政教分離? 初詣で憲法改正を煽る神社多数 日本人の宗教離れが深刻に


結局自分たちの故郷は自分で守るしか無いのが現実 法律や国の姿勢で何もかも解決するほど甘くない

 

こういう問題で「政教分離ガー」と言い出す奴は、殺人罪が刑罰として制定されてから今まで、殺人が根絶された時代があったら具体的に挙げてみて欲しい。

暴対法が出来てから何十年の今日現在、たまに新聞の一面に山口組分裂騒動が掲載されている。

 

仮にこれが政教分離として問題提起しうるのだとしても、法律とか国の方針というのは魔法のように何もかもを解決してくれるわけがないという事をいい加減で知らなければいけない。

そもそも老人の問題や医療や社会保障を削減して、尚増税しているような状況で、そういった勢力の浸透を許さない手厚い文化的財政的支援を国ができるとどうしたら思えるんだろうか?

 

一方で自分たちは、葬式の戒名料が高い、あれが高いと文句ばかりを言い続けて、食い詰めた坊さんはイオンやアマゾンで仕事を斡旋してもらおうとしたり、神社は施設の改修のための寄付を募りたくても、散逸した氏子に連絡を取ることも出来ない時代になっている。

葬式からまで逃げるような連中が神社に寄付なんかするわけがないのは誰でもわかるだろうし、そうした世相で神主さんにしっかりとお布施を準備して地鎮祭や餅まきの祈祷を頼むような奴が居るはずがないのだって誰でもわかるだろう。

 

寺社仏閣というのは、その近隣で生まれ育った人間の心の原風景だ。

青草が薫る夏に、楠の木立から燦々と溢れる夏の日差しを感じながら遊んだ境内や、親戚の法要の合間にかくれんぼをして遊んだ大きな寺の本堂の裏手。

誰しもそういう光景を心のなかに持っているはず。

 

なのになぜそれを維持するのに必要な活動からは逃げるのか?

↓のお神輿を誰が担ぐのかといえば、誰が考えたって氏子さんが担ぐもんだろう。

 

お神輿に対する懐古を叫ぶだけではお神輿は廃れて消えていくだけ。

軽トラの後ろに載せられて道を走るお神輿が珍しくなくなった平成に、極めて当たり前の現象が表象化した。

一円も出さずにつべこべ喚くだけでは、はじめから意図的に接近する奴の悪意からあなたの故郷を守ることは出来ない。

 

神社やお寺が保育園や幼稚園を経営していたら、「金儲けを考えて、浅ましい」などと陰口を叩いてたりしてないか?

坊さんがベンツに乗ったら嫉妬丸出しで陰口を言ってたんじゃないのか?

(そのくせ、自分たちの商売には来てもらって当たり前みたいなことを平然と言うんだよな。)

 

京都の伏見稲荷大社のお賽銭収入が、だいたい年間で12億だったと思う。

一周するのに丸一日かかる巨大な伏見のお山の維持費用、どれだけかかるか想像できるだろうか。

 

お賽銭だけで足りると思うやつは、算数を基礎からやり直したほうが良い。

 

例えば1万人の人口の地区のたったひとつの寺社仏閣で、1万人が80年間でそれぞれ一人5万円しかお布施しなかったらどうなるか。

住職が家族4人で生活して、文化財に等しい本尊の仏像や本堂、門をメンテナンスして、庭園と墓地を維持する。

それが経費毎年600万。

維持不能なのは中学生だってわかるだろう。

 

教師とか市役所の職員と兼業でやっている人がどれだけ居ることか。

(やりくりできない金を給料から追い足ししてるってことなの理解できるか?)

 

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で、具体的にどうすればいいの?

 

結局、改憲騒動でにわかに注目されたこの問題、政治的な問題ではなく、徹頭徹尾地域住民としての寺社仏閣とのつきあい方の問題なわけだ。

寺社仏閣の犯したミスというのは、国やら権力を標榜する連中と接近して、なにか良い結果が起きた例しが世界中で一つもないことから学習せずに、苦し紛れにまた接近してしまったという所に集約される。

 

和銅4年の開山以来1300年続く伏見稲荷で、本山のご神蹟にあった堂宇が焼け落ちたのは、応仁の乱に陣地を提供して関わってしまったからだった。

(伏見稲荷はこの手のウヨ活動に関わってないようだが。)

そういった数限りない教訓にも関わらず一部寺社がこうした現在を呈しているのは、決して戦前回帰志向ではなく財政問題のせいだったことが理解できたはずだ。

 

で、そういうのが嫌な人はどうすれば良いのか?

