頭から馬鹿にしてないと到底辿りつけない素晴らしい発想
秘技!! 百田さんはこうやって沖縄の二紙を潰すべきであった
まず、百田さんは沖縄に新聞社を設立します。仮に名前を
沖縄新聞
と、ど真ん中直球でつけます。「百田新聞」とか、「沖縄正論新聞」とか、「正しい沖縄」みたいな、一見、あれ?と思う名前より、ごく普通のありきたりのがよろしい。沖縄のじーちゃんとかばーちゃんは百田さんなんて知りませんので、「あれ、こんな新聞あったんだ」という感じが良いのです。
新聞の文字は大きくし、読みやすい書体で。対象は中〜高齢者です。若者はどうせ読みません。で、キラーコンテンツは
訃報!!!!!!!!
Facebookで沖縄の方から聞いたのですが、沖縄の二紙をなんで沖縄県民が読むかというと、高齢化が進む沖縄では「お悔やみ情報」をチェックするために新聞をとる人が非常に多いとのこと。ネットでは有名な人の訃報しか出ていないが、新聞を買うと一般の人の訃報も出ているらしいです。
沖縄で読まれない本土の全国紙。
「訃報欄の充実度の差」を売れ行き不振の原因と本気で分析する変わった人が多い昨今、新聞の売れ行きというのが沖縄が抱える経済的ハンデを端的に表している。
まず、最も大きな沖縄ハンデは、「沖縄県民は所詮南方のアホ土人」と内心で馬鹿にされきっていることにあるだろう。
「沖縄で本土発行の全国紙が売れない」この理由をまじめに分析して、「訃報欄の充実度の違い」を本気で分析する奴が相当多い現実を見て、それが違うといえる奴は鉄面皮の誹りを免れないだろう。
では言ってる本人はラテ欄とか訃報欄を主目的に新聞を購読しているとでも言うのだろうか?
つまり、ど田舎で、南方特有の密接な親族付き合いに依存した、社会的事象に関心を払えない(つまり田舎者のアホ)人々だと思ってないとそういう感想に辿りつけないわけで、これほど馬鹿にした分析はないと言うことだ。
それを失礼だと思わずに普通に語れるところが常軌を逸脱した増上慢と思わないところが根の深さを端的に表している。
これと酷似した根の深さ
普通、高校生くらいの読書が趣味の子に、本をプレゼントすると言って赤川次郎の作品を持っていくだろうか?
持っていかない。
どうしてか?顰蹙を買うからに決まっている。
でも同じことを沖縄県民には平然と出来るこの神経は、一言で言えば沖縄差別が現実にあるということを端的に表している。
同じ人間同士の礼節を適用できない人に対しての所作を一言で差別というのであって、文化的に下に見ているこの意識格差はもはや覆い難いレベルに達してしまったってことだ。
一言申し添えると、沖縄は行政に対して要求すべきことは後述の通りの事情に端を発して沢山あるし、暮らしのために考えなければいけない様々な事柄からむしろ本土の大抵の地方よりは政治的には発達した意識を持ってる人々だと考えてかかったほうが正しいだろう。
アメリカ人との不平等な地位協定についてまじめに考える機会は本土の大抵の地域ではありえない。
その不平等条約を少しでも是正するために声を上げ続けてきた県民のレベルを推察したら、答えは自ずと見えてくる。
現実に逮捕された米兵に懲役刑がくだされるレベルまでは彼らは自力でこぎつけた。
沖縄で読まれない全国紙の実像
ではどの程度全国紙が読まれないかというデータはこれ。
まぁ、早い話が壊滅的に本土の新聞は読まれてない。
これは訃報欄がいまいちだからなんだろうか。
そのデータの分析は訃報と関係ないということは既にデータが物語っている。
つまりまともな頭があったら訃報欄が重要だという答えにたどり着くことは出来ない。
これらの全国紙は、沖縄県で全国紙を扱う「本土新聞」という会社が届けている。同社によると、朝10時ころに那覇空港に飛行機で新聞が到着し、11時ころに同社の販売所に届くという。配達は昼すぎから開始される。つまり、沖縄県では、全国紙は朝に読むことができない。
沖縄県の「反戦・反基地」に対して厳しい論調の「産経新聞」は、「本土新聞」も扱っていない。「有限会社テナント」という会社が扱っていて、「本土新聞」と同様に飛行機で到着し、昼過ぎから夕方にかけて配達するという。沖縄で「産経新聞」を読みたいという人は、東京本社販売局お客様センターに問い合わせれば連絡先を教えてもらえる。
なお、2008年から「日本経済新聞」は琉球新報社が委託印刷を開始。同社の販売店網により毎朝配達される。九州経済の情報と組み合わせた「沖縄・九州経済」という地域面があるが、沖縄の情報は少ない。
つまりは、本土から新聞が届くのが遅すぎるわけだ。
新聞というのは、朝飯食いながらちら見して、ヘッドラインを頭に入れて仕事の立ち上がりのトレンドフォローに利用するという人がほとんどだろう。
それが昼過ぎや夕方に届くというのでは、全く役に立たんわけでこれが新聞として売れるというのはかなり変わった発想だろう。
朝には全国的にシェアされてるニュースが昼過ぎてからようやく配達にかかれる状態で売れるはずもなく、速報性の欠落という点で沖縄で販売されている日経新聞以外の全国紙は夕刊紙より不利な状況での数値だということだ。
(本土の夕刊紙は夕方発行されてもその時点での最新の情報が記載されている。夕方配達される朝刊より圧倒的に優れた内容ってことだ。)
ただでさえネットの新聞配信に押されがちの紙の新聞に、速報性が落ちた状態でリアルタイム新聞の専有した市場で売上を伸ばす余地なんかあるわけがない。
この中で沖縄の状況を端的に物語っているのは日経新聞の実売部数だろう。
日経新聞はご当地の配達網に乗っているのになぜ売れないのか?
