら都度ごと上の裁判所でその繰り返しですわねー…
— ヤク物 (@nezikure) 2014, 10月 6
@ma_ryan007 とりあえず一番最初に弁護士さんに相談するところから始めたほうが良いと思いますのよ。 一番手間がかかるのも、一番重要なのも、基本的には 『事実関係の証明を含めた証拠を揃える事』ですの。 そこら辺を綺麗に纏めて『提出する証拠』にするコツは専門家が詳しいですの。 — ヤク物 (@nezikure) 2014, 10月 6
.@nezikure 弁護士です。住所がわかっているのに職場に訴状を送るというのは権利行使に不必要な単なる嫌がらせであって、許されないから弁護士も裁判所もやってくれるはずないんですが、どうしてこんな嘘を書いたんですか?
— ystk (@lawkus) 2015, 7月 8
.@nezikure 何がどう違うんですか。 — ystk (@lawkus) 2015, 7月 8
@lawkus 一応その辺のことについては別途つぶやき済みてあるのと 確認も何もなくいきなり、しかも弁護士であられる方でありながら いきなり人を『嘘つき』扱いする方に 説明の必要を認めませんのよ… 当方、貴方の部下でもなければ友達でも知人でもありませんので
— ヤク物 (@nezikure) 2015, 7月 8
@lawkus その上で、他人を嘘つき呼ばわりするよりも 『間違ってる、こういうふうに対応すればより効果的にいじめに対処できる』という 知識と経験に基づいたご意見が頂けなかったことが、非常に残念ですのよ… — ヤク物 (@nezikure) 2015, 7月 8
@houritsuka こんにちわ、丁寧にご返信いただいてありがとうございますの。 親身になってくださる弁護士さんを探すのは本当に重要ですわよね…やんわり遠ざけられる事もありましたし… そういう遣り取りの中で、ケースに応じて打てる手段として 有効だったのでオススメしているですのよ
— ヤク物 (@nezikure) 2015, 7月 8
沸いてくるクソコメ、踊るクソリプ。年単位でつきまとうネットストーカー。
日本有数のネトウヨ・キチガイ・ネットトロルウォッチャーです。
主に経済・哲学・ライフハックを扱います。
コメント欄は日本有数の保守(ホモ)、ネトウヨ、ネットトロル博物館となっております。
義務教育で学び損なったらどこまで悲惨な人間に育つか?
子育て世代の貴重な見本がコメント欄に大量に所蔵されています。
しかし軍荼利さんも以前おっしゃったように法的にいじめを解決するのは難しいと思いますのでやっぱり第三者の介入は難しいですよ
個人的にはスポーツクラブなんかに入るのがいいと思ってますけどなかなか
いじめ問題に限らず、現実的な方法論と理想論、本筋論がごっちゃになってる議論って結構ありますよね。
30年前から学校は加害者を守る、被害者には救いの手は全くよこさない、部活動はいじめの温床、加害者は先生に守られ評価も高く点けられて社会に出ていく。
学校も社会も苦しい時には駆け込める、相談を受け付けて貰える場所が無いために、自殺者は絶望し、孤独の中で死を選ぶと考察します。学校でのイジメの解決には、カウンセラーを置くだけでは機能しないとも考えます。①に発見と把握が、②にその対策の為の連携がシステムとして必要不可欠ではないでしょうか?第一の”発見と把握”については、既に試みが始められているのかもしれませんが、『プライバシーを確保』した、月一の虐め調査用紙の回収方法も含め、目安箱や学校運営のWEBサイト上でも、同様にプライバシーを確保した非公開相談受付スキームを構築し、そこに連動した形で、学校内での心理カウンセラーによる記録と限定的な対処で対応を進めれば、状況の発見と把握の確率は格段に上がると考えます。追い詰められた中で逃げ出せず、最終的に自己の尊厳を守るために、自殺を選ばざるを得なかった人達も、プライバシーが確保され、きちんと相談が記録に残り、最善が尽くされ、少なくとも少しでも解決に向かい、事態が好転し始めるのであれば、彼らの生きる勇気や生への選択をも、後押しできるだけの結果を残せるのではないでしょうか?被害者がせっかくの決意と、勇気を振り絞って恥を忍んで相談をしたとしても、結局、解決に至らず、放置されて更に悪化していくだけならば、相談した意味は無くなりますよね。その為、第二の段階として、地域社会との連携が必要不可欠になると考えます。カウンセラーが的確に、支援を必要とする状況かを判断した後、その助けを役所を通じて迅速に関係各所に要請できる仕組みを整える。社会が広く信頼に値する場所であることを、社会自身が、虐めの加害者や被害者に対して特に示していくべきなのでは?主に学校内のカウンセラーと役所の連携となりますが、犯罪行為には警察を、精神疾患には心療内科を、その他該当者がこれから生きて行く、地域社会のまっとうな営みは、汗水を流す多様なコミュニティーによって支えられているという現実を、自治体が、世界は学校や職場だけではなく、広く、人々がそれぞれに持ち寄った、可能性の集積と関わり合いで織りなされている事実を、少しでも教え伝えていくべきなのではないでしょうか?優しさとは何かを、考える切っ掛けすらも与えられない教育とは、一体何を教え育んでいるつもりなのでしょうか文科省?教育とはなんですか?