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テレビメディアはマックスむらい・ヒカキンより優秀か? 実はテレビよりまともなYoutuber達、「ご立派な文化」が産んだのは屁理屈とクソガキ達だった

  1. 経済
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自分がいかに素晴らしく文化的か絶叫し始めた文化人達

 

このところ、YouTubeで驚異の動画再生数を誇るパフォーマー=YouTuberが注目を集めている。とくにヒカキンは大人気で、マックスむらい、バイリンガールちかとともにYouTubeのCMにも起用され、オールドメディアでも「新しいかたちの芸能人」という声があがりはじめた。

 ところが、その話題のYouTuber に、あるミュージシャンがかみつき、一部で話題になっている。

 それは2人組の音楽ユニット・ロマンポルシェ。のロマン優光氏がニュースサイト「ブッチNEWS」の連載に寄せた、「みんなが嫌いなYouTuber」という原稿。

via: ロマンポルシェ。ロマン優光 ヒカキンを酷評「全然面白くない」 – ライブドアニュース

 

ヒカキンはよく知らないけど、マックスむらいは俺も知っていたりする昨今、よく考えたら芸能人よりYoutubeやネットコンテンツのオーサーのほうが有名だったりする時代になったってことだね。

これがTV局の神経に触るらしく、関係の芸能人が「いかにテレビや既存メディアが文化的でそれ以外がダメなのか」を力説している。

 

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そもそものテレビ論はテレビを海外ドラマ以外殆ど全く見ない俺に語る資格もなさそうな気がするけど、テレビに文化を語る資格なんかないってことはよく知っているし、高尚なものでないのも自明の理だろう。

既存メディアが大企業であることは理解するけど、彼らが文化なんて大層なものを担ったことなんか一度もなく、ぶっちゃけ長い戦後史の大部分の世論を形成してきた歴史、サブカルのカル部分相当の軽い意味でのカルチャーに寄与してきた程度の存在感しかないだろう。

 

そんな軽薄な「カルチャー」はその辺の公民館でもおばちゃんが集ってやってるようなシロモノで、それが他人を批判するために文化と和訳している時点でダメさが際立ってきたような気がする。

一言で言えば脳味噌腐ってんのかと思う。

まずロマンポルシェというのを俺は知らないって話なんで、どんなのかと思って動画を検索してみた。

 

 

日本人よ、これが文化だ

 

さらにこのロマンポルシェの連中はこういう。

〈放送媒体とか紙媒体とかだと、放送作家やプロデューサー、編集者という人たちがいて、その人たちのセンスの良し悪しはおいといて、選別されたり手がいれられたりします。お笑いだったら、最低限のお笑いの歴史やフォーマットを踏まえたものでなければ出られないし、そうなるように矯正をされます。ネットで自分で発信するなら、そういった第三者の「編集」は加わることはないので生のままの状態で発信されます。その結果、ヒカキンさんぐらいの笑いでちょうどいい人がたくさんいるということではないでしょうか〉

<中略>

〈誰にでもわかるものには高度な表現として誰にでもわかるようになってるものと、程度が低すぎてバカにだってわかるようなものの2通りあって、それを混同しちゃいけないんですよね。混同してるとバカにでもわかるものじゃなくて、バカしか喜べないものがはびこってきてしまうんです〉

via: ロマンポルシェ。ロマン優光 ヒカキンを酷評「全然面白くない」 – ライブドアニュース

 

元記事は↓

ロマン優光のさよなら、くまさん

 

結局テレビと文化論で、他メディアや文化に上下をつけて優越を感じてなかったら書けない視点で書いているのが俺を含めた一部の人の不快感の源なんだろう。

それは一言で言うとテレビなんか文化じゃないという冒頭の認識に立ち返る。

 

所詮テレビなんてものは文化になりえなかった時代の徒花なわけで、そのメディアの拡散力が故に企業が肥大化しただけ。

文化の伝達に助力することはあっても自らが文化になることは出来なかった、つまりは文化的に劣等な存在にすぎない。

例えば当のテレビがテレビ業界の常識以外にどのような文化を知悉してるんだろうか?