沖縄が抱え込んでいる地理的な問題を端的に表している。
沖縄で日本向ビジネスをするのと海外で起業するのとはコスト等価、立ちはだかるタイムラグと送料
日経新聞が沖縄で売れない理由というのは、本土と経済的交流をする余地があんまりないからだ。
新聞よりもっと過酷な物流のタイムラグと送料の値嵩は、沖縄経済を140万の県民の経済規模に押しとどめる足かせになっている。
具体的な送料はクロネコヤマトで(これでも昔より改善された、ほんと大幅に。)この通りだけど、ネット通販でも送料欄に
・送料無料(※ただし離島・沖縄除く)
・離島、沖縄は別途送料、配達時間
と書いてある例のアレだ。
話を単純化するために東京⇔沖縄間の売買で言うと、1000円の商品で送料が実に500円強、売価比率に直して50%、1万円の商品で同じく5%というのが沖縄のバイヤーやセールスが背負っているお荷物だ。
ついでにタイムラグが本土内の物流より2,3日余計にかかる。
(はず。昔は4,5日。今はひょっとしたら1,2日かも。)
つまり、沖縄県民が通販でPCパーツを買おうと思って、メモリの最安値を探して注文しても割高な売買になるし、逆に沖縄のカジュアルな物産、例えばソーキそばとかサーターアンダギーを通販で売って経済を活性化させようと思ってもまず売値の段階で重いハンデを背負っていることになる。
勢い、本土ととやりとりするビジネスは通信関係か高額商品に絞り込まれるわけで、本土と経済的やり取りをする窓口というのは実際問題限りなく狭いわけだ。
日経新聞の情報が必要か?
生存最適化を前提に俯瞰すれば、多くの事業者は県内事情以外に興味を払う必要性はないわけだ。
このタイムラグにしたって、今だと中国とEMSで商品をやりとりするのと大して変わらない日数がかかっていることになるし、通信でやりとりするテレワーカーの人件費は外国の方が圧倒的に安い。
沖縄の自立のために投資をしているというのは実際問題まやかしだった上に、全く関係ない分野にだけ金をばらまいていたクソ事業だったことはこの点からも可視化されている。
「国内」というテーゼで沖縄の自立を促したかったら、まず一番目にやることはこの送料格差と日数格差の是正だ。
直接自力で売りたくてもカジュアルな品を沖縄は東京に送って買ってもらうことが出来ない。
必然的に雑貨や日用品、食料品を売るのでも、今だと本土の多くの個人企業は通販で直接顧客に売れるものが、送料ハンデをまとめ売りで相殺するためにBtoBの販売になって得られるべき利益を得られていないというのが明らかなわけだ。
一時期は通信やITセクターでの産業振興を目論んで沖縄に本土から結構な額を投資していたけど、これはネット回線が確か沖縄あたりを経由して大陸につながっていることを起点にしていたはずだ。
ところが、この事業も結局はうまく行かなかった。
(皆沖縄でちょろっと試験的に事業を立ち上げて、結局はヴェトナムや中国、フィリピンに移動した。)
人材がいない。
通信に限って言えば産業的に有利なインフラがあっても、プログラマーも居ないのに高速回線だけあっても意味が無い。
どこの田舎でも先端産業の技術者は不足しているけど、沖縄はあれだけ転勤や就職者を募集しやすそうな環境なのに、土地価格が圧倒的に高い。
燦々と照りつける太陽、真っ青な海、エキゾチックな景色、そして東京並みの家賃。
何でもかんでも高い小売店(送料ハンデ)。
サーフィンマニアや海遊びのマニア以外沖縄に就職しようとは思わないだろう。
光回線のインフラが整備されているネット技術者向けの居住区のマンション、売買しても賃貸しても本当だとはとても思えない値段に愕然とする。
航空写真で沖縄という島を俯瞰したら誰の目にも明らかな通り、インフラが整備された事業向きの地域の土地不足は深刻だ。
(一体このどこにUSJを誘致する気だったのか正気を疑いたくなる。)
食文化と住宅の充実度が発想の起点を変えている現実
沖縄が経済的に隔絶されているがゆえに日経新聞ですら実需は薄いというのが上述までの解説だったけど、更にはこの送料ハンデは沖縄を文化的にも隔絶させている。
沖縄を旅した多くの人は気がついたと思うけど、沖縄で寿司を食いたくてもまともな寿司は食えない。
あるいはそこらのお宅に呼ばれてご飯を御馳走になって、大抵の人は米がまずいってことに気がついただろう。
米食文化で本土と沖縄はかなり隔たりのある食事をしている。
沖縄は平均的に米がまずい。
本当はインドネシアとかで栽培してる米の方が向いてるような気候に、日本の米を栽培している。
そして水事情はかなりよろしくない。
