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ロシア戦争(ウクライナ侵攻)と百姓一揆 今から私達が直面する世界

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ウクライナ侵攻(ロシア戦争)の歴史的位置づけ

 

この戦争で流れ的な必然でロシアが求めているのは価格決定権を生産者側にというものである。
たとえそう主張していなくてもそれが歴史的必然なのだ。
対露制裁決議に賛成しなかった、あるいは棄権反対と賛成を使い分けた国連加盟国を見ての通り、ほとんど全部が物の生産国である。

石油、ガス、食料を売ることを生業にしている国々で、今までは国民の所得が何万ドルもある国に、所得数千ドルのそれらの国が売り食いしてきた。

欧米でウクライナとロシア(や東欧)の女性がどういうイメージを持たれているか。
誰しも想像はつくだろうが、あまり賢くなく会話が通じない場合も多々ある安上がりな愛人、マッサージパーラーの売春婦、クラブで目腐れ金出したらすぐやらせてくれるパンスケという扱いだ。
東欧とかロシア、ウクライナという時点ですでに色眼鏡で見られている。

高いじゃないか、安いじゃないかと産物を買いたたかれて、食い詰めて音を上げて出国した女はパンツを脱ぎついていった男は一旗揚げようとギャングになる。
漫画みたいな話だが事実である。

いつまでもそういう力関係が続くと思っていたのが幻想だっただけの話で、この戦争で噴出してしまったわけだが歴史的にそこをリバランスにかかったのだというとらえ方が最も正しいと思っている。

つまりこれはロシア人による現代の百姓一揆なのだ。

いま私たちが直面している世界

 

いま世界で実権を握っている年齢層にとって、地球の人口は30億人ー45億人くらいという無意識の認識がある。
金を出せばなんでも買えて、棚に欠品が出ても金払ったらどうにかなるという前提の根源といえる。
人手が足りないのも単に給料のマッチングミスなだけで金出したら人は集まると思っているはずだ。
そう認識してるからこそ働いたら給料が増えて人生が豊かになると無邪気に信じ込んでいる。
(この世界観自体が1970年以前のものだと思う)

実際の1970年では人口は37億人。当時は世界は文明的に今とは比較にもならない遅れた世界で、電力もさほど要らなかっただろうし、食生活も圧倒的に質素だった。
今やアフリカでもハンバーガー店がある国が多数派になりつつあるのだろうし、世界中で野生のものではない肉を食べる国が支配的になった。
化石燃料と電力消費量は見てもないが当時と比較して無茶苦茶に跳ね上がっていることに疑う余地は一つもない。
現在に至って食料の生産量は当時の2.2倍。人口は約80億。

それでもグローバル化した経済と、表面上は平和であった世界、そして発達したサプライチェーンによる在庫最適化で何とか回せていた。

しかし在庫最適化はコロナによって巻き起こされた混乱で少しずつ備蓄志向に向かった国々の影響で崩壊して、グローバル化も維持不能になり崩壊しつつある。
今飢餓がずいぶん減った世界の前提条件は崩壊が始まったし、そもそも潜在的に明らかだった品不足に嫌でも直面しなければいけない時代がやってきた。

私たちは手元にない商品の値札を私たちが貼ってその通りの値段で利益が出る価格で送れといまだに生産者に命じているのである。

 

逃げられない資本の論理

 

今まで資本の論理では「需要と供給」をテーマに、いらないものを安く 買いが殺到したものを少しでも高く 金持ちには安く売り 貧乏人には高く売る 事を当然のこととして行ってきた。
ロシアのパンスケは余ってるから安い、しかし金髪で肌が白いから売りやすいと扱って日本でもフィリピンクラブとロシアンクラブは一時期は山ほどあった。

この資本の論理に従うと、例えば東日本大震災で棚から商品が消えた東京では、おにぎり一個2000円でも売れないとおかしい。
月末の返済余力が3万しかない貧乏人に10万円払えと債権者が迫って、家を差し押さえる自由とそれが両立しない場合資本の暴力といえる。

ただでさえ不足している物資を、「お!品不足じゃん。今こそ供給絞って値上げしてぼろもうけしよう!!国民がベンツ乗れるようにしようぜ」と値上げしようとしたらあちこちからミサイルを背景にした圧力がかかって、OPECが増産したりして半ば恐喝のように値段はぎりぎりのラインで最適化されていた。

こうした暴力的な行為への対抗は結局暴力以外に方法はないのではないかとなった時に暴力は行使される。

今後の世界の人口推移を見たときに、ロシアと東欧、中央アジアの自立権を奪うというのは資本の側、つまり西側諸国にとって至極もっともな経済的合理性のある行動で、親露派大統領がクーデターで引きずりおろされた後NATOに入りたい大統領が登場して、しきりに西側への接近とNATOのミサイルを設置しようというのは、この視点で見た場合西側による暴力の行使の前兆といえる。

