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酒鬼薔薇聖斗 著 『絶歌』 精神医療による更生の無力を証明 再度の殺人宣言を堂々出版

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東慎一郎の出版で衝撃を受ける遺族

 

事件から18年が過ぎ、土師さんら遺族は平穏な生活を取り戻しつつあったが、わが子への残忍な行為が手記によって社会に知られたことで、「多大な衝撃を受け、いたたまれない気持ち。(男性に対する)もういいのではないかという思いは完全に踏みにじられた」と同社を非難。遺族の承諾を得ないままの出版についても、「極めて特異な事件で、公益的観点からの必要性も認められず、遺族の人格権を侵害している」と抗議している。

via: いたたまれない…遺族、加害者の手記回収求める (読売新聞) – Yahoo!ニュース

 

酒鬼薔薇が本を出版して、被害者を死姦したとか衝撃的な事実を暴露しながら懺悔してるらしい。

遺族からの強硬な抗議や世間の風当たりに負けず出版した出版社の、使命的な部分の狙いは悪くなかったと思う。

(もちろんベストセラーを目論んだ部分が大なんだろうけど。)

 

この手の事件の数が少ないというのと同時に、闇を抱えた世帯の対処療法マニュアルと言ってもいい部分は確かにある。

そして誰もがまたいで通りたい人間の陰部を白日の下に晒したというのは文字通り功績というべきだろうし。

 

しかし今回の出版の一番恐ろしいところは、この出版は少年Aこと東慎一郎が再度社会に突きつけた挑戦状という部分だ。

 

おそらく、かなり知能指数の高いほうだろう少年Aはこういう世間の反応も、どこかが必ず出版にのってくることも予想していただろうし、多分自分につくであろう編集担当の透明な使命感でさえ看破していたはずだ。

 

そして激怒する遺族の反応もやはり予想していて、全てを掌で踊らせている全能感に今頃酔いしれていることだろう。

 

酒鬼薔薇は作中で被害者の土師淳君を無垢の象徴として持ち上げる一方で、それを汚す行動によってエクスタシーを得たことを自白している。

そして今回の行為は同様に自慰の一類型のはずだ。

 

 

酒鬼薔薇聖斗 著 『絶歌』 精神医療による更生の無力を証明 再度の殺人宣言を堂々出版 %e6%95%99%e8%82%b2 %e5%8c%bb%e7%99%82 %e3%82%b3%e3%83%9f%e3%83%83%e3%82%af%e3%83%bb%e3%82%a2%e3%83%8b%e3%83%a1 syounen domestic health

 

 

 

「更生」しながら事件を反芻して自慰に耽っていた少年A

 

「異常な記憶力と感じた」

——ところで、手記のエピソードは、どこまで本当なのでしょうか。彼がどこまで真実を語っているのかについては、どう感じられましたか。記憶が間違っているとか、あえて都合の良いように書いているということはないでしょうか。

「記憶が間違っていることはおそらくないと思います。なぜなら、あそこまで細かく描写できるのは、場面が脳にシーンとして刻まれているからだと思います。手記は、記憶の再現だと思います。本当に記憶力が良く、特に視覚における記憶力が並外れていますね。

たとえば、先ほど私が『削ってもらった』と言った場面の一つが、最初の取り調べのシーンで、最初の原稿ではとにかく人物がめちゃくちゃ克明に描かれていました。これは本人が特定できるなというぐらいの描写なんですよ。部屋の様子なども含めて、鮮明に覚えているのだと思います。そこで交わされた会話も含めて、異常な記憶力だと感じました」

via: 神戸連続殺傷事件「元少年A」はなぜ手記を出したのか? 太田出版・編集担当者に聞く (弁護士ドットコム) – Yahoo!ニュース

 

これが自慰行為の一類型という証拠に、出版のプロを唸らせた異様な完成度の高さの原稿、記憶力が挙げられる。

例えば自己嫌悪に陥るほど事件に対して罪悪感や嫌悪感を感じていた場合、人間は健全な脳の働きとして忘れるという作用が必ず働く。

事実自分の中で最も屈辱的で嫌だったはずの思い出について本書では触れてないというではないか。

次にこの事件で触れられていない点とは、医療少年院における彼の治療についてである。この本では、Aが少年院に入っていた15歳から21歳までの6年半の記述がほとんどない。後半で遺族や自分の家族の手記を読んだという回想は見られるが、彼が受けた治療についての言及はほとんどない。

via: 「酒鬼薔薇聖斗」の“人間宣言”――元少年A『絶歌』が出版される意義(松谷創一郎) – 個人 – Yahoo!ニュース

 

