逝く者は斯くの如きか 白石徹


さらば四国の大蛇

 

衆議院愛媛3区選出の自民党の白石徹衆議院議員が、17日午前、東京都内の病院で亡くなりました。60歳でした。

白石徹氏は、愛媛県議会議員などを経て、前々回、平成24年の衆議院選挙に愛媛3区から立候補して初当選し、平成26年の衆議院選挙でも当選して現在2期目で、第3次安倍改造内閣で環境政務官兼内閣府政務官を務めました。

白石氏は、以前から体調を崩していて、最近も東京都内の病院に入院していましたが、17日午前10時ごろ、悪性リンパ腫のため入院先の病院で亡くなりました。60歳でした。

 

via: 自民・衆院愛媛3区の白石徹議員死去 | NHKニュース

 

衆議院議員の白石徹氏が死没した報せを受けたのが、丁度ぼんやりしている朝の時間だった。

長らく体調不良で寝込んでいる徹さん、きっともう選挙に立つことはないだろう、この春の別れになるという話題で酒盛りを締めくくった翌朝だった。

翌日全員解散して三々五々バラけるギリギリのタイミングの報せ、これも縁だったんだろう。

 

十人十色でざわめく事務所の奥にある主を喪った執務室で、徹さんがやり残した仕事の山や、大切に飾っていた写真を見ながら、あの大男がここへ帰ってくる事はもう無いのだと突如気がついた。

四国は最後の大物を失った。

 

迎えに行く道すがら眺めた十年一日に変わらない田舎の景色に、通り過ぎていく人々の足跡。

年年歳歳花相似、歳歳年年人不同。

 

春特有の嫋やかな風に、つくしや木々の花粉が優しく薫るまさに啓蟄の今時分。

兵どもの夢の跡とはこれの事か。

 

その今、天下だ国家だと大きな話で語られがちな白石徹さんの本当の足跡を書き残しておきたいと強く思う。

 

 

元祖ヘネシーメロン白石徹

 

白石徹を語る上で外せないのは、

・無類の大酒飲み

・無類のいたずら好き

・弱者、はぐれ者の味方

・天下一クラスのド迫力

・恐妻と家族愛、友情の権化

 

このあたりになるだろう。

 

諸君はメロンカクテルというシロモノが有るのをご存知か。

メロンを二つに割って、割れ目に酒を注いで飲むってやつ。

 

普通は割れ目に注ぐのはシャンパンのはずが、白石徹にかかったらブランデーになっていた。

つまりヘネシーメロンの元祖って事だ。

 

常識で考えて欲しい。

普通、ウィスキー・ブランデーの類を一本開けるだけで半日かかるってことくらい想像がつくはずだ。

一般的には一日で一本開けるのが限度だというのは薄々想像がつくと思う。

 

ところが元祖ヘネシーメロン、白石徹氏は全盛期にはそれを一気飲みでおかわりしていた。

あの相撲取り顔負けの飲み方はあの巨躯なくして実現できない飲み方だったろう。

 

何回かに一回は必ずサプライズでいたずらを忘れないのも特有だった。

まだ政治家になる前の頃、宝くじの当選番号の発表の時期だった。

 

突然突き出された新聞紙のコピーと、宝くじ。

一等当選したと思いきや、半日かけて新聞紙を切り抜いて自作したドッキリ。

あまりのクオリティーの高さに全員ひっくり返っていたのを思い出す。

 

多分、暇があるときは本業の土木建設業で模型などを自作していたのではないんだろうか。

カッターを使うのが異常に巧い人物以外あのクオリティーは実現できないだろう。

 

当時の年商100億円。

中央政界に顔がきく身長185センチの大男が、半日かけて新聞と格闘する姿を想像して今でも目撃者は笑っている。

 

世の中いい話ばかりじゃない、逆風だって吹いた。

でもいつもいつも、明るい酒だった。

あまり上手とはいえない歌を、楽器を自分で演奏して歌い出す。(ピアノとギターは巧い)

 

『楽器より仕事をしっかりせい』とイヤミを言っていたあんなやつやこんなやつも、もう聞くことがなくなったイマイチの歌を本当は今、懐かしいと思っている。

そして選挙でマイナスになるとどれだけ言われても、人が集えばやっぱり歌っていた独特の神経の太さが、今みんな懐かしい。

 

マホガニーが鈍く光るあのドアの、隙間からひょっこり顔を出す夢をこれから何度見るのだろうか。

 

逝く者は斯くの如きか 白石徹 politics domestic

 

 

弱者、はぐれ者の味方白石徹

 

