サラリーマンVSイケダハヤト(アフィブロガー) 対立の構図はなぜ?
少し前に住宅ローンのネタでイケダハヤトが炎上してたのを覚えてる人はいるだろうか?
今日は暇なのでなんでサラリーマンは「それ以外」に常に批判的なのかを分析してみようと思う。
事の発端はイケダハヤトが住宅ローンの35年のをテーマにライフスタイルを記事にしたのに、LINEの執行役員かなんかが食いついたのが始まりらしい。
実際、昨今の社会情勢では現在のサラリーマンの内、3割超は必ず住宅ローンを組んだことを後悔する定年を迎えることになるだろう。
その半数ほどはけっきょく家を手放して借家に移るのだろうと思う。
それが精一杯という時代は最早目の前に来ている。
個人的には、手段や価格を厳選したうえでなら住宅の購入は基本的にはありだろうと思う。
できれば戸建てで、利便性を無視して他の要素を選択基準の上位に置き、選び直して探すのならありだろう。
見栄や都市生活に重点を置いた住宅探しは不幸の源泉になる。
気の毒だけど、この執行役員さんのマンションは全然絶景だとも思わないし、馬鹿高い金でしょうもないマンションか・・・と思うと、東京で住宅を持つことの割に合わなさを再確認してしまう。
ある程度経験値や数寄のある人は、ファサードから建材まで自分で厳選して、借景や外観、地形や植物相まで自分で選び抜いて世界観を作った建築物を所有する以外に、心の底から納得できる住宅や建築物が存在しないことを知っている。
花火だって他人が打ち上げたものを観察しても綺麗だけど感動はない。
自分が見たいタイミングで見たい場所で打ち上げさせるのが最も美しく繊細に心を打つ。
殆どの人は手が届かない故か、あるいは挑戦する意思を持たないが故か、それをごまかして満足を喧伝して生きていく。
ここにサラリーマンのイケダハヤトへの怨嗟の声の秘密がある。
記事では「35年間も借金を背負って返済し続けるのは非常に精神的に苦痛なうえに、住む場所が固定されてしまうのがデメリット」と指摘。さらに「弊害が多すぎる35年ローンは法律で規制すべき」とも断言し、「安い家を一括、もしくは短期ローンで買うのがこれからのトレンドになる」と自説を展開した。
これに噛み付いたのがLINE上級執行役員の田端信太郎氏だ。なんと35年ローンを組んだ張本人ということで猛烈な勢いで反論し始める!
▼まずはローンを組んでいることを宣言したうえで、イケダハヤト氏のアフィリエイト目的の記事を批判する。
via: 【炎上】イケダハヤト(アフィブロガー) VS 田端信太郎(LINE執行役員) 35年ローンという借金の是非をめぐって大論争 | netgeek
「俺働いてるよ」どう反応していいかわからない言葉が飛び交うネット
こうした議論でもはや伝統芸となりつつあるのが「俺働いてる(お前より偉い)」というマウンティングの部分だろう。
内側に踏み込む前に、今彼らが陥っている錯覚について分析しておくことは必要だ。
結論から言うと、働いていようがいまいが大抵の場合他人に関係ない。
介護職でおむつを替えて働いてる、と絶叫したって、それについての感謝は担当の患者やその家族、あるいは勤務先に求めてもらわないと、単に知りもしないおむつ交換係を自称する人が偉そうなことを喚いても、常識で考えたら不愉快な印象しか残さないだろう。
金持ちでも同じような錯覚をする人は多く、「俺は金持ちだ(だから正しい)」と喚き始めるけど、その人が金持ちだったおかげでありがたいのはその金がこちらの財布に入ってからであって、偉そうなことは他で言いましょうね、で終わり。
大体は「そんなにあるならその金、並べて見せてみてよ」で沈黙する。
働くことや金を稼ぐことが偉いのだというのにニアピンの価値観は、多くの家庭で普遍的に刷り込まれてきたのではないだろうか?
これは鵜飼にとって、魚を取ってくる鵜のほうが自由に行動する野生の鵜より優秀だという前提で刷り込まれてきた常識で、生物的優位と関連性のない、所有者にとっての価値の優劣だということを多くの人は直視できないで生きていっている。
「俺は他の鵜より沢山の魚を取れる、お前よりもだ」と言われたところで、魚を吐き出して帰って鳥の餌を食うよりも、捕まえた魚を自分で食いたい他の野生の鵜は反応に困ってしまうわけだ。
さらに言えば、働くことが何か人生の幸せと直結してると勘違いしている多くの人は、自分にとっての選択肢がそれしかなかったという事実を受け入れられない。
眠たくなるまで起きていて、目覚めるまで起きないという生活を選びたくても彼らは選ぶことが出来ない。
選択肢が一つしかないことを自慢しても実はカッコ悪いということはそろそろ考えないとまずいんじゃないか?
