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阪神淡路大震災から20年 Yahoo!JAPANが特集サイト開設 東日本大震災と都市型震災の違い、「その時」の備忘録

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Yahoo!が素晴らしい特集サイトを特設

 

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いまどきだと東日本大震災の経験もまだ新しく、阪神大震災を知らない人も「地震=危ない」という認識は持ってんじゃないかと思う。

それでも阪神大震災をこうしてYahoo!などが特集してるのは、もっぱら津波から逃げる&逃げ場のある地方で起きた場合の災害と、津波がこようが火事がこようが逃げ場を探すのが既に難しい都市型地震の場合はまた勝手が違うから見といてくださいということなんだろう。

実際、都会で起きた場合は裏山へ逃げようと言っても裏山がないわけで、じゃぁどこに逃げるんだという話になる。

 

それは日頃道端の建物や景色に少し意識を向けて暮らさなきゃいけなくなることを意味しているわけで、電車での移動は覚えても地理はあまり覚えない都会生活ではちょっと暮らし方を変えようということに直結してるんだろう。

 

江戸っ子のライフスタイルでちょっと驚いたんだけど、下町のカフェのおねーさんに「五反田というところにはここから電車でどれくらい時間がかかるのですか」と聞いたら、『や、私実は五反田行ったことないんですよ。都民って用がないところには行かないんですよ』とか。

で、Yahoo!路線で調べて、駅への行き方を教えてもらったという。

 

よくわからないけど、東京みたいに電車が発達してたら、週末プチ旅行みたいに色々移動してんのかと思ったらそういうわけでもなく、案外電車の路線に縛られて閉鎖的な暮らしをしてる人も多いのだろうね。

(知らない駅に行くのって結構楽しいと思うんだけど、そうじゃないの?)

 

事程左様に利便性が進んでいるのであれば、長距離でも逃げなきゃいけない事態になったらたちどころに困ったことになっちゃうわけで、都市型の災害で大切なことは

・道を覚える

・助け合える友達を持つ

・災害が起きたら何をするか決めておく

 

この3つになるんじゃないかと思う。

最後の三個目の要件は、これは田舎の災害でもそうなんだけど、「何もそんな大げさな」と言ってヘラヘラ笑ってるうちに事態が悪化しちゃってる部分の大きな要因で、大げさかどうかを抜きにして、何かが許容範囲を超えたらすぐ逃げるという癖はつけておいたほうが良い。

去年も飲んでる最中に、ビルの火災報知機を酔っ払いが作動させたんだけど、ビル火災で多くの人が死んじゃうわけ。

火災報知器が鳴っても「おおげさな」とヘラヘラ笑っていて誰も逃げない。

 

でも大げさじゃなかったことが煙でわかったらどうするんだろうか。

ビルの8階とかから飛び降りて控えめに脱出するのかと。着地した時点で人間はミンチになっている。

土砂崩れだって異様な大雨や、山から噴き出してくる泥水を目で見ているのに逃げないヤツのほうが多い。

 

「何かがいつもと違う」という危険信号をはっきり認識できるようにセンサーを磨いておくべきだってことだね。

 

まず、関東の密集都市で大震災が起きたら、水の確保が肝になるだろう。

今までの歴史で得た教訓は、政権が優秀かどうかに関係なく、即何もかも復旧させることは出来ないというリアルな現実だ。

ウヨクもサヨクもない。

 

ひっくり返った橋桁、ちぎれてマカロニみたいになった水道管、どう短く見積もっても最初の三日間くらいは自力でサバイバルせざるを得ない。

道を覚えるついでに、対価の発生しない水源(湧き水とか)、火をおこしても火災にならない場所をしっかり覚えておいて、避難物資が逃げてる最中に手元にかならずあるという幻想を捨てることだろうね。

 

あと、通信。

Y!モバイルの回し者ではないけど、同社は今でもPHSを扱っているらしい。

電話は通じないのに不思議なことにPHSは通話可能な場合が多くて、電波さえ来ていれば携帯が通話不能の状態でも通話はできるようだ。

 

特に地方から都市に出て行ってる人、残された家族はめちゃくちゃ心配してる。

早く電話して安心させてあげないと、年寄りは脳梗塞で死んでしまうかもしれない。

阪神大震災の時も、地下鉄サリン事件の時も局地的に携帯が通話できなくなってしまった。

 

そしてそのどちらのタイミングでもそこに家族が居て、めちゃくちゃ心配だった。

ちょっとのタバコ代を我慢して、PHSを備えておくってのも一つのアイディアかも?

 

 

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携帯と違ってPHSは加入者が少ないから通話可能なんだろうか?
それとも基地局の構造のせいなんだろうか?
東日本大震災の時もPHSは普通に使えてたみたい。

 

 

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6434人の命が奪われた阪神・淡路大震災から、17日でちょうど20年を迎える。福知山消防署東分署予防係の消防士・西村洋祐さん(27)は、20年前の震災で大きな被害を受けた神戸市東灘区の出身。被災経験者として、消防士として、福知山の人たちに自助、共助の重要性を伝えている。

 震災発生時は小学1年生、7歳だった。親戚の通夜があった1月16日の夜、自宅マンションの寝室で、姉と親戚の子の計4人で寝た。翌17日午前5時45分、母がセットしていた目覚まし時計で起きた。その1分後だった。地響きのように「ドーン」と音がして激しく揺れた。

 頭と足の近くにあったタンスが倒れたが、幸いだれも下敷きにならずにすんだ。すぐあと、西村さんは父に抱えられて外にいた。その時に見た光景…。

 「空が真っ赤だった」。近くで火災が発生し、煙がもうもうと上り、多くの建物は倒壊していた。街の変わりようは、頭で理解できるものではなかった。「ゴジラが来たんちゃうかな」。本気でそう思った。

 震災後は、近くの大学へ避難。電気も、ガスも、水道も止まり、余震が続き、暗いなかで寒さと恐怖に震えるだけだった。2日後、三重県の親戚宅に姉と2人で預けられた。1カ月後、再び神戸へ戻ったが、同じ学年は3クラスが2クラスに減っていた。転校したまま戻って来ない子が多かったためで、それ以来会っていない友だちもいる。

「人の役に立つ」憧れの職業に

 震災直後の神戸では、家屋の倒壊現場から家の人を助け出そうと、隣近所の住民が協力してガレキを取り除く姿をあちこちで見かけた。活発な少年だったが、何も手伝えなかったことが無念だった。

 街ではサイレンを鳴らして消防車や救急車が走り回っているのをよく見た。震災後に、防災訓練で学校に来る消防士の姿に憧れた。

 あの時「何もできなかった」という無力感、そして「人の役に立つ仕事がしたい」との思いが、いつしか消防士という職業へ自らを導いた。地元からは離れていたが、福知山市の採用試験を受けた。

 被災後、学校では防災教育が盛んになり、日頃からの備えの重要性を学んだ。また、住民が助け合う現場を幾度となく見てきて、「人は一人では生きられない。人と人は支え合って生きている」という精神が染み付いた。

 

via: 震災時「何もできなかった」少年 いま命守る消防士に (両丹日日新聞) – Yahoo!ニュース

 

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