資格商法のブームから既に予見されていたコスパ論のウソ、ついに可視化
荻原氏は新団体の設立背景に絡んで「ひとつの団体にまとまる上で共通のテーマが必要。そこで注目したのが、2020年に向けたサイバーディフェンスリーグ。五輪に向けて政府や企業、団体などがサイバー攻撃を受ける可能性があるが、現在のエンジニアは企業などへの対応で忙しい。五輪そのものに対して、ボランティアで対応できるエンジニアが必要で、今後5年間で4万人のエンジニアを育てなくてはいけない」と人材の育成が急務であることを強調した。
徴兵制コストパフォーマンス論についてさんざんアホらしい勘違いを指摘してきたわけだけど、現実が追いついてきたようで。
コストパフォーマンスたって、緊急事態に即応して何とかするというのに、金を払うはずがないだろと。
まずはサイバー防衛のボランティアから可視化し始めたけど、徴兵や災害の復旧やらでまともに金を払うはずがない。
田舎で水害とかあった時に、土建屋が初動の金を売り上げに計上できているかといえばそんな事はなく、予算化されるまではタダ働きってのはよくある構図だ。
「日本が大事なんだろ、国は守らなきゃいけないってわかってるんだろ、ならただでも出来るはずだろ」この三段論法の最終部分がオリンピックのサイバー防衛で形になった。
この結果、こうした動きに積極的に協力するこの団体の企業は、今後マイナンバー関係の案件などを受注しやすくなるだろう。
徴兵制でも全く同じ。
従業員から何人出したかで受注に影響が出るようになるのは想像に難くない。
なんなら(批判逃れの為に)出した従業員の人件費は企業に負担義務とでも言いかねないだろう。
帰ってきて会社がなくなってたらハイさよならよ、徴兵制コスパ論の最も効率の良い解消方法は、金を払わないことだ。
大好きな日本を命がけで守る栄誉を授かって、金までもらおうとか図々しんだよ、馬鹿じゃねーの?
働けば金がもらえるという通説 盲信の一方で労働に金がかかる時代になったのが現実
このロジックが具現化しないと頑なに多くのホモウヨやミリオタが信じ込んでいる一方で、現実はその方向をもう15年以上前から示唆してきた。
彼らの言うコスパというのは、働けば金がもらえるという通説に基づいたものだった。
働くという事について、もっぱら出勤してタイムカードを押せば金を貰えると信じ込んでいるからコスパを主張していたわけだけど、社会はその盲信をよそに大きく形を変えてきたのが現実だ。
例えば、資格をとって「働くために金を使っている人」は今沢山いる。
資格商法として一つの業界が出来上がるほどの規模で、資格の種類によっては専門学校まである。
昔は簿記学校とか、独立して立派に生計が立つような資格以外でそんなものはなかったわけだけど、今や出版から学校までいろんなくだらない資格を取るためのビジネスが乱立している。
働くために自己資金で投資が必要な時代になったし、タクシー運転手の求人で「二種免許の取得支援します」が立派に売りになる時代に既になっている。
インターンとかにしたって、一昔前は正社員で雇用した後新人教育の期間で企業が責任をもって投資していた時間なわけで、それを手弁当で被雇用者(の卵)が賄う時代になっている。
働いて金をもらうかどうかという議論以前に、働かせてもらえるかどうかを自腹で試してもらう。
このパラダイムシフトの大きさを多くの人は鈍感さ故に気がつけてない。
労働ですらこうなっているものが、愛国や国防を最優先に持って行こうとしている流れが具体化しつつある中で、「国防に参加して金がもらえる」という寝ぼけた甘いロジックが通用するはずもなく、末端の兵卒相当は選抜徴兵で体力が優れたやつを抜粋して、無償奉仕という方向に必ず持っていくだろう。
日本の財政で、そこに投資する余力なんか既に無いわけだから。
塚本幼稚園関係者の集い
秋元康作詞作曲「日本」
無論射撃から砲撃まで、進んだIT化は職能を要求しない。
無線で送信される指令に従って移動し、据え付けたものの発射ボタンを押すだけ。