たまーに依頼によって気が向いたら仕事引き受けるだけで、四季の美しい景色を探してふらふらして、行きたくなったところに旅行する人生だって選択できるなら本当は誰しも選択肢に入れたいはずだ。
死ぬ時は金色に輝くどこかの水面を眺めながら、静かに死んでいきたいと思う。
できればそれは新緑の季節で、乳児の掌のような若葉が静かな風にそよいでいて欲しい。
選択肢が一つしかない大多数の人はそれを夢想することすら出来ない、いつも他人が持ち込んだ厄介事や、後始末を考えることで脳がフル稼働しているから。
鵜飼の鵜という立場を離れて考えないと、それらを解決することですらおぼつかないのに。
「レバレッジで人生の効率上げる」 お前のレバレッジはいつ終わるんだ?
鵜飼の鵜の話は、何故したのかといえば「お前は固定観念にとらわれている」という話を認識してもらう入り口のためだ。
この点でこのニュースを読んだ時に象徴的な事例だと思った。
なぜなら、住宅ローンによるレバレッジというものは固定観念の中でも最も馬鹿げた象徴といえるからだ。
同様の比喩をする人は実に多いけど、だとしたらその人は今までレバレッジをフル活用して生きてきたはずだ。
それが経済的な果実をもたらすのなら、数千万の家がなぜ現金で買えないのだろうか?
住宅ローンにより35年間レバレッジを効かせてきた結果というのは、実は普遍的に結果が目の前に転がっている。
そのレバレッジで億万長者になった人が一体どれほどいるんだろうか?
50歳過ぎて人生が追いつめられて行ってる人のほうが多い結果を目前にしてこう言い放っている人々の、固定観念へのとらわれっぷりはもはや何かの疾患というべきレベルだろう。
住宅ローンなんかレバレッジにならない。
レバレッジという以上資産効果的な何かを期待しているのだろうけど、レバレッジを効かせて運用するだけの資産をそもそも持っているのか?
重要なのはこの部分だ。
それがない人の住宅ローンは、家賃の固定資産への振替以外の何物でもない。
つまりそれでレバレッジを効かせたところで何も生まれてこないという現実を認識できる能力がない限り、出口を自分で作ることは期待できない。
住宅ローンがレバレッジになるのは、現金でも家を買えるけど、それで株を買いたいから住宅ローンを借りようと言うような場合だけだ。
つまり純然たる出費の振替以外の効果を何も生まないがゆえに、彼らの所得は住宅ローンによって上がることはないわけだ。
仮にこの執行役員の人がレバレッジによってエグジットをえられるのであれば、それは勤務先のLINEの上場以外に期待できないだろう。
(ストックオプションを持っていればの話だけどね。)
つまりレバレッジを効かせるのであれば、LINEの業績に向かって効かせる以外に選択肢はないってことだ。
あるいは自分で何か商売でも始めるか。
この二つと住宅ローンを対比した時に、住宅ローンレバレッジは何を生むんだろうか?
持ち家の可否の前の段階で、住むことや寝ること、食べることを投資とかビジネスと混同してはいけない。
くだらない、お話にならないレベルで判断を誤る原因を生むのが関の山だ。
故に住宅への投資は利便性や見栄を捨てて、純粋に自分を癒やす要素で楽しみながら選ばなければいけない。
事業や仕事、大勝が期待できる博打や投機・投資にレバレッジを効かせられない奴の「自称レバレッジ」は一生続く。
「時間は金で買えない」こううそぶく意識高いサラリーマン諸君。
君の時給はいくらだろうか?
