自治を軽視し、権力に阿ったツケ
関係者を震撼させたのが、最近、文部科学省が国立大学に示した方針だ。この問題を伝えた数少ない報道である『東京新聞』9月2日付朝刊の「国立大から文系消える?文科省が改革案を通達」と題された記事ではこう紹介されている。
「文部科学省は先月、同省の審議会『国立大学法人評価委員会』の論議を受け、国立大の組織改革案として『教員養成系、人文社会科学系の廃止や転換』を各大学に通達した」通達の文言を素直に読めば、たしかに記事タイトルどおり、文系を廃止して理系への転換を促しているとしか読めない。ところが同記事中で文科省担当者は「今回の通達は文系学部の廃止や理系への転換を提案しているのではない。先に示された役割に基づいて、改革してほしいだけだ」と語っている。あたかも国の強制ではなく、大学の自主性に委ねているかのようだ。しかし、担当者の言葉に登場する「先に示された役割」が曲者なのだ。
ネトウヨも安倍も保守や右翼、民主主義じゃなくて極左主義者だろうと前から言ってるけど、まさにそのまんまの行動を忠実に再現してるね。
安倍沢東と紅衛兵みたいな構図だ。打倒中国共産党の毛沢東主義者、笑い話にもならない。
元来、こういう教条化した異様な政治思想を持ってる奴というのは、生まれ持っての環境や能力のせいで教養というものが欠落していて、現代日本で恐ろしいのはその人数が相当増えているということだろう。
個人的にはマンションみたいな集合住宅の普及のせいだと思っているけど、読書用の部屋を確保できなさそうなマッチ箱で育った奴に、ろくな教養が身につくはずがないという因果関係を冷酷に示している。
この教養というのは、学識や知識とは違ってその人間の脳の広がりを示すもので、数値化しにくい微妙な能力だ。
学識や知識という「ソース」大好きなアホはそのものズバリを解説されない限り何も理解できないけど、教養というのは一つのひも付けされた知識から近縁の事象を網羅的に考え理解する能力の根源になるもので、1を聞いて1以上を理解する能力に相当するんじゃないか。
これが集合住宅で生まれ育ち、本を読まなくなり反対にゲームとアニメに依存してきた人間との力の差の正体だ。
日本の弱点というのはまさにそこで、工場で現場仕事をしてる人の家ならそれでもいいものが、ヘタしたら最近は官僚でも本棚がない家に住んでるほうが多いんじゃないか。
アニメDVDとかプラモ、ゲームくらいしかなさそうな気がする。本棚があったとしても中身が闇金ウシジマくんとワンピースだったりするんだろう。
そしてそいつらがその程度の生活から派生するものを政策や行政に反映していくからより劣化した国になっていく。
結果、海外の国家元首を集めた場所に平然とAKB48を呼んでくる「保守主義者」の総理大臣が生まれるわけだ。
教養というものを持たないから大学を職業訓練校に、とか思いつくんだろうけど、「売れるものが作れない」から日本が落ち目になっているのに、現場でネジを作ったりトラックを運転したりするような奴ばっかり増やしてどうするんだ?
中間層にプレイヤーを増加させなかったら新しい何かを生み出す可能性は派生しないし、そもそも移民で人口減少を埋めようと言いながら移民の座る席を日本人に占めさせて、マフィアでも輸入したいのかと思う。
でも教養という知的素地がない人間にはそれを連鎖して考えることが出来ないわけだ。
これはテストでは発見できない欠点で、試験に合格すれば大学に入って卒業できるという日本式の教育の致命的欠陥の産物だろう。
盲目の絵画評論家みたいなどうしょうもない奴が霞ヶ関と永田町にはびこった。
暗記では埋められない何かを見つけられない教育システムの悪しき副作用だ。しかもその暗記の程度だって世界的なレベルから言えばたかが知れてるみたいだしな。
先進国として、先進性と平和の配当を受け取れる国にするにはどうしたらいいだろうか?