 

平均値で言えば文化としては激しく劣っており、にも関わらず古典芸能の役者や日舞の家元、茶道やピアノの講師より所得を得ている。

上下で言えば明らかに彼らのほうが上位的な存在で、メディアや表現というものに絞り込んだ場合でも当然文筆界には圧倒的に劣後している。

繰り返すけどその中でどうってことないセクターの職員が結構な所得を得ている。そして彼らのほうがだいたいピアノ講師より裕福なわけだ。

 

サブカルのサブとカルのコンビのカルに過ぎない奴のソロ活動にしては上出来の収支を得て、彼らが言う文化や表現とやらは何を産んできたんだろうか?

今どきのガキを観察するだけなら馬鹿でもできるけど、残念ながらテレビしかなかった時代に育った、今日本の人口の大多数を占めている人々は彼らがやってきたことを覚えているし忘れてない。

 

最低限のお笑いのフォーマットや歴史を踏まえてオウム真理教をバラエティーに出した結果どうなったんだったっけ?

歴史を踏まえたのであれば当然、戦前の大逆事件を踏まえた上であの番組を作ったんだろう。

素晴らしい文化だ。

生活レベルでいうと誰も困らないし、これでいいんでしょうけど、文化的なことを考えてしまうと不安になりますよね。センスの良い有能な(あくまでセンスの良い有能な人だけです)プロデューサーや編集者、批評家というのがどれだけ文化というものに貢献してきたかというのが逆説的によくわかります。
 音楽でもお笑いでもなんでもそうだけど、誰にでもわかるものが良いものかというと別にそうではないんですよ。

via: ブッチNEWS – みんなが嫌いなYouTuber:ロマン優光連載18

 

テレビという文化の総決算

 

いまのYoutuberの視聴者層というのは子供も含めて大部分は幼少期にはテレビを見て育ってきた。

これは疑う余地もない事実だ。

その結果ロマンポルシェの言う「文化の分からない低俗なガキ」を大量に量産してきた。

このロマンポルシェの書いた投稿のタイトルに注意して欲しい。

 

連載第18回 みんなが嫌いなYouTuber

 

連載第18回の部分に注目しろと言ってるわけではない。

「みんな」に注目してほしいわけだ。

みんなというものの性質を以前記事にしたけど、そのくだらなさがこのタイトルに直接表現されている。

 

みんなというものの正体は基本的にくだらなくどうでもいいものの総称であって、ノイジーマイノリティーが正当性を得ようとして叫ぶ架空のアバターだ。

地縛霊とか浮遊霊が神を名乗ってイタコに取り憑いてるようなもので、何の意味もない。

 

つまりロマンポルシェやテレビというのは文化とか高尚なものを名乗りながら、たとえ一人でもそれを叫ぶ大義や正当性を自ら生み出すことに失敗している、文化とは最も縁遠い惰弱な存在だ。

最初から”みんな”がテーマになったものは文化になりえない。

 

例えば落語、あるいは大衆演劇にしても、”みんな”の中の小さなスポットに焦点を当てて、個から時代を覗き見ることで文化を形成してきた。

江戸の市井を垣間見るのに長屋の花見なんか最適だし、ベタだけど遊郭の鯔背を楽しむのに助六所縁江戸桜ほどの傑作はあるまい。

中世を絵画から垣間見る時、我々はレンブラントやフェルメール、ロシア革命前後の東欧を見るのにクリムトの目を借りている。

 

あるいは現代は名画になったそれらの絵画が生まれるまでにあったはずの愛の物語や、心にあいた大きな穴を埋めるための孤独な苦しみの物語を読んでいる。

そしてそれらの小さな覗き穴の向こうには万華鏡のように不可思議で蠱惑的な静かな世界が広がっているのだ。

 

全てが個の物語から発生するのが文化であって、”みんな”なんてものをお題目に掲げる文化なんて馬鹿げている。

みんなが嫌いなら、文化大革命の時にみんながよってたかってぶっ壊した滇に代表される古代文化は消滅しても良かったって話になるよね。

みんながまずいと言おうが自分が美味いと思えばそこは自分にとって美味い店なんだよ。

 

はっきり言っておこう。テレビ文化を総決算したら答えがどうなるか?