浪費と投資、数寄とレバレッジは常に峻別しなければいけない。
一番損しないのは、浪費や数寄に屁理屈を持ち込まずに純粋に楽しむことだ。
そして「金を得たければ持っている時間は全てそれに使う」と考え方を切り替えねばならない。
ネイバー(NAVER)のモバイルメッセンジャーの子会社ライン(LINE)が、昨年に続き今年も米国・日本の証券市場への同時上場の計画を保留した。4-6月期に初めて売り上げが減って成長性が停滞した上にグローバル投資の心理も冷めているという判断に従ったものだ。
17日、投資銀行(IB)業界によればネイバーは子会社ラインを今年米国と日本の証券市場に上場するつもりだった計画を保留し、上場時期を来年1-3月期に延期することにした。ライン上場に精通した関係者は「4-6月期の実績で上場を推進すれば正しい評価を受けられない可能性があり、今年の年末実績を確認した後に再推進することにした」として「年末の財務諸表が出てくる来年1-3月期が上場時期」と話した。
昨年7-9月期が238億円、10-12月期は258億円、今年1-3月期が281億円と着実に伸びていたラインの売り上げは今年4-6月期278億円で増加傾向が折れた。日本・台湾・タイ・インドネシアなど市場占有率が高い主要4カ国では依然として1位を独走しているが、米国や中国など大型市場で苦戦したためだ。
今年4-6月期のラインの世界での月間アクティブユーザー(MAU)数は、1-3月期対比で600万人増の2億1100万人を記録した。ネイバーは昨年ラインの米国・日本の証券市場同時上場のために米国証券当局と東京証券取引所に上場申請書を提出した。日系証券会社である野村金融投資と米国系証券会社であるモルガン・スタンレー、JPモルガン、ゴールドマンサックスなど上場主管社を選定する作業も始めた。だが昨年9月、海外事業の拡張に力を集中するとの理由で年内上場を保留すると明らかにした。
今年に入って4月に日本で上場手続きを再開しながら早ければ今年中盤までには上場すると期待された。だが今も上場手続きを進行できず年内の上場が事実上不可能になった。
中国証券の市場暴落などで全世界の株式市場の投資心理が萎縮した点も、企業公開(IPO)を躊躇させた背景に挙げられる。実際に上場を準備していた一部の企業がIPOを延期し、ハイテク株が投資心理下落の直撃を受けながらツイッターとアリババの株価が公募価格以下に下がった。
一方、今年7-9月期からはラインの実績が回復しており来年1-3月期には再び上場を推進するに値するというのがIB業界の分析だ。未来アセット証券も最近の報告書で「日本の広告とゲームの売り上げ増加、ウォン・円為替レートでのウォン高などの影響で7-9月期のライン売り上げは4-6月期対比11%増となるだろう」と見通した。
賃労働者と草食動物は共鳴せずに生きられない
こうした固定観念にとらわれる人々の、苛立ちの正体はなんなのだろうか?
それは中流意識なんて言葉に象徴される、自分の価値をお値打ち以上に見積もってしまっている錯覚に起因している。
誤解を恐れずに言えばサラリーマンというのは、殆どの人を「君はなにか上等な存在だ」と錯覚させて満足させるための魔法の言葉だ。
共産主義で言うところのルンペン、日本語で酷薄に表現すれば賃労働者があなた達の現実の姿だ。
船に乗って命がけで魚でも取るか、暑い日も寒い日も田畑を手入れするか、あるいはスーツを着て机に向かってホワイトカラーとして働くかの違い以上はそこに存在しない。
集合体を組織することで互助するしかない現実の申し子なわけだ。
良い人か悪い人か、よく仕事ができる人か出来ない人か、仕事をすることが尊いのかどうか、こうしたまやかしにごまかされて生きている賃労働者ゆえの苛立ちに、なまじ賢いがゆえに苛まれて生きている気の毒な状況の人たちなわけだ。
本質をズバリ一言で言えば、それは自分の食い物をどういうふうに確保しているかの手段の違いだけなのであって、スーツを着て意識が高くなり、レバレッジを効かせたのにやってることが魚とりと本質的に一緒だという事実に耐えられないから苛立っている。
草食動物的な生態故に、彼らは共鳴しあわずには生きていけないし、群れから距離を取っている生き物に攻撃的に生きていく。
一見朴訥に見える山羊の群れでも、人間の社会そのもののようにハブられたやぎをいじめて秩序を維持しているわけだ。
イケダハヤトが嫌われるのは、元々は賃労働者仲間だったはずなのにコミュニティーから距離をおいて、賃労働者の生態観察で生計を立て始めたことにある。
つまり彼は賃労働者にとっての裏切り者なわけだ。
良し悪しや価値の優劣はどちらにもあまりないってことに人間は気づくことがなかなか出来ない。
35年ローンを組めるかどうかが価値の優劣になるだろうか?
