政教分離? 初詣で憲法改正を煽る神社多数 日本人の宗教離れが深刻に


正月の神社の様子が一変? 実は随分前から変化していた現実

 

最近は神社好きの女子、神社ガールなども登場して、若者人気も高まっている。だが、そんな善男善女で賑わう場所で、今、不穏な動きが表面化している。

 それは“憲法改正に賛同する署名活動”だ。これが、なんと神社の境内で行われているのである。しかも、怪しげな市民団体が勝手にやっているという話ではい。驚くことに、その主体は神社そのもので、参拝客をターゲットに署名を集める“政治運動”を展開していたのだ。

 

via: 全国各地の神社が初詣客を狙って改憲の署名集め! 日本会議・神社本庁が指令、戦前復活の目的を隠す卑劣な手口|LITERA/リテラ 本と雑誌の知を再発見

 

正月の神社で、初詣の参拝者(あえて参拝客とは言わない。)に改憲を呼びかける神社に急に世間が騒然としているけど。

俺からしたらだいぶ違和感のある話で、今更何を言ってるのかと。

 

と、言うのもそのニュース自体が今更感に満ち溢れた話で、遡ったらその手の運動が表面に噴出してきてたのは、女性皇族を認める認めないの議論が活発化していた2004年位に遡る。

 

で、当時にはすでに皇位継承問題で、「女性宮家を認めることでホリエモンが天皇陛下になる可能性が出るけど構わないのか」といったようなキャッチフレーズを日本会議が冊子にしてそれが社務所で配布されていて、大方そういうことをやっている神社は、氏子組織が弱体化して休日にだけちょこっと参拝者が来るような神社や、主だった支援者がいない神社ばかりだったのを思い出す。

 

とにかく、別にこうしたウヨク運動が始まったのは今じゃないし、むしろ日本人は自分たちが神社のみならず、寺や文化施設でそういう事をせざるを得なくなりつつ有る背景を直視するほうが良いんじゃないかと思う。

むしろ、神社にはこの際、積極的にそういう運動を展開して、それを眺めている氏子だった人々や、檀家だった人々に強く問いかけて欲しいと思う。

 

あなた達の心の原風景を、誰かにデザインされるままに怠惰に生きてそれで良いのか、と。

 

これは政教分離とかそういう政治的な問題ではなくて、日本人が日本人としての民俗性を保ったままどう生きるかの非常に民族的な問題であって、わけの分からない文化人が言うポリティカルコレクトの問題では断じて無い。

 

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で、おたくら神社に口出しするどんな資格がありますの?

 

 

まず冒頭の通り、日本会議らの神社(一部仏閣も)への浸透は、今に始まったものじゃないってことに注目して欲しい。

現役でビジネスマンだった時代は、俺は毎月一回は自分が崇敬している神社に必ず詣でるようにしていたし、近所の古い神社を散歩の目的地にして、余った小銭を賽銭箱に投げ込んで喜捨して帰るのを習慣にしていた。

 

つまり、その過程で気づいたってことは、足繁く寺社仏閣に通う習慣の有る日本人であれば必ずそういう違和感のある事象に気がついていたはずだってことだ。

これはとても重要なことではないんだろうか。

茅の輪くぐりや地方祭、初午の大祭とかそういう神社のお祭に足を運ぶ習慣があれば皆とっくに違和感に気づいていたはずだということだ。

 

日本人が国粋主義を叫ぶようになっている現在、どいつもこいつも口だけでそういうところに全くでかけてなかったというお寒い実情を浮き彫りにしている。

そして、初詣みたいなついでの習慣に出かけだけに過ぎない通りすがりの人々が、憲法改正と日本会議というキャッチーなコピーとあわせて気がついたという現在が、細り続ける寺社仏閣の財政事情を示唆している。

 

で。

ほとんど金を喜捨することもない連中の、お遊びの初詣に施設を開放してあげている寺社仏閣が、なぜ自分たちの行動にいちいちくちばしを挟まれなきゃいけないのか?

という基本的な問題が浮かび上がってくる。

 

寺社仏閣の宗教上のビヘイビアや、財政問題、地域住民として相互に共有する何かのいずれを通じても、こうしたことを問題視する殆どのやつに口を出される筋合いは現在の寺社仏閣にはなく、いきなりそんなことを言われても困惑するだけなのが関の山なんだろう。

 

政教分離とかそういう問題以前に、神社だろうがコンビニだろうが、何の関係もないやつに突然ああしろこうしろ、お前の○○がおかしいと言われても、何を言っているのか理解できないはずだ。

イスラム教の信徒でない人が、モスクの運営にイスラム教的な観点からくちばしを挟むのはおかしい。

 

お前は問題視している神社の敬虔な崇敬者なの?