フィルターするのはそこまで迅速に移動するフィジカルがあるのかどうか、ただそれだけだ。
働くということは、タイムカードを押して座ることから、成果を出すことに変化した。
あらゆる職場で生命保険の外交員化した雇用形態が進むだろう。
その変化を受け入れることができてない時代に取り残されたアホがコスパコスパとバカの一つ覚えを喚いている。
働くために金払う時代になっていることに気づいてる人は実は少ない。
金を持っているやつや頭がいいやつほどその変化を認識している。
例えば弁護士や医者になって働くためにいくらの投資が必要か?それ以下の連中はそこに鈍感だったってだけの話。
人間に求められるのは、意欲でも根性でも若さでも酒の強さでもなく、専門分野における経験・能力となった。
大量に雑用係を掻き集めて、気の利いた雑用係を出世させていくシステムは、もはや現代社会に合致しないのである。
(目端の利いた賢者は、もはやシンソツと云う名の雑用係を募集していない)
故に、社会は若者にも容赦なく技能と経験を要求する。
勿論、多くの若者はその両方を持たないから搾取される。
「インターン奴隷」「インターン詐欺」
底辺でも知っている単語である。
恐らく、実態については貴方の方が詳しいのではないだろうか?
隠岐國学習センターでもインターン学生が働いている。
A氏は「搾取になってしまわない様に細心の注意を払っている」と語った。事実、気を遣ってはいるのだろう。
だが昔は、今の大人が若い頃は、今インターンの学生がやっている仕事には正社員・正職員の待遇が与えられていた。
何より、現在の若者ほど真剣にその職務に向き合っていなかった。
違う、とは言わせない。
今、我々が生きているのは
「労働する権利を買わなくてはならない時代」
である。
常識や正義がすり替えられる瞬間に大衆の殆どは常に気づくことが出来ない
こうした現象に気がつく人というのは、人口100のうち3とか5とかしか居ないのが実情だ。
小泉政権の時に倒産はスゴイ件数起こったけど、経済政策の良し悪しを別にして倒産の原因を写実的に表したら「時代の流れについていけなかった」が原因の企業がその8割以上を占めていただろう。
資産を持っている事自体がリスクの時代になったり、通信回線を有効活用した活動ができなかったり、他人の倍働くことでしか埋め合わせが効かない(金だけ支度しても何も動かない)時代になったりした事に多くの人が気付けていなかった。
勿論、政策というのはそういう人達をソフトランディングさせて社会を穏当に維持する義務を負っているのだけど、その枠を突き破った小泉政権への怨嗟の声を上げる事に集中した殆どの人は、「自分が時代の流れに取り残された」事に気づけなかった。
資格商法が蔓延し始めた時に、「ひどい時代になった」と思ったし(親分として君臨したかったらその金は会社で出さなきゃいけないのに。)、被雇用者の人が「自己投資」と口にするときに、『奴隷に自分の首輪を買わせる時代になったのか』と愕然とした。
自己投資と口にしながら、多くの人はその投資に実は換金する方法がないことに気がついてない。
投資というのはたとえ自分が働けなくなったとしても、売りに出したら値がつくものにする事を言うって事を知らないがゆえに、純真無垢な顔で多くの人が自己投資と口にする。
半分ボケていたとしても、医者の免許さえ持っていれば、介護施設の人が名前を借りるために金を払ってくれるわけで、自己投資と言って良いのは最低限このレベルからなのだと解説してくれる人は世の中にいない。
今回の時代の流れの変化に気づけてない茹で蛙組は、「最後のラインで国に頼る」時代から「持っているものの何を国に差し出せるか」という時代に変わったことに気づけないままでいる。
何も考えずにゆったり暮らすことがこれほど難しくなった時代はここ100年で、今と明治初頭くらいだろう。
オリンピックのロゴマークに金を使い、立派なスタジアムを建設し、このIT業界の会合に補助金は出せても、4万人のボランティアに金は払わない時代になった。