それは90年台の日本やアメリカで証明してきたんじゃないだろうか。
職業訓練学校に通っているような連中からスティーブ・ジョブスや、クールジャパンのフラッグシップと言って良い攻殻機動隊の作者みたいな奴は生まれない。
スティーブジョブスを生み出したければ、教養を重視しながらモラトリアムを取り込んで、インド風の服を身にまとった異様な風体の男が当然のように存在できる学びの場を用意しなければいけないし、それを笑って受け入れる大人が必要だ。
攻殻機動隊の作者みたいなやつを生み出したければ、中級クラスのどうでもいい大学で、ろくに授業にも顔を出さずマニアックな情報を調べながらギークな暮らしに没頭できる環境が必要だろう。
両者にとりあえずのバイトでもしながら、東南アジアをほっつき歩く事が可能な社会の懐深さが必要だ。
どちらも、工業高校みたいなのを卒業して作業服を着せてもあんなアウトプットは生み出せなかった。
作業着を着て現場で仕事をする人材は高専や工業高校から雲霞の如く生み出されている。
その就職すらおぼつかない現状で何がしたいのかわからないし、今現在の悲惨な結果を生み出したのは目先の朝三暮四を追いかけて派遣会社を増長させてきた政府の失策のせいじゃないのか?
それが現在ではこの毛沢東主義者みたいなキチガイの安倍晋三が、労働の喜びをインテリ層に教えこむために現業仕事を叩き込む改革をやると言っている。
(発生以来スポンサーに「利益」をもたらした事例などほぼ存在しない「芸術」に黒字化を求める首長も現れた。)
クールジャパンを推進するために、モラトリアムで作品の卵を温めている若いのに作業着を着せて工場に連行するらしい。(そもそも工場で作るものがなくなり始めているのに)
カリフォルニアに留学してたらしいけど嘘じゃないのか、毛沢東とポルポトに政治を教わったとしか思えない無茶苦茶をやっている。
この程度の矛盾ですら気づけない人が増加傾向を示している事こそが日本の国力の衰退の原因だろう。
学費を下げる、試験を難しくする、卒業を難しくする、派遣会社を規模半減させる。
これ以上簡単な処方箋はないと思うんだが、「教養」がないと紐付けて考えることが出来ないのかもしれない。
結論:就活は人生の目的ではないし、教育は生き方の学習場所だ。なぜ国民が税金を払いながら企業活動に人生まで負担しなければいけないのか?就職と企業は人生の一部にすぎないのに。
国力華やかなりし頃の高等遊民の比率を考えたら答えは一目瞭然なんだよな。
ニートと高等遊民の線引をきっちり見極める教養は必要だけど(笑)
その余裕と鬱屈の中から何かが生まれるのが因果関係なんだが。
↓関連記事↓
- 福祉大国日本 進む「オチコボレ」救済 岡山ではひきこもりに農業で自立支援 次はネトウヨを戸塚ヨットスクールで支援すべき
- 佐世保事件 逮捕された徳勝もなみの父、自殺 社会に追い込まれ自殺させられた「保護者」 問題の焦点が見えない社会に警鐘を。
- サイバーエージェント炎上騒動で学ぶ日本の常識 ”消費者社員”は会社から追い出すべき 常識を失う日本人、中卒ヤクザ以下に落ちぶれた大卒社員たち
- 英語教育、小5から正式教科へ 2018年~ 年々激増する日本語を読み書きできない「普通の日本人」 むしろ日本語教育とディスカッションを強化すべきでは?