”すべて記憶してそれに対して解析を加える”というのは、「次に備えた準備」をしている場合や、反芻してかみしめていたい快感として脳が受け入れている証拠にしか見えない。

つまり少年Aは医療行為を受けながら、自ら「彼が僕のミューズである」と自白する土師淳君を殺してしまった自己嫌悪感に押しつぶされるどころか、それを踏みにじって破壊した犯行当時のサディスティックな快感に繰り返し浸っていた。

 

どう屁理屈こねたところで神戸首切り殺人は、東慎一郎が酒鬼薔薇としてニュースに登場して、少年Aとして世間を騒がせるところまで狙っていたはずのまぎれもない劇場型犯罪であって、複雑な理屈は所詮は建前でしかないはずだ。

今まで色々付け加えられてきた屁理屈を、彼の当時の犯行ははっきりわかりやすい形で否定している。

 

最初に女児が襲撃された時はゴムのハンマーで殴りつけて重症を負わせるにとどまっていて、警察の捜査や家族の反応、致命傷の与え方に一種の「瀬踏み」をしている。

事実2回めの女子児童襲撃では金属製のげんのうで正面から殴りつけて脳挫傷を起こさせて殺害をしているし、相手を騙して振り向かせることで致命傷を確実に与えにいっている。

(多分、おでこを正面から割るように狙った(後頭部の急所より面積が広く当てやすい)のと、殺される瞬間の顔を見ようとしたんだろう)

 

三度目の殺人は首を切って校門に置き捨てたものだけど、首を晒すことをはじめから狙っていたのか撲殺や刺殺の手法を採用せず絞殺しているし、計算通りに死なないことに腹を立てたのか土師君を繰り返し殴打している。

なぜ障害者であった土師君を狙ったのかも、ミューズがどうとかそんなものは後付の適当な屁理屈であって、山まで誘拐しないと解体などの時間が取れないという前提で「簡単に騙せて山までついてくる相手」で絞り込んだってだけじゃないのか。

 

つまり目立つためには熟考するし手段を選ばないのが東慎一郎の本質であって、その動機の部分を評論家が複雑に評論すればするほど人殺しのキチガイの自慰行為に手を貸す結果になるだけだと思う。

至って簡単な「殺人で自慰行為」「マスコミや世間を踊らせて嘲笑したい」「著名なコメンテーターに的はずれな推測をさせてあざ笑いたい」という酒鬼薔薇の欲求にマスコミや世間はすでに一度踊らされている。

 

たとえ動作的な意味合いでのアウトプットが複雑だとしても、人間の動機はシンプルなものだ。

金がほしいということはいい暮らしがしたいということや、誰かを助けたい、あるいは異性にもてたいという動機と直結している。

鬱病(自称鬱レベルの話)という病気一つとっても、怠けたい、同情されたい、食うのに困ってない故の退屈まぎれというシンプルなものに集約されるはずだ。

 

上述までのロジックでシンプルに32歳の少年Aを観察した結果、俺はやはりこれは「凡百の一」として市井に生きることに我慢ならなくなった精神病患者が再び動き始めたということなのだろうと思う。

 

昔とった杵柄で再度世間を騒がせに出た東慎一郎は、計算通りに踊っている世間を見てほくそ笑んでいるだろう。

「やっぱり愚民は何も学習できない」とか中二病丸出しのセリフでも呟きながら。

 

大人になった今の僕が、もし十代の少年に「どうして人を殺してはいけないのですか?」と問われたら、ただこうとしか言えない。

「どうしていけないのかは、わかりません。でも絶対に、絶対にしないでください。もしやったら、あなたが想像しているよりもずっと、あなた自身が苦しむことになるから」

 

東慎一郎は獄中で苦しんだ事を匂わせる。

何に苦しんだか、この動機も至ってシンプルだ。

 

捕まったから苦しんだだけだし、明晰なる記憶を分析するってことは捕まらない手法の立案と更に世間を騒がせる計画の存在を伺わせる。

 

こいつは逮捕されたから苦しんだだけ。それは自律的な苦しみを意味してないし、殺したことによって背負ったもので苦しんだことも意味してない。

「冒険」の結果破壊された過去の静穏を望郷していたに過ぎない。

 