それは手が一本しかなくても畑仕事の手伝いができると突き放される時代の到来を予言しているし、美しい日本の為に刀を取れる栄誉を喜べという時代の到来を示唆している。
コスパ論を喚くときに最も肝要なことは、何がコストかは時代によって変遷するってことだ。
それを看破する力は100のうち3や5にしかわからないのであって、残りの97や95がコスパを語っても空論でしか無いという事だ。
社会保障維持のために増税を決定して、その翌月に公務員の給料を上げて社会保障を削減するような現実を横目に喚くコスパ。
4万人のボランティアにかけるコストを誰が受け取るのか、そのコスパは織り込んでいるのだろうか。
常識と違って正義は普遍的なものである一方、常識の中に存在する正義と普遍的に存在する正義と二種類ある。
常識が意図的に変貌する時に、通説で固められた正義は連動して変動する。
沸いてくるクソコメ、踊るクソリプ。年単位でつきまとうネットストーカー。
日本有数のネトウヨ・キチガイ・ネットトロルウォッチャーです。
主に経済・哲学・ライフハックを扱います。
コメント欄は日本有数の保守(ホモ)、ネトウヨ、ネットトロル博物館となっております。
義務教育で学び損なったらどこまで悲惨な人間に育つか?
子育て世代の貴重な見本がコメント欄に大量に所蔵されています。
「働く資格を買う時代」とは言い得て妙ですね。
そもそも論的な話で言えば、日本以外のほぼすべての世界では働くためには経験や能力が必要です。
それは仕事に人をあてがうからであって、仕事に対応した能力がなければ雇われないのは当たり前。
だからこそ、海外では若年者の失業率が非常に高い。
日本の場合も、人材育成に会社が金を使えない以上、それを負担するのが誰なのか、という話なわけで。
私が以前あったL型大学G型大学の考えに与するのは、ぐんだりさんの言う、95の人がそれでも生きていくためには
働く資格、が必要なわけで、それを効率よく取得するには(時間的余裕があり、かつ国などからの補助が入れやすい)大学時代に行うのが一番適切だと思うからです。
そういった職業的レリバンスがあれば、少なくとも入り口にたどり着ける確率は上がる。その上で中に入ってからは自己研鑚する、
というのがソフトランディングなのかな、とも思います。
投資については私は別の意見で、自分のワークエンプロイアビリティを確保する、人的資本を可能なら向上させる、無理でも維持するのは立派な投資だと思います。
そのために資格が有効なのかは別の話…。
なんにせよ、このニュースについてはボランティアが必要だ、と言っているのが当の本人たちであるIT業界の会議であることは噴飯物ですね。
おっしゃるように、ボランティアで国を守れ、という方向性(いわゆる古くから言われる兵役義務としての血税)を要求するようになるだろう、というのは慧眼ですね。
本当におかしい方向に向かっています。
@kum@ さん
全部は否定しないんですけど、今の日本のつまづきの要因ははっきり言って時代の流れに取り残されたことですので、そのシステムの中での職能を大学で教える意味ないと思うんです。
オプションとして検討すべきことは2つあります。
1・パラダイムシフトに成功して次世代的な何かでイニシアチブを握る
2・アジアのミラノやパリとして若者文化を牽引し今後の30年間の飯の種にする
これです。
1は職能教育はあまり関係なく、千三のつもりで研究室に金を流すことにあります。
気宇壮大な科学者の夢のどれが当たるか、辛抱強く待つしか無いと思います。
なぜなら、研究結果のマネタイズは日本人にやらせてもダメだと今までの時代で証明し続けてきたからです。
2ですが、今まで世界の若者文化をリードしてきた全ての国で、若者は勤勉ではなく、マリファナを吸うふしだらで勝手な存在でした。
抑圧や勤労を押し付けられる多くの国の若者は、その怪しげな魅力に引っ張られてその国のジーンズや音楽を受け入れて金を突っ込んできたわけです。
職能教育にシフトして、気宇壮大な妄想とも取れる研究者の夢へ挑戦する山っ気や、そうした他国の若者を誘惑する「健全な自堕落さ」が育つでしょうか?
