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事実をイデオロギーが超える時  多数決と正しさの溝、ブラック企業叩きと共産革命の共通点

  1. 経済
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目次

 

 

本当に高額な給与の人達がやることは、豚の角煮を作ることではなく経営企画

 

豚の角煮を作りながら300万円もらって、給料が安いという人が、年収1000万円にいつかなれるか。

これは80%以上の確率でNOとしか言いようが無い。

彼らがやっていることは末端での職能作業や、アルバイトの管理であって、それはあくまで作業の一環であって、ビジネスでもなんでもないからだ。

ほんとうに高い給料が欲しかったらどうすればいいのか。

 

それは営業利益率が、9%といわず20%になるような斬新な何かを考えることだろうし、お客の安全や満足を全く損なわないで仕込み時間を半減する効率的な工程を考えだすことである。

つまり、彼らは作業はやっているけど、創造的なビジネスというものには関与していないわけで、そこに役割分担の線引がはっきりあるから給料が安いだけ。

嫌だったらはじめから給料が高い組に入れる人間になるか、末端にいながらも誰も見つけられていないそういう方法を見つけることだ。

 

引用:お前の給料が安いのはお前のせい

 

 

ブラック企業論争が賑わってくると、かなりおかしな理論が集まる。のみならず、まるでそれが世の中の常識であり、皆が尊重するべき金科玉条みたいに言い出す奴が多い。

そもそも、ほとんどのWEBサイトでは、世の中の大多数であるサラリーマンの多くの人々が絶対に認めたくないものを突きつけようと思ってないのか、「弱者の論理」がネット上でだけ大手を振って歩く割に、カウンターになるオピニオンが少なすぎる気がする。

他人の支持を得る事にほとんど興味のない人間からすればテーマとして必要であればそれについて思ったことを書くべきだと思うし、そもそも弱い者の理論だけがまかり通って、ノイジーマイノリティがでかい顔をしている状況が鬱陶しくて仕方ない。

法律を守ってから●●、ブラック企業の肩を持つとか△△、所詮□□は○○にちがいない 聞いていて頭が痛くなる不気味な台詞のオンパレードだなと思うが、言っている当事者には、相手の寛容さとか強さに便乗しているという意識は皆目ないらしい。

いつから日本は精神を病んだと自称する奇妙な奴ブラック企業で虐げられていると自称するものが被差別強者になるようになったのか。

 

試みに、ブラック企業に激しい執念を燃やす人々を「ブラック企業叩き」と命名して、その特徴を列挙してみた。

 

 

皆がおかしいと思うことは絶対におかしいか 企業と多数決は無関係

大人数で指摘しても違法性を証明できない限り何の意味もない

 

つまり、近頃SNSなどでブラック企業と騒いでいる人の言っていることで根本的におかしいと思うことが、ブラック企業だと大人数で指摘してなんとなくブラック企業だという認識を共有しているだけってこと。

そしてどの人も「労基法守ってないんだろ」「契約を守れ」と言い捨てればまるで勝ったかのように錯覚しているが、会社ぐるみで労基法に違反しているか、契約を破っているかどうか、立証に成功した人は殆ど居ないのではないか。

個別の店舗で労基法違反で査察が入ったり、あくまで「個別」の事例での過去はあるだろう。

ところが、企業全体で明示的な指示を下して労基法に違反しろ という指示を下した証拠は今のところ見つかっていない。

普段の俺の論調ならこういうことは絶対に言わない。

しかしこの手のブラック企業叩きは、個別の事例や業界・企業ごとの事情を無視して、一律で法律を叫んでおり、人間的な判断や観点を排除することで自分の正しさを証明しようとしている。従って全ての事例に関しての判断を法律に丸投げしている以上、会社ぐるみで労基法違反というならそれを立証するのがまず筋だろう。

そして、社員が自殺したことですべての事実認定が終わったかのように思っているらしいが、実際は労働法違反を認められていない。

あくまで労災の審査と民事調停で落ち度が認められ・手早く認めただけの話であって、「法律」に違反しているのがいけないと「法律」に判断を丸投げするのであれば、ワタミが書類送検されて最高裁で判決が出てからの話にしないと辻褄が合ってない。