- タイ代理出産事件 父親の重田光時氏、資産130億円と公表 半端じゃない光通信の創業者利益
- なぜシングルマザーは虐待に繋がりやすいのか 「あの男」に似てくる子供 憎悪と相反、母性の戦い
- 産経新聞、南京大虐殺報道に矛盾 仙台の中学校教師を「愛國」、自らの「40万人」大虐殺報道取り消さず 大政翼賛の二枚舌、政治ゴロは報道の看板下ろすべき
- 松島みどり法相、ダメすぎる就任会見「小学校のいじめなどもヘイトスピーチ」尋常じゃないその認識、在特会幹部とも記念撮影
- 就活は人生の目的か? 「生き方」の多元主義。働くこと、社会に生きることの意味を捉え直す時代に。
- インターネット脳とはなにか”極度のクレーマー指向 他人への依存 孤立の恐怖 信念の喪失 思考力の低下”検索エンジンにデザインされる人々
- 少女アニメと性犯罪 キモオタ警報発令中 TVタックル関係者に殺害予告、twitterで拡散中 考える力を持ち合わせてないゴイム達
「昨年度6月に閣議決定された『国立大学改革プラン』に従って、呆れるほどスピーディに平成25年秋にはほとんど決定された『ミッションの再定義』によって各国立大学や各学部が目指すべき『ミッション』が、文科省によって一方的に各国立大学に通達された。『各大学との意見交換によって』と書かれてあるが、実際にはそうではない。文科省からすでに文言がほとんど書き込まれ、自主的な数値目標だけが空欄になった『ミッション』が一方的に各大学に突きつけられたのである」
「この表の2,3,4には埼玉大学、千葉大学、横浜国立大学と関東一円の地方大学が並んでいるが、文科省がこれらの大学に求める『ミッション』は共通している。つまりは理工系か医療系に力を注げということだ。実際、文科省の担当者からは多数の私学がある神奈川県では、教育コストがかからない文学部系は私学に任せて、理工系に集中させないと税金を投入する意義を問われると財務省から言われているとの発言があったそうで、その結果ぼくたちが所属している『人間文化課程』は、実態は全く異なるのに単なる教員養成系の『新課程』と一緒くたにされて『廃止』と告げられてしまった(リンクの後ろの方に書いてあります。ほんの二行だけ。これも最初っからこう書き込まれていた)。文科省が国立大学の課程・学科を直接『廃止せよ』と言ったのである。」(上述の室井氏のブログより)文科省の露骨な指示によって、すでに国立大学での教員養成系、文系の廃止は着実にすすめられているのだ。
福井県でも、県下でたった2つしかない人文社会科学系のひとつである福井大学地域科学課程の廃止が決定し地元に波紋を広げていると福井新聞が8月6日に伝えているところからも、事態が相当進展していることは間違いない。
大阪市は、文楽協会(大阪市)への現行の補助金制度を来年度から廃止する方針を決め、今月初めに協会側に通知していたことが25日分かった。来年度からは他の文化・芸術団体と同様に、個別の事業ごとに補助金の申請を受け付け、審査する方式に改める。協会は国と府、市の補助金や公演収入などで運営されており、今後の運営への影響も予想される。
市や文楽協会によると、来年度の市予算に、協会への運営補助(昨年度約2160万円)と活動補助(同約600万円)は盛り込まれないという。市は今月初め、この方針を協会に口答で伝えた。
大阪市の橋下徹市長は就任時から文楽協会への補助金の見直しを表明。2013、14年度に実施した市の指針では、入場者が10万5千人以上なら協会運営費を満額(2900万円)補助するが、下回れば減額する制度を導入。集客に伴い、補助額を見直してきた。しかし、今回の方針では、文楽向けに特定された補助金はなくなり、他の文化事業と同じく、申請を受けて個々の事業が評価されることになる。
沸いてくるクソコメ、踊るクソリプ。年単位でつきまとうネットストーカー。
日本有数のネトウヨ・キチガイ・ネットトロルウォッチャーです。
主に経済・哲学・ライフハックを扱います。
コメント欄は日本有数の保守(ホモ)、ネトウヨ、ネットトロル博物館となっております。
義務教育で学び損なったらどこまで悲惨な人間に育つか?
子育て世代の貴重な見本がコメント欄に大量に所蔵されています。
『菜刀(ながたん)息子』(別称『弱法師』)という落語で、
大家の旦那の奥様が四天王寺の境内にたむろする乞食に金をめぐんでやろうとしたときに
その旦那が言ったセリフ
「タダで銭をやったらアカン、鼻紙でもなんでもいいから貰え……
何も持ってない?