”みんな”の暴力で他の文化を破壊してきた文化なんだよ。

時には”みんな”を捏造してね。

 

本当にYoutuberは低俗か?

 

みんなに暴力性を持たせて、なおその暴走を利用して金を稼ぐことに特化してきたテレビ文化(便宜上文化というだけで文化として認めてないからな。)。

はっきり言ってしまえば、その背景に組織としての大きさ、コールセンターなどの受付機能による製作者が直接リアクションを受けないシステムがあったから炎上商法と類似した悪ノリのシステムが出来上がり、より低俗になるというスパイラルを繰り返してきたのだと思う。

 

例えば、昭和のアイドル文化を模倣したAKBが昔より高尚になったんだろうか?

アダルトビデオに卒業したアイドルが出演していることが全てを物語っている。

悪ノリが相乗効果を生じ劣化は酷さを増すばかりだった。はっきり言ってしまえばお茶の間でアダルト女優が半裸でお笑い芸人と擬似的にわいせつ寸劇を行うようになる時代も目前に来てるだろう。

 

半死半生の番組収支の中で挽回しようと思えばそれしかないとなるのは火を見るより明らかだからだ。

 

反面、Youtuberの彼らがやってることを動画で見てみよう。

 

子供たちにネットのマナーなどを啓蒙するマックスむらい

 

このように彼らは不快なリアクションにも常時直面しているため案外啓蒙の部分にも力を入れてるんじゃないだろうか?

 

視聴率のためにしまいにはオウム真理教まで引っ張りだして、クレーマー脳の情弱を大量生産し、再来月AV女優になるかもしれないやつを捕まえて蝶と花よと持ち上げて、ヘリコプターを飛ばして災害の救助活動を邪魔してきた連中と大違いじゃないか?

 

さっきロマンポルシェのいう「みんながきらいな」ヒカキンのWIKIプロフィールを読んだ限りでは、彼の活動で発生した収益から、200万円東日本大震災にもチャリティーで寄付したらしい。

東日本大震災でチャリティーをやって募金を集めていたヒカキンがいた一方、崩れた家や山の陰で生き埋めになった人の上空をヘリコプターで飛んでいたのは他ならぬテレビ局だった。

 

本当に”みんな”はTV局よりYoutuberを嫌っているのだろうか?

 

自分の素晴らしさや高尚さを絶対の前提にして上から目線になることを俺は海原雄山病と呼んでいるけど、その視点を自分の勝手に使っているうちはまだ健全だ。

ところがそれを”みんな”というどこか絶対的な指標に見える偶像を持ち出してきて社会のスタンダードにした時点でそいつは文化と最もかけ離れた存在になる。

 

本当にそれが高尚なら低俗であるかのような指弾は受けない。百田尚樹を見たらだれでもわかる。

受け入れられないとしても一歩引いたリスペクトを必ず受ける。

 

それでもなお、「テレビ文化」なるものは大声で叫びたくなるほど高尚なのだろうか?

 

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愛国左派
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愛国左派

芸能界の人って本当に偉そうだよね。
よく芸能界は厳しいって聞くけど、それって本当なのか?
どう見ても甘々な世界にしか見えないんですけど、今時覚せい剤でしゃぶしゃぶしようが、人轢き殺そうが謝っただけで許されるなんて芸能界くらいだろ。
ゴメンですむのは芸能界と神奈川県警だけなんですかね?
しかもどいつもこいつもこのロマン〜みたいに上から目線だし、本当アホかと思うわ。
文化人なんて気取るのは千年早いわ糞喰らえ