本当に彼を更生させるのであれば、誤解を恐れずに言えば気が済むまで人を殺させて、逮捕せずにほったらかしにしておくしかなかった。

そして大多数の人はそういう悪魔の存在を知覚しようとすらしていない。

 

 

本当は理性を持てない大多数の人々 灯台は足元を照らさず

 

ではなぜ有名大学を出て様々な経験を積んだような人々も含めて、世間はタリウム大内徳勝もなみのような「悪魔」の存在を知覚「しない」のか。

それは簡単にいえば、人間のほぼ7割8割の人というのは、理由さえ整合性がつけば人を殺すポテンシャルを内在させているということに理由があるはずだ。

 

結論から言えば、人間のおよそ90%は生まれながらに精神に悪魔を宿している。

いじめであったりパワハラであったり、理不尽な力を行使する側に立って何の罪悪感も感じない人間が世の中にどれほど居るか考えたらすぐ分かるはずだ。

(ごく少数の人はヒトが悪魔に変化する瞬間を目の当たりにすらしているかもしれない。)

 

「殺しても捕まらない」という現実が仮に出現したら、面白半分で他人を殺す奴は過半数になるだろう。

 

その動機がどれほど身勝手で結果部分がどれほどリスキーかという部分の担保によってのみようやくまともな人間の形骸を持てる人が世の中を支配している。

酒鬼薔薇聖斗や猟奇殺人犯らが異様な存在として認識されているのはトリガーになる理由が実務的ではなかったってだけのことで、その危険性を汎用的に分析したらほとんどの人間は危険性があるとして処分される側だ。

 

だから人間が持つ悪魔を否定している。

本質的な理性というのはその存在を認めた上で自分で戦って勝ち取らない限り持つことは出来ない。

多くの屁理屈文献はその恐怖から逃れるためにひり出された文化人のクソに過ぎない。

 

頭がいいやつほど知っている。

普通の性交に飽きたが故のアナル開発と酒鬼薔薇聖斗の快楽殺人が実は紙一重だってことを。

 

本書の出版をもって、酒鬼薔薇の危険性を明示的に警戒することは、社会秩序の崩壊を裏腹にしているのだ。

住民の9割がお互いを悪魔だと認識しあって警戒するコミュニティーに持続性は発生しない。

 

ところが世界各地の歴史を見れば、普段は虫も殺さないような暮らしをする百姓たちが、落ち武者狩りで重傷者にとどめを刺して身ぐるみを剥がすような生業を実際持っていた。

「誰に」「どの程度の重さのトリガーを経由して」狂気が発動するかという実に重いものを受け入れることは出来ないだろう。

 

結論から述べるならば、この本は(留保付きではあるが)出版することに意義があると考えられる。なぜならそれは、ときに神格化あるいはスター扱いされる猟奇殺人者「酒鬼薔薇聖斗」の“人間宣言”であるからだ。

あと1年早く出版されていたならば――と強く思った。昨年夏に長崎・佐世保で起きた高1女子の同級生殺害事件、そして名古屋大少女の事件と、未成年者による猟奇殺人事件が続いた。このふたりに共通するのは、ひとを殺すことや人間の身体に強い興味を示していたことだ。もし彼女たちがこの本を読んだならば、もしかしたらそれらの事件は食い止められたかもしれない。それくらいに、この本に記された少年院出所後のAの流転と悔恨の情は重い。

 

via: 「酒鬼薔薇聖斗」の“人間宣言”――元少年A『絶歌』が出版される意義(松谷創一郎) – 個人 – Yahoo!ニュース

 

 

酒鬼薔薇聖斗の殺人宣言はいつ具体化するのか

 

今回の東慎一郎の「絶歌」出版は、ある意味では老境に差し掛かって子の死を受け入れた被害者の遺族に対しての殺人なんだろうし、死してなお蹂躙された被害者の二度目の殺人と言うべきかもしれない。

(冒頭に記載の通り、その社会的意義を認めざるをえないという点を踏まえても。)

この十一年間、沈黙が僕の言葉であり、虚像が僕の実体でした。僕はひたすら声を押しころし生きてきました。

それはすべてが自業自得であり、それに対して「辛い」、「苦しい」と口にすることは、僕には許されないと思います。

 

でもぼくはそれに耐えられなくなってしまいました。

 

自分の言葉で、自分の想いを語りたい。自分の生の軌跡を形にして遺したい。

朝から晩まで、何をしている時でも、もうそれしか考えられなくなりました。

 