だったら、『あぁ、この乞食らはかわいそうやな、苦労しとるんやな』と思わせるような
そんな声を聞いてからめぐんでやれ……
それがあれらの芸や、
あれらも苦労しとる、そんなら一生懸命に苦労を訴えるその声を聞け
その芸を買うんや」
乞食という生き方や乞食に施すことを否定していない、現代では忘れられつつある思考
明治以前の日本では“働かず(経済活動的労働)に生きる”という生き方を認め、
またそういう人たちから宗教や思想、哲学、あるいは文芸、美術、芸能というものが生み出された
それが出来ない人たちは経済活動によってバックアップしてきた
「働かざる者、食うべからず」という考えの人間的貧困を感じさせますね
大学の入学試験や卒業を難しくしてもあんまり意味なさそうですけどね、今のままだと。
大学よりも中学高校の間の教育を改革したほうがいいと思う。
本来大学は企業が望む人材を育てるところじゃないんだよね
@仏眼仏母 さん
今までの繊維や鉄といった実物経済から精神経済・電子経済に移行せざるを得ない現状、高等遊民を駆逐する試みは自殺的ですね。
教養を醸成できない馬鹿に阿た教育が問題なのであって、就活大学とか馬鹿じゃないのかと思いますね。
大学は就活教室じゃなくて、高等遊民とそれ以外をふるいにかける場所なのだから。
@愛国左派 さん
そりゃそうでしょうね、少なくとも文字を読み日本語を解釈する能力を徹底的にやるべきでしょうね。
漫画しか読まずアニメしか見ないガキを増やしすぎ。
そして道具に頼りすぎて金の計算とか、基本的な反復と動物的勘が必要な仕事の能力が壊滅的になっている。
AKBで外国要人を接待なんて北朝鮮みたいじゃんかよ。しかも喜び組よりクオリティー低いし。悪夢かと思ったわ。安倍はホントに極左だわ。
ニートと言う言葉が良くなかった。
ニート的な人物に対する総称は幾らでもある。
高等遊民
食客
浪人
風太郎、etc…
本来の英語での意味のNEETは
高等教育を受けて無い者が仕事もせずにブラブラしてるというニュアンスだった。
日本でニートと言えばネガティブな意味合いしかない。大卒ニートなんて言葉の定義から外れてる。高等遊民が正しい名称だろ。
言葉が一人歩きして、政治にまで影響を与えてしまった。
ニートって言葉を言い出した社会学者の罪は重い。
文楽なぁ
結局伝統文化の名のもとに、税金を食い散らかす気満々のカス集団でしかないんじゃないの
先人たちは苦労して民間からもパトロン見つけて成長してきたんだ、同人以下の内輪向け堕落文化にしようって言うのなら、そら誰にもそっぽ向かれるわな
@774
そもそも自分が芸術に参加や理解を求められてるか考えたことってある?