それって焼畑農業を先鋭化させるだけのような気がするんです。
日本にとって大切なのは、時代の流れに取り残されたまましつこく自分の支配権を手放さない人が、時代遅れになったことを認めることだと思うんですよ。
変貌したロジックについていくのはまずそこから始めないと無理な気がします。
日本にある経験や能力の殆どが旧世代の産業由来のものである以上、それをかなぐり捨てないと状況の抜本的打破はできないんだという現実は理解し対処を考えなきゃいけないと思いません?
なんか小学生にもボランティアさせるんだよね
笑っちゃいけない五輪の始まりかな?
おお!俺、底辺さんのサイト経由でここ知ったんですよ。
時々しか更新されてませんがいつも興味深い記事ばかりです。
掲示板が荒れないのは管理人の人徳でしょう。(貴方に対する嫌味)
ま、前置きは置いといて、
オリンピックのセキュリティなんてものには2流の人材しか集まらないでしょ。
できる人ならトヨタの自動制御や三菱のMRJ関連とかに勤めてますって。
「豆蔵ホールディングス」という会社名、早速リムられてます(笑)
@にこまつ さん
底辺さんは酸いも甘いも舐め分けた人ですからね。
時々チャットでお話します。
ところで、豆蔵はそのトヨタや三菱の下請け大手です。
クラウド関係で名前が上がるとすればの結構知名度高い会社ですね。
これが日本のレベルなのかと呆れました。
ちなみに豆蔵の株で1000万溶かしました。
豆蔵ホールディングスって会社名にお味噌ついちゃいましたね。
現物だったら手放すしかないかと。
技術者派遣って人が財産です。タイムラインに「絶対関わりたくない」って流れてます。
こうなったら長くはないかと。
名古屋なら「メイテック」って大手がありますし。
関口房朗は剛毅なキャラで私は好きです。
@にこまつ さん
もう数年前の仕手化した相場の時ですね。
とっくに損を切りました。(確か震災の2日前に)
好むか好まざるかを別にして、業界ヒエラルキーの上位があれなのが日本だなって認識しないと打開すべき方向性の模索は出来ないでしょうな。
@gundari さん
日本が時代に取り残されつつ有り、そのためにはパラダイムシフトが必要だ、というのは私も同意します。
ただ、それって現状では例の日本版グーグル、Facebookを作ろうと言うあれですよね。
少なくともバブル崩壊以降(私の認識では戦後からずっと)政府主導での成長変革路線が成功した例はありません。
だから、今後も政府主導での政策が功を奏して日本が持ち直す可能性は私は無いと思っています。
ここまでは軍荼利さんもおそらく同意見なのではないでしょうか。
その上で、私は1の方法にせよ2の方法にせよ、実現可能性が極めて乏しいと言わざるをえないと思っています。
1は日本の論文数は既に世界でも没落傾向にあり、仮に大発見があったとしても、東大発のロボット技術が日本で資金を受けられずに米国に逃避した例を思い出せば、事業化は難しいと思わざるを得ません。
2についてはクールジャパン(笑)でなにかやっていますが、日本の【文化】が海外で受けているのって、基本江戸時代以前のものですよね。
侍にせよ忍者にせよ和食にせよ寿司にせよ。
ジブリはその可能性を垣間見せたかもしれませんが、結局はダメなのではないでしょうか。
ましてや深夜アニメ。ラブライブなどの萌アニメ、ライトノベル、少年漫画。
どれも今の日本ですら全体的には衰退傾向です。
日本には民族性として空気を読む能力が必要とされている以上、デザイナー的な人間は育ちにくいのかな、とも思います。
その上で税制とか考えたら、それこそそういった人たちはキャピタルフライトするのではないでしょうか。
日本でやらなければいけない意味ってあまりないと思います。
さらに根本的な問題として、1の手法にせよ2の手法にせよ、その手法が成功したとしても、その手法で潤すことが出来る人間は極めて少ないです。