そうしないことには、精神が崩壊しそうでした。

自分の過去と対峙し、切り結び、それを書くことが、僕に残された唯一の自己救済であり、たったひとつの「生きる道」でした。

 

僕にはこの本を書く以外に、もう自分の生を掴み取る手段がありませんでした。

 

しかしこの出版はおそらくそう遠くないうちに新しい被害者の発生があることを強く示唆していることを理解しなければならない。

 

なぜなら彼は脚光を浴びることで快感を得るという劇場犯罪型の性格が全く矯正されてないからだ。

 

”僕にはこの本を書く以外に、もう自分の生を掴み取る手段がありませんでした。”

これはやはり劇場の中で自分の偉業がスポットライトを浴びていない限り生きている実感が得られないという「新しい事件への誘惑」の自白であると捉えるべきであり、おそらく酒鬼薔薇がネットを通じて見ただろう大内や徳勝の猟奇殺人と、焼け崩れる建築物のような事件の激しい結末が悪魔を刺激しているという疼きの示唆だ。

 

酒鬼薔薇を死刑にしろとか、刑務所から出すなというつもりは全くない。

皆がどうせ悪魔を持っているから殺人歓迎という話でもない。

 

こうした連中から本当に学ぶべきことは何なのか。

それは自分たちが被害者にならないための方法ということだ。

 

自分が本当は一皮むいたらすぐ人を殺しかねない悪魔の様なやつだという現実を多くの人間は受け入れられない。

 

しかしそこから逃げることで警戒すべきものを警戒することが出来ず、「善」を盲信して悪魔と友だちになって真っ先に殺される。

酒鬼薔薇や徳勝もなみ・大内万理亜と一般人の違いは、嗜みとして殺すのか、喜怒哀楽や生活の必然で殺すのかの違いだけだ。

(自分も人殺しになりうる「真人間」が唯一境界線を引けるとしたら、合理性による殺人か否かでしかない。)

 

「それ」が人間とどの程度の距離感で『理由付け』を待っているのか認識しないことには安全な距離を取ることは出来ない。

 

そしてその存在を正確に知覚できる心理的な強さを土台にして初めて、東慎一郎、あるいは酒鬼薔薇聖斗、あるいは少年Aがすでに新しい計画を既遂しているかもしれないという危険性を予期出来る。

 

 

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天野大聖gundari名無し Recent comment authors
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天野大聖
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天野大聖

もし彼なら私はネットで敵にされてる人をターゲットにするかな
そうすればネトウヨは英雄扱いするだろうしねえ

名無し
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名無し

人殺しも衝動的、出版も衝動的…
更正出来てないじゃん。

天野大聖
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天野大聖

本質的に人には野生的な部分があってそれを理性で抑えてるけど野性が無くなったわけじゃない
更生の話ではなくて誰しもが持つ本能的な部分を自覚してそれを野生化した人間への対抗策として
活かそうではないかという話でしょ

名無し
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名無し

天野大聖さん
分かっちゃいるけど東みたいな馬鹿に期待しちゃう僕みたいな馬鹿もいるんだよね…
たぶん、真っ先に殺されちゃうね(笑)

迦陵頻伽
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迦陵頻伽

案の定ネトウヨガーとか言ってたw

迦陵頻伽
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迦陵頻伽

殺された子供はこのキチガイの自己満足で人世強制終了
これ以外の事実は不要 殺人鬼の思考やら生き様には興味もない
キチガイ殺人鬼が少年Aのまま 事件ネタに本を出版して被害者を傷つけ不快に

「僕にはこの本を書く以外に、もう自分の生を掴み取る手段がありませんでした」

このキチガイは 生きる資格もなければ 価値もない 生かす必要もない

名無し
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名無し

本が思ったより売れなくて金にならずに自暴自棄か
親も亡くなった後に金が入らなくなって自暴自棄
またやってやるぜと近所の幼い子供狩り

檻付の病院に入れて出さない必要性があるでしょ
本当にこいつまたやるよ?
いつかは分からないけど、追い詰められたらやるよ
予言じゃなくて誰でも分かってることだよ

天野大聖
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天野大聖

彼にとっては周りからの否定が彼の正当性に繋がるのでは
社会に入れて貰えない人間は社会のルールを守る必要はないし

迦陵頻伽
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迦陵頻伽

私個人としては少年Aには心から死んで貰いたいと思いました、一個人に殺意に近い感情を抱くのは本当に久々です
管理人さんとしてはどう思います?

迦陵頻伽
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迦陵頻伽

もはや人間ではない