最前線が目の前まで来て、これから先もミサイル基地が目の前にある状態で増産交渉や小麦、芋、トウモロコシの価格交渉が行われるのだとなったときに、黙って言うことを聞くか戦争してでも価格決定権を取り戻すのかはかなりはっきりしている。

逆に西側の資本の論理(M&A含む)を敷衍して最も経済的合理性の高い行動にロシアが出るのだとしたら、近隣の資源供給地を合併して、交渉の小道具になるミサイルの設置をやめさせて自分が怒ったら無茶苦茶すると見せつけることである。
アメリカだってイラクとアフガニスタンを滅ぼして反米国家の教訓にしたのと一緒なのだ。

ここまで物が足りないことが明らかになっている以上、この戦争でロシアが敗北して滅ぼされる以外の決着さえ迎えられたらロシアは数年で損失を全額取り戻してお釣りがあるだろう。
世界中の食卓から2割り増し3割増しの料金を徴収したら失った国庫をトリモロスのなんか朝飯前に過ぎない。

むしろ誰にも抑えることのできない資本は、供給が激減したコモディティに投機資金が一気に流入して品不足以上の高騰を生むだろう。
そして飢餓を心配せざるを得なくなった国々による紛争が散発的に起こるはずだ。
供給が3割減るということは、ざっくりで物価は1.5倍になる。しかし品不足が可視化される前の現段階から先高感ですでに値は2割上がっているし、株から商品に流入するマネーはもっとひどい、想像を超えた高騰を招くはずだ。

繰り返すがこの戦争は価格決定権を取り戻すための戦争で21世紀型の巨大百姓一揆だし、防ぎたかったらそれこそ西側が自分たちが今まで主張してきた需要と供給の法則にもっと素直に従えばよかっただけの話だ。
誰だって貿易で儲かって国が豊かになっていたらいさかいを起こそうと思わない。
ロシアとずるずる付き合ってもしっかり豊かになれる見通しがあれば西側がどれだけ頑張ってもマイダン革命は起こりえなかったはずだ。

そうした工作活動らしきものが成功した下地こそ先回りして資本が行使した暴力の痕跡といえるし、それに対する反撃も一揆しかなかっただろうなと思う。

相手の言い分をしっかり取り上げて話し合う 自分たちが振りかざす論理は自分たちにもしっかり適用する
こうした対等な人間同士のマナーが守られていたら起こらなかったことを指してロシアは狂ってるといい、ウクライナ市民の不便と犠牲に涙しながらロシアで営業する外資企業に撤退しろと不買運動を繰り広げる人は頭のねじが緩んでいる。

日本型社会モデルの終焉の時代が到来した

 

この戦争かあるいはその結論の先に待ち受けている、私たちの社会への最も巨大な影響は、旧来日本型の社会モデルの崩壊だと予測している。

日本の社会というのは余ってないと維持できないモデルで形成されている。
例えば人が余っていないのだとしたら現在の病院と介護施設の分別運営をどうやって維持するのだろうか。

例えば物が足りないのだとしたら、生産地から人を引き抜いて東京に移動させて、三次産業で安月給で雇うという構造をどうやって維持するのだろうか。
この産業の多次元構造、しかも三次産業にこれでもかと偏った構造は、平たく言えば家の冷蔵庫 スーパーのストックと棚 卸売業者の倉庫 飲食店の冷蔵庫これら4つを同時に満タンにしてないと全く維持不可能なシステムである。

物が足りないのを回転率を向上させて(サプライチェーンを徹底的に効率化)維持してきたものが維持不能になったうえに、物不足にリアルに直面した今からの世界はその理屈の存在を許さないだろう。

繰り返すがそれって今後も維持できるのだろうか。
物が足りなくなったら4つのどれか致命度の低い順に消えていくことに疑う余地はない。

そうすると東京の地価を維持してきた商業地区は今から全く違う姿に変貌していくのだとしか予測の立てようがないし、バブル崩壊がかすんで見えるような地価暴落しか予測のしようがない。
それが何年程度のスパンで起きるのかしか議論の余地がない既成事実化したといえるだろう。

振り返れば私たちの歴史で、一揆がおきたときその社会の矛盾や欺瞞、宗教や貴族階級の腐敗が露呈してきた。

それに気づかない人は、今に至っても「価格なら話し合いで決めればいいじゃない」(パンがなくてもケーキがあるわ)と吹聴している。

しかし、ないものはないのである。
パンドラの箱は盛大に開かれた。

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