外交と経済のイメージで語られる白石徹氏の実像は、政治的にはどうだったのだろうか。

基本的な事実として、彼は田舎者の大将なのであって、大げさな存在などでは全くなかった。

 

生まれついた田舎が国際的な取引盛んな製造業の街だったから必然としてそうなっただけで、結果を無視して実像を語った場合地元愛に満ち溢れた田舎の大将というのが最も正確だろう。

時代の波に抗ってわが町を守り抜く必然として海外に通暁し、経済政策にうるさい代議士になった。

 

本当の本当に注力していたのは、障害者政策、離島政策、そして行き場がなくなって陳情に泣きついてきた連中の救済だった。

検索サジェスチョンを見た限り、世間一般では白石徹はやばい筋というイメージらしい。

 

しかし、暴力団・金・宗教などというイメージと正反対にいる、障害者団体で白石徹はどう評価されているか。

ほとんど全員と言っていいほど、それこそ個別の障害者の親に至るまで誰ひとりとして白石徹に批判めいたことを言わない。

 

政治家になる前から障害者の団体に寄付を欠かさず、よだれで汚れた手と当たり前のように握手して、授産施設で作ったものを販売することに協力し続けてきた。

彼の故郷新居浜市は、虚飾抜きに評価すれば四国の北九州と言われてもしょうがないヤクザな街だ。

しかしそこには不文律として「ワルは弱い者に手を出してはならない」という掟がある。

 

ワルの街に生まれ大将として育ち代表者として立つ事が必然の人間が、本能としてどんなまともな評判の人間より熱心に弱い人間の救済に情熱を傾けてきた。

どれだけ魂胆を勘ぐられようが、どれだけずっこけるような結末に見舞われようが。

 

ある意味、悪評の殆どは陳情に訪れるどうしょうもなくなった連中によって作られたと言っていいだろう。

それこそその手の陳情は政治家になる前の、単なる土建屋の時代から続いていた。

 

自らの素行の報いでしのぐ道がなくなって、明日の飯も食えなくなった奴。

しょうもない商売で儲かって、調子に乗った結果ろくでもない連中に噛みつかれて顔面蒼白になったボンクラ。

得意技は嘘と忘八というしかない銀蝿のような選挙ゴロ。

 

月末の手形が落とせない、ヤクザに恐喝されている、息子がグレて手のつけようがない。愚にもつかない話が次から次へと降り注ぐ。

 

全員、駄目なのがわかっていてなお、「今困ってるんだししょうがないじゃないか」という単純明快な理由で出来る限りの支援をやり続けていた。

鼻つまみ者まで含めた代表を自分で請け負うような人間が今時いるのだろうか。

今の時代は自分に都合のいい部分の代表しかする気がないやつで世は満ち溢れている。

 

しかし白石徹氏はまさに代議士と言うにふさわしい街の顔だった。

距離が近い人間ほど、皆知っている。どんなに批判する人間でもその点だけは認めている。

あんなに熱心に人の世話をした人間は見たことない、と。

 

そしてどんなにワルで鳴らした連中でも、筋道を違えたり限度を超えた行いに本気の怒声で食って掛かってくる徹さんが、誰より恐ろしい雷親父であることを認めている。

ブルドーザーやトラック顔負けの胴間声に、三白眼の悪辣な顔をしたろくでなしが顔面蒼白になって震え上がっていた。

そして今まで親にもそこまで真剣に怒られたことがなかった連中が、心底慕って寄ってくる。

 

ろくでなしに慕われていい結果になることなんか一つもないってわかっていてなお、時々凄まじい怒声を出しながら、まるで彼らの親の代わりのように手取り足取り仕事と商売を教えていた。

要するに、人がいい田舎の雷親父だったのだ。

大人の補導員と言い換えても良いかもしれない。

 

逝く者は斯くの如きか 白石徹 politics domestic

 

 

来る者とて宵を待たず

 

常に他人事に振り回されていた白石徹の私的な顔は、恐妻家と家族愛、友情の権化だったと言える。

友人の誰もが否定しない。

亡くなってすぐに、新居浜の男白石徹を一刻も早く家に連れ帰るために皆が走り回った。

 

そして長い長い道のりでたどり着いた永田町に別れを告げる為に、あの街を寝台車で一周して駆け足で送ってきた。

 

帰ってきた家には親友が3人、待っていた。

また公的人間として忙しくなる前の最期の別れを告げる為に、他のすべての予定をキャンセルして。

いつものウコンドリンクの代わりにその日に限って数珠を持って。

 