そして、いくら「ネットのみんな」が声を大にしてブラック叩きをした所で、民間企業が多数決、それも誰が何票入れているかも曖昧な話に従う道理など全く無く、皆がおかしいと言っているから俺もおかしいと思う、程度の考えの者は少し認識を改めたほうがいいのではないか。

大好きな法律に判断を丸投げするのであれば、まず自分が適法な人間になることだ。

事実関係を掌握してないものが、事実かどうか確定してない噂を振りまき、特定の個人の悪い噂を拡散し、一企業をこき下ろすとなれば、それは立派な名誉毀損や威力業務妨害なのであって、自分たちの金科玉条を率先して破っていることになる。

 

ついでに言っておくが、中小企業では比較的簡単に労働審判で結果が出て、大企業で結果が出にくい理由も少しは考えておくべきだ。

つまり、総務やコンプライアンスの能力が高い会社では、そういうことを言って騒いでいる当事者の落ち度も綿密に記録しているわけで、ブラック企業と叫んでいる法律大好き人間も、本当に法律しか通用しない場所に行けば自分こそ袋叩きにされて当たり前の「労基法違反人間」「違法野郎」だったりするかもしれないってこと。

片手縛り状態でつましくコストを削っているとろくさい中小企業相手にメクラに近い労働審判が通用しても、意識の高い経営者や、抜け目の無い大企業相手に大好きな法律とやらが君達にだけ都合よく通用する可能性なんか殆ど無い。

 

多数決が持ち込みたければ次の選挙で落選するようにせいぜい頑張ってみる事だ。都議選の結果を見る限りではそれすら危ういと思うけどな。

 

・判断を法律と契約に丸投げするのであれば、法にも契約にも依らない話を持ち出すな。

 

 

 

現実を無視した「正しさ」の押し付けとクメール・ルージュの大虐殺

自分の正しさを子供に胸を張って説明できるのか?

 

ほとんどのブラック企業叩きは、自分が正しいと思っているらしいが、正しいのであればなぜいつまでも搾取され続けているというおかしな構図が続くのか。

何をもって正しさの担保にしているのか知らないが、やれ残業代を払え、やれ労働基準法に違反しているとキーキー言うだけで正しくなれるという錯覚があるのが大きいのだろう。

刑事的にも民事的にも違法性が認定されるのは判決が出てからなわけだが、毎日叫んでいるそれらの条文で自分たちは判決でもとってきたのか?

 

大体、ワーワー騒いでる殆どの者は、ワタミに就職しているわけでもなければ、ユニクロに就職しているわけでもないだろ。

ところが、正しさを主張するために色んな法律をあげつらって自分が勤めているわけでもない会社のことばかり糾弾しているが、なぜ自分の勤務先にそれを言わないのかが不思議でならない。

正しかったらなんでもいいのであれば、十中八九くびになるけど、労基に駆け込んで「自分の」会社を訴えてみればいい。

 

本当はやましい事があったりして自分が正しいかどうかも確信が持てていない上に、自分の思う正しさを他人に押し付けた結果発生する影響に耐えられないのではないか?

 

たぶん、言ってる当事者と同じ勤務先の殆どの人は、労働基準法が守られるかどうか以前に、この厳しくなった就労環境の世の中に無職で放り出されなければそれでいいと納得しているだろう。

だとすれば大好きな多数決で社内での自分の正しさとやらは担保できていないわけで、ひょっとしたら「間違っている」可能性ですら否定出来ない。だから手頃な偶像としてワタミやユニクロを叩いているんだろう。

 

昔、クメール・ルージュという政党が、中国共産党と毛沢東の傀儡としてカンボジアを席巻した。毛沢東とポル・ポト率いるクメール・ルージュの「契約」では、大躍進政策をカンボジアにおいて実施し、毛沢東主義の正しさを証明することが支援の条件だった。