送料考えたら米をお取り寄せできる人も限られてくるし、飲食店なんか何をか言わんやだ。
つまり、同じ食文化を共有できないということであって、それはお互いを異邦人として捉える大きな素地になっているってことだ。
沖縄の食文化を本土のもので染めようというのではなく、本土が沖縄を食うこともあまりないし、沖縄で本土を食いたくてもなかなか難しい話だってことだ。
日本文化の海外への浸透は、だいたい同時進行で寿司の普及と一致している。
認知と食文化というのは結構密接な関係があるという証左だろう。
香港が中国に返還される時期に、世界中に香港人は散らばったし、彼らに供給するビジネスを展開するために台湾華僑は多数の人材を世界各地に送り込んだ。
オーストラリアではテレビCMで中国人シェフが登場して広東料理のインスタント調味料を宣伝していたし、同時に中国人の存在が一般化された。
バンクーバやロンドンでも中華料理店での週末デートや、夜食のチャイナデリが一般化して中国人はローカルピープルとしての基盤を築いていた。
80年代~のアメリカのテレビドラマや映画には、寿司や定食を食べるシーンが頻繁に登場して、まもなく貿易摩擦が火を噴くほど日本製品が売れに売れた。
90年代のバンクーバのスタバの初期の店舗では、意識高そうな人が五輪の書の英訳版を読んでいたし、ロンドンのウォータールー駅に回転寿司が登場していた。
その頃に日本人観光客へのバッシングは止んでいて、「よく来るお客さん」という地位を日本人が既に掴んでいた。
沖縄の自立と本土との融和を目論むのであれば、やっぱり食文化の壁を作っている住宅事情と送料の問題を解決するのが一番だということだ。
念の為に付記しておくが、沖縄で寿司文化が発達しないのは魚がまずいからではない。
ちゃんと美味しい魚も沢山いるし、うにみたいなものにしたって取る場所を選んだらそこそこ行ける。
嘘だと思ったら糸満でうにを探して食ってみれば良い。
寿司職人の移動コースから沖縄は外れているし、基本的なわさびや米、ノリといった食材の手配に問題があるわけだ。
同じような不便があらゆる場所に立ちはだかって我々をお互い異邦人にしている。
(旅情としてはエキゾチックで面白いけどね。やぎの○玉とか珍味だったし。)
そしてその隔絶を今まで建前と遠慮で埋め合わせていたものが、メッキが剥がれて不協和音を立て始めている。
メッキが剥がれたら遠慮も建前も二度と通用しない。
心からの交流のために文字通り同じ釜の飯を食うことだ。
結局口先でしか描けなかった融和、ご近所さんとして沖縄を見つめなおすべき
新聞の売れ行きの論評を通じて沖縄の潜在的な問題と、立ちはだかる壁にフィーチャーしてみた。
最終最後、本土の多くの人々の間では、記憶の原風景や心の味を共有していることが同胞意識を醸成しているということに疑う余地はあるまい。
気持ちの面で沖縄を理解するのであれば、やはり同じようにご近所さんとして何かを共有することを考えたほうがいいってことは理解してもらえたはずだ。
その記憶の原体験をカジノとかUSJにしようというのは実に不届きな話で、まずは同じ駄菓子を子供が買える(っていうか今駄菓子喰わないかw)環境が必要だろうし、同じ品質の米を食って頻繁に行き来して相互に理解し合う事こそが大切だということだ。
この永江一石氏のコラムは、大阪都構想問題や沖縄問題で二度三度引用したけど、なぜそうしたのかといえば、近頃の東京都民の選民意識は一部の人の間では相当やばいレベルまで到達してると思うからだ。
大阪という「本土の中の人」相手でも既に選民意識が伺えている状況で、文化的に隔絶がある沖縄ではなおそれが発揮されるのはある意味自然なことだ。
この勘違いが蔓延している「中央の感覚」で国策を推し進めていったら取り返しがつかない状況にまで至るのは火を見るより明らかだろう。
テレビの向こう側では一様に東京の話を報道しているのに、振り返れば部屋の中で全く違う現実がある国日本。
その東京で叫ばれている問題はことごとく振り返った現実から大きくかけ離れたことをテーマにしている。
同じ意識を共有する人間同士ということであれば、一番身近な他人であるご近所さんとしての視点を持つことから始めないとその問題は到底解決が望めない。
それをどう解決するのかはさておき、とにかく相互の往来を増やしていくことは喫緊の課題として大きなものになるだろう。
近頃近所の火事とか、同級生のケンカを国会で比喩として使っているけど、ご近所でもなんでもない者同士が集まってその喩え話がどれほどリアルに理解できるだろうか?