実に簡単な話で、お布施とイベント事での加持祈祷の依頼を欠かすなという一点に集約される。

 

土地を買って家を建てるなら地鎮祭。

棟上げが済んだら餅撒き。

正月には神社に樽酒を奉納したって良いだろう。

 

友達の結婚式とか商売の開業には、奉納された樽酒のお下がりを金払って引き取らせてもらって差し入れしたって良い。

そういう地道なことの積み重ねで門前市をなして、寺社仏閣の財政が正常化していくという実に簡単なロジックなわけだ。

 

葬式だって戒名料の高い安いを喚く前に、菩提寺の維持にどれくらい金がかかるかとか、大の大人を呼びつけて一日潰させて、一体いくら金を払う気だったのかまじめに考えてみたらどうなんだろうか。

結局のところ神社の右傾化というのはブラック企業問題と同じで、まるで他人に肉や魚を食うことでさえ贅沢だと言わんばかりの、極めて浅ましい消費者心理が影響している。

 

檀家や氏子が生まれてから死ぬまで寺社仏閣を維持し続ける義務が神主や住職にあるにもかかわらず、そいつらは生まれてから死んでいくまでに5万も使わなくなった時代に、そんな文化施設が維持できるわけがないのは自明の理だろう。

 

国だ政治だ法律だと、高尚そうにみえてその実一円もかからないことを、消費者気取りで皆があちこちで喚いている。

そいつらが無料で使っているSNSと、そいつらの地元の寺社仏閣の維持に一体いくらかかっているか、考えようともせずに。

 

気がつけば目の前に、日本会議。

櫻井よしこの講演料、アゴアシ別で日当130万円也。

奇妙な方向に頑なな意図を持った連中が、盛大に札びらを切っている。

 

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コメント

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  • コメント (5)

    • 迦陵頻伽
    • 2016年 1月 09日

    変な相対主義とか宗教離れとか、日本人はどんどん人としての背骨を失ってきているように思います。

    • 迦陵頻伽
    • 2016年 1月 09日

    そいや、最近は棟上げ式で餅投げなんてのも見かけなくなったな
    お金の入ってる大きい餅にを奪い合うのは面白かった

    • gundari
    • 2016年 1月 09日

    @迦陵頻伽 さん

    結婚式で郷土料理なんてのもなくなったよね。
    何もかも昔が良いとは言わないけど、風習が廃れたら維持できないものって盛り沢山なんだけどなぁ。

    @迦陵頻伽 さん

    個人的には貧乏とテレビのせいなんだろなと思っています。
    どちらも地域間の差異を否定するし、必要不可欠なコストを無視する性質がありますからね。

    • 元通りすがり
    • 2016年 1月 11日

    神社に櫻井よしこの顔があるのは虫酸が走るし素直に怒りが湧きますが、それらの施設に我々がどうコミットして行ったら良いのか・・。コミュニティの素朴な中心だった神社が知らない間にまるで「オレオレ詐欺」のアジトにでもなってた様な気持ち悪さ。その遠因・原因はと考えると・・我が身を振り返り情けない思いです。

    • gundari
    • 2016年 1月 11日

    @元通りすがり さん

    仮に、皆が何も考えずに「宗教=パブリック」としてこの問題にくちばしを挟むのであれば、同じ宗教の統一教会や幸福の科学もパブリックに受け入れない限り筋が通らなくなりますよね。
    (それを狙ってる部分もあるわけですよ。完全に古典宗教と対立する連中が神社利用してるわけですし。)

    この場合、「神社=私達の思い出の場所」として主張しなければいけないし、そのためにご近所さんとして神主さんの仲間にならなきゃいけないわけです。

    どうも、ネット論壇の文化人はそのTPOが理解できてないんですよね。
    キモ・オタが勝手に自分を先天的マイノリティーと同類視して、サヨクに自分たちが尊重されて守ってもらって当たり前だと発狂しだすのと同じことになるので、そこら辺をちゃんと切り分けて欲しいと思っております。
    (時にはホモ、時には有色人種・在日に混ざってまで図々しく権利を主張しながら、日頃サヨク・リベラル・市民運動をコケにしている連中と同じことをやっちゃってるわけです、無意識に。)

    七五三やら、厄払い祈祷・新車の祝詞やら、そういうものを行事やゲン担ぎとして沢山制定しているのって、我々の神を我々のための神として付き合っていくための知恵なんです。
    機会があれば神社利用してくださいね。

    キモオタ・ホモウヨの権利を市民活動家やリベラリストが一顧だにしないのも、彼らの運動に何一つコミットしないただの通行人の権利まで守ってる暇がないからですし。

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