 そして「完全な共産主義」をカンボジアで実現するために大躍進政策を先鋭化したものを本当に実行し、100万人以上の国民を殺戮し、およそ100万人の難民を生み出し、信じられない数の餓死者を生み出して、人口が20%以上短時日に減少した。

「ブラック企業叩き」のやっていることは、現実を無視している点で「完全な共産主義」と全く一緒である。そもそも誰も求めてない上に実現する可能性は絵空事以下のものを、声のでかい少数の者が騒ぎ始めることで、まるでそれが全体の意志であるかのような「空気」を創りあげて他人に同調を強請し、自分の怨恨を公憤のように語って他人を瞞着しているところなど酷似している。

 

それに輪をかけておかしいところは、おそらく自分が「就職さえ出来ればなんでもいい」ととりあえず潜り込んだ企業に、他の人が求めてない改革を求めて居座っていることであって、言動の劣悪さにおいては人殺しの共産主義者以下なのを自覚した方がいい。

自分がその会社に就職する積極的な動機が何だったのかは綺麗サッパリ棚上げして、やれ精神がおかしくなった、やれ法律違反だと根拠もないことを喚き続ける。

 

自分の言動を我が子に見られたら恥ずかしくない?とりあえずそこを自省しない限り人生が改善される見込みはないと忠告する。

 

・正しいかどうか以前に、その判断を誰に委任されてしょうもない泣き言を叫んでいるのか、考えたこと無いの?

 

 

そもそもなぜブラック企業を叩かなきゃ「いけない」のか

叩きたいのはお前とその仲間だけだろ

 

客観的な意見や個人の感想を、この手のイッシューで公表すると、例外なく奇妙な人間に取り憑かれるのがお定まりである。

しかし何で自分が何の迷惑も被ってないブラック企業を叩かなきゃいけないのか。

叩きたければ自分が独力で叩けばいいだけの話を他人に押し付ける厚かましさは凄まじい。

「○○は□□のようなことをしているひどい会社なのに、あなたおかしいです」

申し訳ないけど、俺はそんな変な会社と付き合いはないし、あったとしても迷惑なんか一つも被った試しがない、俺はそこまで弱くないから。

つまり、下手したら迷惑を被っているのは自分だけかもしれない話を、あたかも公論のように拡散して、気に食わない意見を目の敵にして騒ぐのはいい加減にした方がいいってこと。

やってることが革マル派の総括そのものじゃないか。

 

そしてブラック企業叩きはお定まりのように、弱い被搾取社員としての立場を強調し続ける。

 

ところがSNSでは、自分の気に食わない意見にところかまわず噛み付くクレーマーになり、ネットショッピングでは安い物を王様気取りで探し回り、街に出たら分不相応な店に入り一杯800円のミネラルを飲まされたといって大騒ぎし、食べログで味や店の雰囲気と関係ない事を書き散らかしている。

 

”弱い人間としての立場しか知らない”のではなく、手間いらずで自分が一番有利に立ち回れるところを探してポジショニングしているだけ。

つまり”経営者の立場がわかってないだけ”ではない。知っているけど「自分には関係ない」のであって、その証拠に消費者としての権利だけはたとえ節度を超えても抜け目なく主張している。

 

そして法律と多数決を声高に叫び回り、都合が悪くなったら心だ常識だと目に見えない世界に逃げ込んでいく。

 

つまりブラック企業叩きは、人間が宿痾として持つ弱く狡猾で怠惰な短所を顕著に表している存在で、甘やかしたって際限がない連中だってこと。

 

どうせ、こう言えば「俺はそんなことやってない」「全員同じ人ってわけじゃないだろ」とか言い出すんだろう。でも自分たちはブラック企業の偶像役をワタミとユニクロに押し付けて騒ぎ立てる。

どこの海でとれたってイワシはイワシ、屁理屈はもう勘弁してくれってことなんだよ。

虐げられた被害者どころか、実際の姿は屁理屈をこねるアブラムシなのであって、銭金抜きの公憤を装いながら、その実巧妙な算盤勘定でやっているいやらしさは言語に絶するものがある。そして一匹一匹は取るに足らない存在のくせに、季節になってバラに群がったら株ごと枯らしかねない害虫性などアブラムシそっくり。

 

こういう人間が投資家になって一株でも株をもたせたら、投資先の社員の怠慢や非効率を徹底的に糾弾する投資家になるのは間違いないだろう。

 

・立場が変わったら違う利害関係もあることを故意に無視して、自分の利益の主張しかしないのがこういう連中の正体。ブラック企業の発生源は実は自分自身なのではないか?