このレバレッジ行為を優れた人生の産物と思ってる人の思い込みとは裏腹に、頭金を用意できるやつは犬でも組めるのが住宅ローンだ。
群れの中のダメやぎ、あるいは群れと関係ない別な生き物を軽蔑して生きるやぎは幸せだろうか?
本当の幸せというのは、群れを出て行って勝手に生きることでしかつかめないのかもしれないし、くだらないどんぐりの背比べに背を向けて素晴らしい景色やおいしい水を楽しむことでしか得られないかもしれない。
固定観念によってゆがんでしまった価値観が全てを阻害する。
現実は常に残酷だ。
知らぬ間に背に立って首に手を回してくる性質を持っている。
故に現実は常にまっすぐ認識して、価値は多すぎず少なすぎずで評価しなければならない。
草食動物達のよびかう声は、常にお互いの位置を相互に知らせ合い、どんぐりの背比べ大会の開催を促している。
まずは距離を置くとこから始めてみてはどうだろうか?
沸いてくるクソコメ、踊るクソリプ。年単位でつきまとうネットストーカー。
日本有数のネトウヨ・キチガイ・ネットトロルウォッチャーです。
主に経済・哲学・ライフハックを扱います。
コメント欄は日本有数の保守(ホモ)、ネトウヨ、ネットトロル博物館となっております。
義務教育で学び損なったらどこまで悲惨な人間に育つか?
子育て世代の貴重な見本がコメント欄に大量に所蔵されています。
マンションなんて言うから勘違いが増えるんだ。
これからは「コンクリート長屋」と呼びましょう。
@にこまつ さん
遊びで某遊園地真横の新築マンション住んでたことあるんですけど、長屋よりかは価値が有るだろうなぁとは思うんですよ。
しかしですね、それ何千万もかけて買う価値が有るかは、無いと断言できるわけです。
相対的に価値を感じる人も居るだろうし、確かに建築コストもかかっているのだろうと思うわけです。
しかしそのどちらも絶対指標で価値を出したら悲惨な数字になるんじゃないかなーと思うんですね。
もし、職能というか、「沢山の魚を取る能力」を比較するのだとしたら、それは価値の目利きの正確さに集約されると思うんですよ。
その自慢をしている人がそれ買っちゃってたら、ちょっと・・・・・
これこれ\(^o^)/
こんな記事を待ってましたよ。
僕も山羊だから骨身にしみます。
しかも、まったく角が無い山羊です(笑)
選択肢を縛って意味不明な序列化(マウンティング)しないと社会が保てないって人間の種としての根源的欠陥だと思います。
原始仏教含め、社会思想ってだいたいこの話を大きなトピックとして扱っていますよね。
私も含め、この問題について考えてしまう人って意識してはいけない欠陥を意識してしまうという意味で不良な個体なのでしょう。
不良が進化になる方法を模索するしかないですが…
固定観念は搾取する側のポジショントークであるのが多々見受けられますからね
まあ、他者に作られた固定観念で生涯を全うするのも自分で考える必要がないので
幸せなのかもしれません
こんばんは。軍陀利さんの考え方は魅力的です。
自分の愛着することにかける時間が取れなくなったことが苦痛で仕事を辞めたところです。
今よりはいとはじ命あればこそ
かかるすまひのあはれをも知れ
西行法師の歌を糧にして、仕事は最低限の生活費を稼ぐくらいのものに抑えていこうと思っています。
そう考えると都会よりも田舎のほうが、生活費にお金もかからないので、そういう生活をするには有利に思えるのですが、実際のところはどうなのでしょうか?教えていただけると有り難く思います。
@giacomo さん
田舎生活は「見栄」を考えない人にとって都会の半額コースの良い選択だと思います。
人口10-50万人くらいの街で絞って、市街地から電車や車で20分~離れたあたりが一番現実的な選択肢だと思います。
(どうしても退屈なときに出かけていくのもしんどくないし、それくらい離れたら過疎地と同じくらいの人口密度で、しかも近所づきあいも大してありませんし。)
その代わり、根っからお一人様で静かに暮らすのが好きな人じゃないとメンタルがきついかもしれませんよ?
食費なんかに関してはさほど下がらないと思いますが、質の面で倍増以上の品質が期待できます。
家賃も、同じだけの総額で面積は2倍でしょう。
>自分の愛着することにかける時間が取れなくなったことが苦痛で仕事を辞めたところです。
大正解だと思います。
大金持ちになれる可能性でもあるのでないかぎり、勤めてする仕事がライフスタイルに優先するわけがない。
軍茶利さん、返答ありがとうごさいます。