生前、公務の合間にしまいには夜行列車でまで自宅に帰っていたのは、決して選挙対策のためだけではなかった。

奥さんと自転車で走ってみたり、まだ小さい孫を抱いたり、いつも気にしていた子供たちと会うために。

他でもない大好きな生まれ故郷を散策するために。

 

若いときはモテまくったせいなのか、嫁さんにはいつも誰を相手にする時より気を使っていた。

どんなエラそうなやつに何を言われても馬耳東風のはずが、食事から生活態度に至るまで細かくチェックされながらもきっと満更ではなかったのだろう。

 

好きだった桜の花が咲く前に、四国の大蛇というべき傑物は去った。

子、川上に在りて曰く、「逝く者は斯くの如きか。昼夜を舎かず」

 

見送り(帰宅を迎え)に行った玄関先に、可愛い孫娘が訪問客を迎えていた。

「君はおじいちゃんそっくりの顔をしているね。徹さんの孫かい、よろしくな」

まるで祖父がそうしていたように、ためらいもなく差し出す小さな手には生命力と未来が満ち溢れていた。

 

だから最後に、論語に返詩して締めくくりたい。

「来る者とて宵を待たず」

 

暖かい日差しに、友達も元気、家族も元気。

人がどうせいつか死ぬのなら、こんな丁度いい日もなかったんじゃないかな。

さようなら徹さん。

 

20年分の思いを込めて。

 

逝く者は斯くの如きか 白石徹 politics domestic

 

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コメント

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  • コメント (6)

    • coin
    • 2017年 3月 20日

    記事を読まさせて頂きました。

    記事中の写真の素敵な笑顔が記事の内容全て物語っている様に思います。

    私は、面識も見識もありませんが、本当に「人」が、又は「笑顔」が大好きな方だと思います。

    あえて、言葉を多く語りません。
    言葉を多く紡いでも陳腐になってしまうと思いますので。

    拙い文ですが次の一文を僭越ながら私のコメントとさせて頂きたいと思います。

    ー舞い散る桜、寂しく思い、芽吹く葉桜、想いを乗せてー

    御冥福、御祈り申し上げます。

    • gundari
    • 2017年 3月 20日

    @coin さん

    風さそふ花のゆくへは知らねども 惜しむ心は身にとまりけり

    • ウメ
    • 2017年 3月 20日

    はじめまして、
    ウメと申します。

    gundariさんのブログ、
    いつも読ませて頂いております。

    私も面識はありませんが、
    ご冥福をお祈り申し上げます。

    今回の記事で、
    人との出会いの大切さを改めて感じました。
    gundariさんのブログに出会えたことは
    私にとって幸運だったと思ってます。
    (私にとっていい意味で耳の痛い話が多いです)

    40歳近いオッサンになって人生に焦りを感じ、
    セミナーだの、コンサルだの、あとはコンプレックスから美容だのに
    気づけば300万円を越える額を使ってしまいました。

    それで、人生が好転することもなく、
    gundariさんのブログにも書かれているように、
    美味しい酒を飲んだり、おねーちゃんのお店で豪遊したり、
    すればもっと人間の厚みも増したのかなと後悔してます。

    長々とすいませんでした。
    また、記事楽しみにしています。

    • coin
    • 2017年 3月 21日

    @gundari 氏、

    @ウメ 氏へ

    余計な御世話かも知れませんが、

    ー 巡る「刻(とき)」心を悲しく苛み、送る「時間(とき)」心を静かに癒す ー

    ー春の小川のせせらぎの様に心を静かに癒すー

    誠に勝手ながらそう思われましたので。

    • ウメ
    • 2017年 3月 22日

    @coin

    coinさん

    はじめまして。

    コメント、ありがとうございます。

    私はあまり頭が良くないので、
    教えて頂いた言葉の意味が完全に分かってないかもしれませんが、

    動かずに落ち着いて静かに時間を過ごすことが
    今の私には必要だと受け取りました。

    一度、落ち着いて自分を見つめ直します。

    • ハモゲ
    • 2017年 3月 22日

    軍荼利さん

    記事読ませていただきました。
    恥ずかしながら初めて聞くお名前の方ではありますが、記事を読ませていただくかぎり、豪快で人徳に溢れた方だったと思います。

    この様な方の生き様を聞いてはハッとさせられ、憧れをもちますが、無理してできるものではなく性分なのかな、と半分思いながらも、もう半分はその憧れに向かって日々を生活しています。

    ご冥府をお祈り申し上げます。

    稚拙な文章で申し訳有りません。記事を読ませていただき感じるものがあったのでコメントさせていただきました。

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