違うよね。

 

 

創価学会による寺のM&Aが示唆していた財政問題による宗旨転向

 

こういう日本会議の浸透というのは、年々運営が難しくなっていっている寺社仏閣の財政問題や後継者難に端を発している。

 

後継者不在の神社で、後の神主の派遣を頼めるのは神社本庁しか無いし、弱り切った神社の総本山格を勤める神社本庁では決して内福とはいえない財政に頭を悩ませてることだろう。

 

つまり、金が無い、人手が足りないで困っているところに、日本会議が近づいたのが本当のところじゃないんだろうか。

日本会議の代表者に歴代で最高裁の裁判官のOBが勤めている事実を虚心に見れば、そういう人間でも転んでしまうだけの豊かな金の匂いが漂ってくるはず。

(殊に、なまじ素性のいい人は変な所に天下ったり寄付を依頼したり出来ない。つまりそういうお芝居のステージを準備するプロが、金もって近づいてきたらコロッと行くわけだよ。木村剛の日本振興銀行みたいに。

 

こうした現在は相当前からすでに創価学会の積極的な仏閣のM&Aが予言していた。

ど田舎の檀家不在のお寺で、食い詰めてお手上げになった所に創価学会が近づいて、丸抱えにして買収する。

最初が檀家組織に依存した寺がやられた。

 

時代が進んで宗教が弱体化するにつれて、いかがわしい連中の浸透を許す穴が、財政難と後継者不足のせいであちこちに開いていったわけだ。

 

つまり神社の右傾化というのは、氏子として活動すべき人々の怠慢によって発生したものであって、神社が積極的にウヨクを歓迎したのではなく、気が小さい真面目な神主さん達がそれ以外に「自分の代で伝統を終わらせない方法」を見いだせなくなった逼迫した事情の表象化という捉え方をするべき性質の現象ってことだ。

 

法的な問題(無いけど、そんなもんは。)とは全く別個の、宗教の弱体化と言わざるをえない現象だ。

古代ローマを滅ぼしたキリスト教が、時代を経てあちこちの王国の国教になり、王侯貴族の庇護を受けずにはやっていけなくなった主客転倒と似ていると言えなくもない道をたどり始めたのを今目の当たりにしているわけだ。

政教分離で言えば、これを法律で取り締まることが政教分離の原則や思想信条の自由に違反しているわけで、これを法律問題としてポリティカルに捉える現代日本人には、民俗的な意味で付ける薬がないレベルといえる。

 

神社の右傾化が嫌だったら、まずイオンとかアマゾン経由で葬式をするのをやめなさい。

 

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コメント

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  • コメント (5)

    • 迦陵頻伽
    • 2016年 1月 09日

    変な相対主義とか宗教離れとか、日本人はどんどん人としての背骨を失ってきているように思います。

    • 迦陵頻伽
    • 2016年 1月 09日

    そいや、最近は棟上げ式で餅投げなんてのも見かけなくなったな
    お金の入ってる大きい餅にを奪い合うのは面白かった

    • gundari
    • 2016年 1月 09日

    @迦陵頻伽 さん

    結婚式で郷土料理なんてのもなくなったよね。
    何もかも昔が良いとは言わないけど、風習が廃れたら維持できないものって盛り沢山なんだけどなぁ。

    @迦陵頻伽 さん

    個人的には貧乏とテレビのせいなんだろなと思っています。
    どちらも地域間の差異を否定するし、必要不可欠なコストを無視する性質がありますからね。

    • 元通りすがり
    • 2016年 1月 11日

    神社に櫻井よしこの顔があるのは虫酸が走るし素直に怒りが湧きますが、それらの施設に我々がどうコミットして行ったら良いのか・・。コミュニティの素朴な中心だった神社が知らない間にまるで「オレオレ詐欺」のアジトにでもなってた様な気持ち悪さ。その遠因・原因はと考えると・・我が身を振り返り情けない思いです。

    • gundari
    • 2016年 1月 11日

    @元通りすがり さん

    仮に、皆が何も考えずに「宗教=パブリック」としてこの問題にくちばしを挟むのであれば、同じ宗教の統一教会や幸福の科学もパブリックに受け入れない限り筋が通らなくなりますよね。
    (それを狙ってる部分もあるわけですよ。完全に古典宗教と対立する連中が神社利用してるわけですし。)

    この場合、「神社=私達の思い出の場所」として主張しなければいけないし、そのためにご近所さんとして神主さんの仲間にならなきゃいけないわけです。

    どうも、ネット論壇の文化人はそのTPOが理解できてないんですよね。
    キモ・オタが勝手に自分を先天的マイノリティーと同類視して、サヨクに自分たちが尊重されて守ってもらって当たり前だと発狂しだすのと同じことになるので、そこら辺をちゃんと切り分けて欲しいと思っております。
    (時にはホモ、時には有色人種・在日に混ざってまで図々しく権利を主張しながら、日頃サヨク・リベラル・市民運動をコケにしている連中と同じことをやっちゃってるわけです、無意識に。)

    七五三やら、厄払い祈祷・新車の祝詞やら、そういうものを行事やゲン担ぎとして沢山制定しているのって、我々の神を我々のための神として付き合っていくための知恵なんです。
    機会があれば神社利用してくださいね。

    キモオタ・ホモウヨの権利を市民活動家やリベラリストが一顧だにしないのも、彼らの運動に何一つコミットしないただの通行人の権利まで守ってる暇がないからですし。

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