実際の所、空海の唐行きなんか象徴的だけどその時代にはもう完全に大陸と直接行き来する航路は完成してた。
役小角は山岳修験道を日本にもたらしたけど(渡海はしてない)、日本の山岳修験道ってのが実は仙道の亜流だったりするわけで、すでにあの時代以前から密接なやり取りがあったってわけ。
道教を学んでないと出来ないことをやったわけだけど、それを体系立てて学べるほどディティールは日本に伝わってたわけで、かなりの行き来があったことを示唆してる。
つまりそれが文化的にミックスしていく時間も考えたら、役小角の時代から逆算して弥生時代あたりにすでに中国直通航路があったとしてもあんまり不思議ではないだろうと。
仮にその航路があったとすれば九州を通って直接文化は伝わってくるわけで、朝鮮を経由してないって話も何ら不思議はない。
むしろ、今まで何でもかんでも朝鮮経由で来たって頑なに信じていたとしたらそれがまずおかしい訳で、航法の進歩を考えたら当時100年単位でも大して劇的な進化もしてないわけで、むしろ普通にまっすぐ来てた可能性のほうがでかいってだれでも分かる話。
この発見された鋳型ってのは、格式の高い装飾品でもありそうな短剣を製造する物であって、それが滋賀県で見つかったってことは、ひょっとしたら邪馬台国の所在が本当はどこだったかってことの傍証になるのかもしれないな。
邪馬台国以降の日本の遷移を見てると、やっぱり邪馬台国は関西にあったんじゃないかって話のほうが腑に落ちるわけであって、この辺りを掘りまくったらそれらしい証拠はまだまだ出てくるのかもしれないね。
個人的には、航海でインドネシア・中国・日本の
トライアングルで色々やり取りしてたんじゃないかなと思うんだけどな。
歴史的な建築様式とかでも似てるものが結構あるし。
役小角―異界の人々
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滋賀県高島市の上御殿(かみごてん)遺跡で、弥生中期から古墳前期
(紀元前350年~紀元300年)とみられる、
国内初の双環柄頭(そうかんつかがしら)短剣の鋳型が見つかった。
県文化財保護協会が8日発表した。
柄の先に二つの輪が付き、剣身が直線状のデザインは朝鮮半島でも出土例がない一方、
春秋戦国時代(紀元前8~同3世紀)の中国北方騎馬民族が使った
「オルドス式短剣」と類似している。伝達ルートなど当時の青銅器文化に一石を投じる発見だ。
鋳型はシルト岩製で、2枚が重なった形で出土。いずれも長さ約30センチ、
幅約9センチで厚さは4センチ前後。柄と剣身を一度に鋳造するタイプだが実際に
鋳造した痕跡はなく、短剣自体も出土していない。
短剣は柄の先に直径2・3センチの二つの輪を持ち、剣身は直線。鍔(つば)がなく、
柄に国内の銅鐸(どうたく)に多い幾何学模様の「複合鋸歯(きょし)文」や「綾杉(あやすぎ)文」があった。
青銅器の短剣は国内では北部九州や瀬戸内地方を中心に出土例があるが、
剣身にくびれがあり、柄の部分と別々に鋳造している。
〈オルドス式短剣〉 春秋戦国時代の中国北方(現在の河北省北部、北京北部、
内モンゴル中南部)で使われていた青銅製の短剣。柄頭には向かい合う
2羽の鳥をモチーフにした二つの輪がある。
剣身が直線的で、全体を一体として鋳造するのが特徴。
イカソース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130809-00000006-asahi-ent
そういう話じゃなくて、
青銅器の文化は、大陸から半島経由して日本に流れてきたのではなく、
中国大陸から直接船を通じて流れてきたのかもって話だろ
中国大陸では出土例があるが、半島には出土例がない銅剣の鋳型が滋賀県から出てきたって話なんだからさ
まあ、実際弥生系日本人のルーツは半島じゃなくて、長江流域らしいけどな
そして日本から半島に倭人が広がって国を作っていたのが、進入してきた
騎馬民族系の穢族に追い落とされて今の半島になった、中国の史書には
百済などは王は扶余だが国民は倭人と書いてある。
関西じゃねーの?