太平洋を挟んだご近所さんにまで親切心を発揮するなら、飛行機で2時間のご近所さんや新幹線で3時間のご近所さんにもそれを発揮した方がいいぞってこと。
沸いてくるクソコメ、踊るクソリプ。年単位でつきまとうネットストーカー。
日本有数のネトウヨ・キチガイ・ネットトロルウォッチャーです。
主に経済・哲学・ライフハックを扱います。
コメント欄は日本有数の保守(ホモ)、ネトウヨ、ネットトロル博物館となっております。
義務教育で学び損なったらどこまで悲惨な人間に育つか?
子育て世代の貴重な見本がコメント欄に大量に所蔵されています。
自分がこれまで感じていた違和感が氷解した思いです。ようは「他者」「異文化」をそれとして明確に認めるかどうか。安易な平等化、平等意識は、沖縄にも問題があり、本土にも問題がある。「差異」を認める所が始まりの一歩なのでしょう。ただそれは日本人の一番苦手なところではないでしょうか。
自分の友人、雑誌の編集を生業にしていますが、出身は石川県なのに十数年付き合って彼の口から地元の話を聞いたのは数えるほどしかない。彼と話て感じるのは「自分はもうこっちの人間になっちまったから」と嬉しそうに言う事。「東京の選民」達の正体はこんな所に有るのでは?とも思ってしまう。
もっと簡単な話だと思うよ。
沖縄には強大な権力があってこれに逆らったら沖縄で生きていけないだけ、
沖縄2紙意外の新聞を売るような店は潰される。
強大な権力?
沖縄2紙意外の新聞を売るような店は潰され?
ルートビアが普通に売られてるが本土の人間はあれはサロンシップの味がするとか変なこと言うんだよね
琉球と大和は民族が違うし別れた方がいいのかもねSOSUSがあるから日米は隷属状態のままにして置きたいだろうけど
ローカル新聞って面白いんですよ普段東京にいてたまに田舎に帰ると地元の情報がたくさんのってて郷土愛のようなものを感じるんです
沖縄の新聞も地元の人にはそんなふうに感じてるんじゃないんですかね
コメントでは何だか妄想力が高い方がいらっしゃる様で少々笑ってしまいました(^^;
@名無し
2紙以外の新聞、実際に売ってるって記事に書いてあるじゃん
陰謀論も大概にしなよ
なるほど! 沖縄のホテルにツアーで何箇所も泊まった時にどこも朝ロビーで見られる新聞がローカル紙しか無かったので「思想内容に若干の偏りがあるにせよどこのホテルも全部思想統一してるわけないよなあ」と疑問に感じていたのでそれが氷解してスッキリです!
私も北海道で新聞配達してましたけど物によっては夕方にならないと届けられないのありましたね。
それと同じってことなわけですな。
確かに全国紙の広告は役に立たないの多い。
例
沖縄旅行
需要の無い高級品
送料がバカ高い通販
来ない歌手やアイドルの全国ツアー
進出してない全国チェーン
墓石
朝に読みたい新聞を本州の値段で、本州の時間で配達すれば良いだけの話。それを甘えて、沖縄の責任にしてるだけ。ジャイアンツファンが多いんだから、きちんと営業かけて、沖縄で商売になる位に部数を稼げば良いだけの話。朝に読みたい新聞を夕方に持って来て読む人は
中々、難しい。