それが答えなんだけどね。
労働問題はある程度専門にしているので少し真面目に。
大学を職業学校化しようとしているのは首相のルサンチマンというのは否定しがたい面はあるのでしょうが、
この提案の元々の意図しているところはそれなりに頷ける部分が多いものです。
要するに、今までのようなホワイトカラーを大量に創りだしても仕事が無いんだから、
生きていくためにはそれこそ介護やすき家のバイトのような仕事につかなければいけない人が増える。
ただ、彼の待遇は悪い。それはなぜか?それは彼らの労働生産性が低いからである。
だから、労働生産性を上げるために(現場での教育が企業にはできなくなってしまったので、)
一部の学校以外はその役割を変更していくべきである、ということだと思います。
現在のアメリカを担うMS、Apple,Googleのような企業の創業者になりうる人材を育成していくことが求められているのはそうなんですが、
結局彼らも「頭が良かった」わけで、その役割分担を早いうちにしてしまおう、ということなんじゃないかとも思います。
乱暴な議論だということは100も承知ですが、この議論がそれなりに(私としては)魅力を持つのは以下の3点が理由です
1. 現代日本の労働環境を考えた時に、いわゆる終身雇用や職能制による定期的な昇給制度というものは期待が著しく困難であり、その中で雇用を確保して社会を維持していくためには、すき家のワンオペやワタミの店長のような仕事をして生計を立てていける人間が必要になっていくこと
2. 日本的労働組合と言われた企業別労働組合の組織率は低下する一方であるため、これに期待することは出来ない。ユニオンのような組織は存在してはいるが、数を頼れないため、最終的に交渉力の源泉となるのは自分の重要性なわけで、労働者が自分の理想とする働き方(特に労働時間や密度などの労働との関わり方)をするためにも、いつでも転職出来るだけのスキルを確保する必要が有ること(いわゆるジョブ型社会への移行)
3. ごくごく一部の大学を除いた現代日本の大学に、教養や多様性を教育することは教員の能力的にも今の大学経営の求めている方向としても期待することが非常に難しいこと
です。
特に3は致命的で、ブラックバイトなるものがはびこり、ゼミへまともに出席も出来ない大学生を見ても社会的に動くことができなかった、自分の雇用の安定性だけを求めているような大学教員を変革していくためには、「外圧」に頼らざるをえない部分が大きいのではないかと重います。
また今の日本の40代以下の社会人を見れば、高等教育が行わているはずにも関わらず、教養が著しく欠如していることは明らかなわけで、教養を授けるはずだった大学においてそうなってしまったその理由を探すのであれば、つまらない、教え方が下手だと定評があるような教授群に一定の責任が有ることは否定しがたいのではないでしょうか。
結局のところ大学が自殺してしまったと言ってしまえばそれまでです。
では、私が上述の意見に諸手を上げて賛成かと言われるとそうでもないです。
私個人の意見としては、戦後日本のように高等教育を受けずとも世界的な大企業を作ることに成功した創業社長はたくさんいるわけで、高等教育機関によらずとも想像力を介したイノベーションは可能ではないかと思っています。
ただ、1つの成功例を出すためにはその100倍以上もの失敗が存在するのは避けがたいわけで、
そうすると必要なのは日本人のアニマルスピリットを惹起することではないかと思います。
やはり数は力かな、とw
ですが、やはりおまんまが食えなくては始まらない部分もあるわけで、とりあえずの生計を立てる方法として、最低限のスキルを確立してくべきである、という点においては上述の方法論は意味があるように思えます。
日本人の多くがぶら下がりサラリーマンになってしまう理由に本人の能力の問題はもちろんあるでしょうし、サラリーマンでいることが(社保や年金などといった仕組みを通じて)個人事業主であることよりも有利であることもあるように思います。
だとすれば、能力についてはそういったことで最低限を確保し、社保や年金の会社負担と言った部分はある程度排除して(厚生年金の3階建て部分や3号被保険者など)、サラリーマンの社会的な有利な部分をある程度個人事業主と揃えた上で起業に対して(補助金ではなく)税制的なメリットをつけてあげることの方が有用性が高いのではないかなーと思っています。
長文駄文失礼しました。
私もこの話題を見て真っ先に思い浮かべたのは文革でした。
文科省は天下国家の論を盾に御託を並べるのをやめ、「申し訳ございませんが予算が無いので以下の順序で補助金を停止します」と言って自らもそれなりの誠意を見せ土下座すればいいのですね。