古墳ありすぎでしょ
関西。
古墳の数と規模は関東も相当なもの
乙女が池ってのもあるぞ。
滋賀県には新羅系の人々が多いのだろう。
それは、三井寺の開祖・円珍が、唐に留学してた帰り道、
海で嵐に遭ったときに新羅の神様に救われたとかいう故事に基づいて祀った寺。
ただ、もともと近江って、天智天皇の息子・大津皇子が遷都したあたりからの歴史で、
そのとき新羅や百済の貴族とか王族とか、職人とかが亡命してたのが付き従っているから、
帰化人は相当数いたと思われる。
秦とか波田とか「ハタ」ってつく地名って、秦氏(帰化人)に縁があるところが多いし、
全国に散らばってる。
この秦氏なんて、何万人(確か9万人だったかな?)って言う規模で大陸から渡ってきてる。
当時の9万人って、結構な数。
>この秦氏なんて、何万人(確か9万人だったかな?)って言う規模
一度に船団で9万人も来たとは思えないのですが、どのような形式で渡来したのでしょう。
ある程度ルートが確定して、五月雨的にやってきてたのが、合計9万人に達した?
今在コリが多いのも朝鮮半島を植民地にしてたからだし、それは古代も同じだな。
先進国に流入してきてしまう。ただし、その2回だけ。
しかもごく一部。混血なんていうレベルでは全然ない。
実質、列島には異民族の流入は無いも同然。海があるから当然だわな。
日本の文化って、朝鮮由来のものより、
ベトナムあたりとか福建あたり、インドネシアあたりの文化の方が濃い感じがするんだよな。
京都の文化が、半島由来と思われるものが多いってだけで、
日本全体としては、京都の文化がかなり異質のような気がするな
京都奈良に多いのは仏教伝来して間もない時の物だよ、平安時代には、日本で作られてる物ばかり
仏教伝来時の仏像とか建築様式が半島風で、
なんとなく仏教関係の荘厳さというか、荘厳さ自体があのイメージってことになった
しかし、日本全体で言えば、そういう文化があまり広まらず、
畿内および京風にかぶれた一部にしか広まらなかったって感じじゃないか
「仏教文化」が大陸美術の影響下で
生活レベルのものというか、民俗学的な、もともとの土着文化は東南アジア系ってことなのかも。
仏教文化自体、当初は上流階級のものだから、庶民レベルでの文化的浸透はしにくかったのかもね。
陸続きの半島飛び越えて海を通って日本に伝わる、そこにどんな理由があるのか
船の方が、辺境の陸路より早くて蛮族に襲われる恐れもなく安全
特に荷物が多い場合
http://www.motoise.jp/main/top/
もともと、ここの神宝だったはず。
ここは5傍線(カゴメ紋)で有名で、やがてソロモンの封印がついに解放されるのかも知れない。
北方と南方の橋みたく考えればあり得ないことではないわな
当時は陸路より海路の方が早いのだろうし
昔は何でもかんでも朝鮮半島経由で日本に伝わったみたいに言われてきたけど、
実際には日本から朝鮮半島に伝わった文物も多いんだろうねぇ。
稲作の伝達経路だって、揚子江デルタ→日本→朝鮮半島南部→北部って方が
理に適ってるし。
漢字の経路も稲作同様に、
中国南部→日本→朝鮮南部
中国北部→朝鮮北部
だしな。半島は最後。
よほど人が通る場所じゃなかったんだろうな・・・。
そういえば、奈良時代の遣隋使が長安で学んだ漢音を伝える前に、日本には既に呉音が定着していたもんねぇ。
>よほど人が通る場所じゃなかったんだろうな・・・。
土地が痩せてて文明もなく、蛮族が跳梁跋扈するだけの人外の地ってイメージだよね。
だからこそ、楽浪郡のような開拓センターを設置して文明化を促進する必要があったのだろうけど。
半島は戦国時代には燕が領有していたし、西漢が楽浪郡・帯方郡を置いていたから、それはない。
北から浸透していったから、
出土するもののそれを反映してるはず。
朝鮮半島で出土する漢字のブツは、最古のものが最南端と北端。
つーか、大陸から日本に入ってくるものは全て半島経由という考え方はもう古いのでは?