これは日本だけに限った話ではないですが、近年ますますコミュニケーションが出来てクリエイティブな仕事が出来る人材以外は要らない、と言った傾向が強まっています。
アメリカでも、最低賃金が上がる事によって低時給の代表格であった【マックジョブ】が機械化に取って代わられる見込みが強いそうです。
必定、必要な人間は減る可能性が高く、その中でも生き残っていくのはごく一部のエクセレントカンパニーと、古くからあるような、もしくはニッチに特化したような、現場に密着したような業態だと私は思います。
そして、それらの業態では普通の人間を職業教育をして使えるような人材に育成する労力はどんどん省かれるのではないかと思います。
だからこそ、ソフトランディングとしての、働ける資格を買うための大学教育が必要だと私は思います。
@gundari さん
>それって焼畑農業を先鋭化させるだけのような気がするんです。
確かに焼畑農業的手法であるとは思います。
ただ、今の日本に現状上がり目が無いですよね。
しかし我々は生きていかなければならないので、地を這うような生き方であっても、泥臭くてもしがみついていかなくてはならないのではないかとも思います。
>日本にとって大切なのは、時代の流れに取り残されたまましつこく自分の支配権を手放さない人が、時代遅れになったことを認めることだと思うんですよ。
変貌したロジックについていくのはまずそこから始めないと無理な気がします。
>日本にある経験や能力の殆どが旧世代の産業由来のものである以上、それをかなぐり捨てないと状況の抜本的打破はできないんだという現実は理解し対処を考えなきゃいけないと思いません?
これに関しては完全に同意します。
が、今の国民の政治意識と、それらに指示された国民の代表者たる政治家の言動、
そして何よりも鳩山さんが証明した官僚と財界の鉄の結束を見るに、もはや浮上不能なんだろうなあ、との念をもたざるを得ませんでした。
であれば、考え方を抜本的に変えて、縮小均衡を図っていくほかはないのかなと思います。
幸いなことに人口は減り始めていますし、円安がこれだけ進んだ上に中国などの台頭があれば日本国内に移民が大量に入ってくることもないでしょう(=縮小のための条件は整っている)
あとの突破口は、資本収支が黒字なことくらいでしょうか。
人口が6000万くらいになってからじゃないでしょうかね。立ち直れるとしたら。
@kum@ さん
私も全体的には同意で、本音では多分何やってもダメだろうなと思ってます。
ただ、ファイティングポーズを取ってみることで何かが残せるのではないかと思うんです。
その中での発見で、生き返る局所が少しでも人を幸せにするんじゃないかとか。
そんな淡い希望は持ってしまうわけです。
現状、サラリーマンと、日本では高学歴でも能力が絶望的な公務員に牛耳られた、擬制資本主義は何もかもを食い尽くすブラックホールとして人を不幸にし続けるでしょう。
でも、それに最適化した政策を為政者が口にすることは、諦めであって敗北主義ではないのかと思うんです。
私は仰っている大学教育の向こう側に、複数の資格を持った英語が話せる失業者が見えます。
危険物取扱資格や、観光ガイドの資格を持った介護士が40手前になって介護施設で安月給でオムツを替えているのではないかとか。
結果が一緒である以上、せめてなにか一つくらい抵抗してみては・・・と。
問題は社会システムや日本版資本主義の時代遅れであって、個人の職能は潤滑油としての機能は果たし得ないだろうと思います。
(職能があっても職場も仕事もないのは変わらないと思うんです。)
「仕事をするために資格を買う時代」の本質は、玄人と素人の峻別です。
資格をとった素人が玄人と競争してもやっぱりその他大勢と一緒なのではないでしょうか。。
傭兵しか雇わない国が必要としてるのはプロの傭兵であって、剣術の巧い農民ではないのだと思うんです。