安価で教育にアクセスしたい人にとって放送大学などは素晴らしい取り組みなので拡充してほしい
科学技術系も通信教育を増やしていってほしいですね。
@kum@ さん
私もその意見にある程度納得する部分はあるのですが、基本的な日本の誤りというのが、原理的に矛盾した政策や行動によって現状を招いた部分を見過ごしてると思うんですよ。
原理的な矛盾というのは、@熱斗茶浴 さんのいう土下座、つまり総括から政治と役人が逃げ続けてきた結果なわけです。
もちろん国民の政治的な怠慢が土壌なのですが。
総括すれば日本の今までの過ちは以下の様なものがあるはずです。
1、技術移転という寝言で当時は先端性を維持していた技術を他人にのしつけて譲渡
2、知性を期待すべき大学生を量産する試みに失敗し、山のようなクズ大学とゴミみたいな大学生を産んだ
3、2の問題解決に伴い、本来大学からの派生を期待すべきだった高等遊民を駆逐する方向性の政策を連打している
4、資本市場の規模拡大や公正運営をレームダック化させた(株価下落とは別な問題)
1-4までで明らかな通り、原理的な矛盾は必ず将来の禍根を生みます。
私がこの政策と安倍内閣の経済政策に見出す原理的矛盾は以下のとおりです。
1、日本のインフラや社会システムは、昭和中期までの下請け経済では到底維持できないにも関わらず弥縫策でその経済を復活させようとしている
2、日本企業の圧倒的な数と多様性は「家」制度の産物だったのに核家族化の巻き戻し政策に手を付けない
3、大学生の就活強化の方向性から高等遊民は生まれない
4,仲良しクラブ化した資本市場を東証大証の合併のように相変わらずえこひいきでほったらかし
大筋でこんなところです。
現在と比べて過去日本人の起業率が比較的高かったのは、ハッキリ言えばアニマルスピリットでも税制ではなく、沢山居た投資家が支え(未公開株投資に理解がある人も多かった)、家制度で企業に世代を超えた維持バイアスがかかっていたところが多でした。
そして上場と市場の制度の非常にフェアな運営で出口も維持されていました。
この部分の根腐れを何とかしないと立ち直ることはないです。
商売のスタート資金は政策金融公庫でまかなえてますが、事業やビジネスのスタート資金には「投資家」が必要です。
スタートに必要な資金の桁が違いますんで。
そしてそれを下支えしていたのが高等遊民(の投資家達)だったのにその数が増えるとも思えない政策。
事業の創生も高等遊民の役割です。ブルーカラーをいくら増やしても問題は解決しない。改善するのはどうでも良い失業率だけですよ。
問題は大学生が馬鹿なことにあるわけで、そいつらの就職難かどうでもいいからそれより先の問題を考えて投資するしかないわけです。
アホの大学生が運送屋に就職して何が解決するんでしょうか?私はしないと思います。
むしろ受け皿の企業がすぐやめる癖がついたお荷物を抱え込むだけになる気がします。
そして多額の借金を持ちながら下請け仕事を探して這いずりまわっている現状。
すべてがちぐはぐです。
処方箋は一つしかありません。苦しみから逃げるのではなく、製品を生み出す人材、世界で売れる製品、その成果を株価に反映させる市場を作りなおすことなんです。
したがって私はこの5年10年正しそうに見えるだけの政策に支持を示す気は全くないわけです。
なぜならそれは政策とは言わず弥縫策というからです。
そしてそれは総括からの逃げの産物だからです。
私からすれば
>サラリーマンでいることが(社保や年金などといった仕組みを通じて)個人事業主であることよりも有利であることもあるように思います。
この部分の話も、家を継ぐという意識の希釈化が招いた結果、打算を産んだだけにしか見えないのです。
戸籍制度を見ての通り、日本人の自我の大きな部分は家というものに長年縛られてきました。
「継ぐ」という言葉で継続してきた企業は一体どれほどあるでしょうか?
「継がなければいけない」という意識が年を追って消えていってることの現れだと思いますよ。
もともと起業の総数が多かったのではなく、消えていく企業が少なかったから企業がたくさんあったわけですしね。
それと、国は企業運営の支援機関ではありませんからね。
国民は税金を払い、国は祖の税金で起業を支援することで十分役割を果たしています。
為替政策、補助金、融資の補償。
これだけ税金を投資した上で今度は国民の人生を就活最適化させて労働者になって支援しろというのでしょうか。
やはり私はこれは原理的に矛盾していると思います。
人間の原理は就職というものと無縁だからです。
文化や教育の分野まで利益利益と目先の金に拘りだしましたね。
没落最終章の幕開けかも。