 

 

1P目のまとめ

「ブラック企業叩き」は

  • 遵法を企業に求めながら日夜自分と関係ない企業の名誉毀損と営業妨害に精を出し

  • 誰にも委任されてない正義の執行官に自らを任命し

  • 自分の当事者性を棚に上げて自分の利益だけを声高に主張し、他人の不都合から目をそらし人の揚げ足を取っている

 

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ポル・ポト革命史―虐殺と破壊の四年間

 

 

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Taken

結局この議論はポジショントーク以上のものにならないんじゃないでしょうかね。
今のシステムの中でそれなりに地位も金もある人たちは、そもそもこのような議論を気にも留めないか、せいぜい不快感を示すくらいのもんでしょうし、特に地位や金がなくても、いわゆる「ブラックな」というか、労働中心的な環境の中でまがりなりにもやってきた人にとっては自分の半生を否定されたようでやはり良い気持ちはしないでしょう。
 
でも現実に過酷な労働に追い詰められている人や、腹の底で「仕事に人生を割きすぎる状態って違うんじゃ?」と思う人なんかは理屈云々置いといてやっぱ支持しちゃうんですよ。
 
とどのつまり我々は決して他人の人生を「生きる」ことはできないですから、「誰某が頑張っているから俺も頑張ろう」という共感の度合いにはどうしても個人差が生じます。
 
とはいえ、今は人々が自分の人生を文章に切り抜いて発信する、それこそこういうブログのようなツールが無数にありますよね。
電子世界の繋がりの中では、日本国外で働く日本人が「外から見た日本」という目線で日本の労働環境を痛烈に批判し、それが支持を集めるなんていう現象も実際に起きています。
そしてこういう「日本の労働環境ってなんか違くね?」という論調に対するカウンターオピニオンが、軍茶利さんのおっしゃっているようにイマイチ出てこない。
というか、恐らくオピニオン自体は存在してるんでしょうけど取り上げられていない。
個人個人が発信情報を扱えるようになった現実の中で情報が取り入れられないというのは、すなわちその情報が魅力的かつ有益で、周りの人と共有するべき情報だと思われていないということです。
 
そして労働に関するオピニオンをその発信者が労働を通じて得た「生き方の一部」であるとするならば、その「生き方自体」が今あまり人々の関心を集められていないということになる。
ここがこの議論における非常に面白いポイントではないかなぁと、自分は考えています。自分より稼いでいるか、バリバリ働いている人の人生に対して、かつてのような羨望ではなく緩やかな否定の見方が強まっている。
そしてそういった見方に「共感」する人の存在が目立ち始めている。あまつさえそういった人の中から出版物を刊行してそれなりの売上を得たりしているのまで出てきている。
これはもう、サラリーマンが揃って「仕事だりー」とぼやきながらなんだかんだ働いているような、ある意味で牧歌的なレベルの「労働に対する拒否感」とはまた違うレベルの話ではないでしょうか。

軍茶利さんが例として挙げているクメール・ルージュの虐殺だって、結果としては悲惨ですし、当時の人は無知だったかもしれませんが、先行きがどうあれ人々が具体的なアクションを取り始めた時にそれは現実になってくる。
私は今後の人々の流れ次第では、今まで日本が信奉してきた旧来の労働に対する価値観は、案外簡単に変わっていってしまうんではないかなぁと思っていますよ。
その先がどうなるかはまた別な問題ですし、その評価は後世の人が勝手にしてくれるんでしょう。
長文失礼いたしました。

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