↓
中国東北部(満州)
↓
沿海州
↓
船で交易
↓
三国湊
↓
畿内
伝来ルートはこうだな
結構衝撃だぞ
分銅:国内最古、てんびん用 弥生前期末、石製品11点
http://mainichi.jp/feature/news/20130608ddm041040051000c.html
紀元前400年に独自の単位持ったのが来てる
周の時代だな
春秋戦国時代に地獄の大陸から大量の移民が日本列島にやってきていた
徐福伝説も亡命譚の一つ
こういうことか
おお、これも凄いな
昨今の畿内での考古学の発見は激しいな
日本は朝鮮通り越して支那と交易してたからな
あっても不思議ではない
切ろうとしても、すぐにナマクラになって余り使えない。突きで刺せば結構有用?
それから重いので、もう鈍器と同じように使ったとか。
基本的に刀剣は地位の象徴
実戦は弓と槍が主体
鉄剣も戦闘に使われただろうが、ほとんど勝負のついた状況でのみ使われたと思われる
平安時代頃まで使われた直刀(大刀)は突きがメインで、折れやすかったという
日本でも大陸の文化が残っていた頃は石弓があったが、錆びやすい気候もあって廃れたな
竹を使った弓が発達して、鎧も鉄板から矢を通さない皮を重ねたものになり
直刀も馬上で使いやすい曲刀になるわけだ
普通に考えれば、そこで生産できてたってことだろう。
高級品過ぎて、余り実用にしてなかったかもしれないけど。
武器としては竹やりで刺した方が安くて早いとかね。
古墳だらけじゃん。
八尾~明日香、三輪山あたりは、
飛鳥時代以前の歴史ファンにはたまらんな。
見所が散ってて広すぎて回りきれないのが困りものだが。
騎馬民族説って、よくあるけど、
あれはその使用する馬ごと連れてやってきたのだろうか?
馬ごと海上移送するって、結構大きな船だったり航海技術必要ではないのかな。
騎馬民族征服王朝説の信憑性はともかく、傑作の黎明篇があの学説のおかげで誕生したことは江上先生に感謝したい
>鋳造した痕跡はなく、短剣自体も出土していない。
もしかしたら生産器具として輸入して、実際には作られなかったとかも考えられるわけか。
日本海側の交易路ってのも結構大きかったからね
つまり日本に稲作を伝えたのは墨家集団でしょう。
輸入でなく生産してた、てのが新しいのでは
出土したのは、剣そのものじゃなくて鋳型な
たまたま流れ着いたモンゴル人が持っていたとかじゃなく
大量生産していた証拠だもん。
やっぱり邪馬台国の起源じゃないの?
そして、彼らは神道も伝えた。
シベリア→樺太→北海道→本州日本海海岸線沿いに琵琶湖までやって来た
と言ってみる
科学て凄いね。
いや、半島と日本列島は断絶してることがわかってるよ
どこが?もろ朝鮮人から派生してるけど?
それ訂正入ってるから
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/26584569.html
え?なにが?
赤の他人ですけどw
どうだろうな。今半島にいるのは長白山大噴火の壊滅の後、
シベリアあたりから移動してきた奴とモンゴルが多いだろ。文化もそう。
古代三韓と今の朝鮮人はイコールではなく。古代三韓と日本人のつながりも微妙だな。
そもそも鋳造された形跡がなく、未使用状態なんだとか。
以前、どこかで鉄剣が数十本まとめて、鏡とともに埋まった状態で発掘されたことがあるし
鋳型の周囲に祭事に使った遺物が出そうで楽しみ
都合の悪い意見はスルーわろたw
系統図みせてよ?
訂正されたんでしょ?
どんなDNA系統図みても、これなんだが??
いや、学会で相手にもされないこじつけデータもある!というなら理解してあげるけど。
系統図あるの?これ以外に?
沸いてくるクソコメ、踊るクソリプ。年単位でつきまとうネットストーカー。
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